お口直し〜人に期待するということ
その前に
2月12日の記事です。
この記事の続きになります。
人に興味がないことは、人に期待しないことに通じる
私は以前、このような記事を書きました。
この記事は、私が通所する作業所の責任者について書いたものですが、この責任者の『人に興味がない』というパーソナリティーについて復習したいと思います。
人に興味がないということは、ある意味『人に期待しない』ことに通じるのではないか?と思います。
例えばあなたが後輩の教育担当になったとします。
大概の人はその後輩を意識(興味)を持ち、そして期待するようになるでしょう。ところが興味が全くないとは言わないまでも薄い場合は、期待する値も小さくなるのでは?と思うのです。
で、期待値が小さいということはどうなるでしょうか?
はい、自身のストレスが軽減するのです!
期待値に対して期待通り、またはそれ以上の結果が得られた時はそれこそ歓喜のアドレナリンが沸くことでしょう。けれども、期待以下の結果になってしまった時は悲劇のストレスに襲われるのです。
悪い意味のストレスを避けたいのは誰もが思うことです。それならば期待値を小さくする、いっそのこと期待しないことこそが精神衛生上良いのではないか?と思います。
だからと言っても期待値をゼロにすることは難しいでしょう。だからこそ期待値を出来るだけ小さくするこそを心がけるのです。
ビジネス上は難しいと思いますが、プライベートな人間関係であれば(その相手に対する)期待値を小さくするのです。そうすれば自身をストレスで病むことを避けることが出来るのです。
「無能」との関連
で、冒頭の引用記事で触れた「無能」との関連ですが、さきの期待以下の結果によって(その相手に対する)評価を決めることになったとき、その相手を無能と決めつける人もいると思います。
私の記事をあらためて掲げると、
私の言葉ではありませんけれども、ある著書の言葉で言葉はブーメランになって返ってくるそうです。
そうだとすると、相手に無能というレッテルを貼るということは結局自身に返ってくるのです。
…嫌ですよね。
無能という言葉を発することは、結局自身が無能であるということを表現しているのでした。
…何か自分で書いているのが恐ろしくなりました。
…あぁ、怖い!怖い!
まとめ
言葉づかいは慎重にします!
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