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嫁っこの死への恐怖

嫁が突然、死ぬのが怖いと言い出した。

健康である。
そう、健康だぞ、あんた。嫁よ。

でも、死んだらどうなるん?
死ぬために生きてるん?
自分の死を看取ってもらうために本能で子供産んでるん?
写真は死んだあと残された人のために撮るん?
冥土の土産なんか本当はないやん?何も持って行かれへんやん?
なぁ、私たちって何のために生きてるん?

「なんや、どないしてん?」
と聞いてみる。

いや、死ぬのが怖いんよ。
もう何も考えない、意識がないってどうなるん?
何のために生きてるんやろ、って思わへん?

あくまでオッサンの時代の話だが、
「それって10代の頃に一回考えて通り過ぎるやつちゃうん?それでみんな手塚治虫の火の鳥とか読んで人生観作ってたで」
と伝えた。
もちろん、嫁のその気持ちに対して何の解決にもならないことは承知の上だ。

やっぱり死ぬのが怖い。
目が見えなくなるのが怖い。
身体が動かなくなるのが怖い。

ふと思う。
死への本能的な恐怖は、本質的には消すことは出来ない。
だから死への恐怖と共に生きる人がいてもいい。
それも多様性の一つだ。

しかし嫁よ、俺は仕事がなくなって金がなくなる方が現実的に怖いぞ!
本当に怖くなるから、怖いことは考えずに一緒に前を向いて行こうや。

(ちゃんと解決するにはコーチングを受けるべきだろうね・・・)

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