宮沢賢治『注文の多い料理店』

『わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます』


 頁を捲った一行目の言葉で、読者は一気に宮沢賢治の世界へと引き込まれる。私たちが大人になるにつれて失っていった何かを、彼は大切に大切に拾い上げて、それを紡いで物語にしているのだと感じる。だから私はこの一行だけで、「どうしてそんなに泣きたくなるような言葉を書くのだろう」と目を潤ませてしまった。

 解説には「つめくさの香りがする物語」とあった。アスファルト舗装が波及するのに従って、姿を消していったつめくさ。その姿こそが、私が大人になるにつれて過去に置いてきてしまったもの。私が生まれた頃には道端につめくさがそこかしこと生えているなんてことはなかった。けれど、大きな公園には一面のつめくさがあって、近くにはおおばこなんかも生えていた。祖母とおおばこを千切って相撲をとって、疲れたらつめくさの上に寝そべったあの日々を思い出しては泣きたくなる。

 宮沢賢治の作品からは、そういった香りがする。

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