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タイで野宿しようとしたら追い剥ぎに襲われかけた過激派だった頃の話

今から何年も前、ぼくは二十歳で、タイを旅していた。

日本を出てから、すでに2週間以上が経っていた。

一人旅で、いわゆるバックパッカーというやつ。

貧乏旅行だ。


当時、破格の片道1万円で茨城空港を出発したぼくは、上海に降り立つ。

そこで2週間を過ごし、年末のバンコクへ飛んだ。

バンコクは、東南アジア随一の都市で、世界中から旅行者が集まってくる。

東南アジアの「ハブ」のような街だ。


そこからちょっと離れた島で、ぼくはなぜか野宿することになった。

なんという島だったかは、忘れてしまった。

ガイドブックにも載っているような、それなりの観光地だとは思うのだけれど。

その島で、ぼくは一人の日本人と一緒だった。

その人の名前は、仮に「ヨシさん」としておこう。

ヨシさんは、たしか27才くらいだったと思う。

メガネをかけた、どちらかといえば小柄な方で、日焼けした旅行者が多いバンコクの宿では、ちょっと浮いてしまうくらいの色白だった。

ぼくはヨシさんと、バンコクの安宿で出会った。


上海ではまったく日本人のいないゲストハウスで二週間をすごし、それはそれで楽しい日々を過ごしていたぼくだったが、正直「日本語」に飢えていた。

よく一緒に遊んでいたのは、アフリカ系イギリス人の100キロくらいある男と、これまたイギリス人(家系はドイツ系だと言っていた)の金髪の女性、そしてメキシコ人の男と、中国人の同い年の女の子だった。

この5人のうちの誰かと、3食ともに行動していた。

当然、会話はずっと英語。

おかげでぼくのリスニング能力は、わずか2週間でかつてないほど向上した。

しかし同時に、ぼくは自分の言いたいことを100%表現できないことにフラストレーションを感じていた。

言葉というのはやっかいだ。

日本語でだって、自分の言いたいことを100%表現することはできない。

それでも、母国語であれば、それに近い表現を、会話の最中になんとか探し当てることができる。

しかし、不慣れな言語だと、それすら難しい。


たとえばちょっと気になることがあったとしても、それがうまいこと言えない。

たとえば一緒にいたアフリカ系イギリス人はベジタリアンだった。

卵も肉も、一切口にしない。

ぼくはそれまでの人生でベジタリアンに出会ったことがなかったので、驚いた。

ベジタリアンであることに、ではない。

そういう選択をする人がいることは知っていたし、それは「世の中にはアッラーを信仰している人がいる」というくらいの、想定内のカルチャーギャップでしかなかった。

問題は、そのベジタリアンの「体型」だった。

学生時代はアメフトの選手だったという彼は、身長は180cmを超える大柄で、おまけに横にもでかく、軽く100キロオーバー。

対してぼくは、60キロちょっとしかなく、並んで歩けば「同じホモ・サピエンス」であることを疑ってしまうような外見の差だ。

そんな彼が、ベジタリアンだという。

ぼくは、野菜しか食べない人間が、そんな巨体を維持できるということが信じられなかった。

そのことを、ちょっと冗談っぽく言ってみたかった。

つまり、いじってみたかった。

無知なアジアンボーイを装って、そんな軽口を叩いてみたかった。

しかし、英語でそれをやるとなるのはなかなかにハードルが高く、結果として、ぼくの放ったイングリッシュジョークは、本場のイギリス人にとってはちょっと無礼な英語になったらしく、フツーに無知で無礼なアジアンボーイだなお前は、みたいな顔でむっとされたのを覚えている。

もちろん今なら、植物性タンパク質からでも、人間に必要なアミノ酸は十分に摂れるということを知っている。

しかし、ハタチのぼくは、そんなことすら知らなかったのだ。


話が脱線した。

要は、そんなカルチャーギャップに囲まれながら、それでも毎日どんちゃんしながら上海を発ったぼくは、バンコクで久々に味わった「日本語の会話」に、すっかり心を和ませていた。

それで、ヨシさんが言った。

「よし!あした、島にいこう!」

「え!?島っすか!?」

「うん!ここからバスで○時間いって、そっからフェリーでいける島があるから、そこにいこう!」


とりあえずバンコクに来るだけで、その後はまったくノープランだったぼくが、ヨシさんの提案を断る理由などどこにもなかった。

そうして翌日の昼過ぎには、ぼくはヨシさんと「島」にいた。


島についたら、やることはひとつ。

「宿探し」だ。


ヨシさんも、ぼくと同じく貧乏旅行なので、海外で使える携帯電話などは持っていない。

スマホはお互いに持っていたけど、Wi-Fiがあるところじゃないと使えない。

だから宿探しは、「足」ですることになる。


その島は、外周をぐるりと回っても、車なら1時間もかからないくらいの大きさだった。

ぼくとヨシさんはフェリーを降りて、1台のトゥクトゥクに乗った。

オープンカーとバイクの中間のような形状をしている、タイではおなじみのタクシーである。

「足」といっても、徒歩ではなく、実際にはトゥクトゥクでの宿探しであった。


その島にはいくつかの旅行者用の宿があった。

プール付きの豪華な宿から、こじんまりとした安宿まで。

ぼくとヨシさんは、その中でも安宿を狙うことにした。


とはいえ、ここまで上海を経由してきただけのぼくは、この時点でまったく旅慣れていない。

正直、いくらが安宿なのか?

そんな相場すら、ろくにしらない。

だから、安宿の見極めは、ヨシさんが行った。


このヨシさんは、普段は日本でサラリーマンをしているそうだ。

いま思えば、サラリーマンをしている人が、タイで貧乏旅行をしているのはおかしいように思うのだけれど、当時のぼくは「まあ、年末だし、休みなんだろうなあ」くらいに思って、深く考えることはなかった。

見た目はいたって平凡な風貌のヨシさんは、破天荒なキャラクターの多い旅行者の中では、かなりまともな人のように見えた。

そんなヨシさんに、ぼくは宿の選択をお任せしていた。


正直、宿のフロントでタイ人と「英語で」話すことすら、面倒くさくなっていたのである。


しかし、すんなり決まると思っていた宿がなかなか決まらない。

フロントから戻ってきたヨシさんは、

「ダメだ。高すぎる」

という。


たしか、一泊800バーツくらいだったと思う。

当時のレートで、1600円くらいだ。

日本の感覚なら「激安」の部類に入るのだが、ぼくとヨシさんが出会ったバンコクの宿が1泊120バーツ(240円)だったことを考えると、たしかに高い。

ぼくとしても、宿代はやすいに越したことはなかったため、とくに反論することはなかった。


しかし、その後も宿が決まらない。

どこの宿も、どんなに安くとも500バーツはする。

そう、ここは「島」なのだ。

主な収入源は「観光業」なのである。

膨大な旅行者が集まるバンコクとは違い、交通の便の悪い「島」にやってくる人数などたかが知れている。

となれば、一人当たりの宿代は、なるべく高く設定したいところだろう。

みたところ、宿の設備もそこそこいいものが揃っている。

バンコクの安宿のような、見るからに汚い宿はなく、しっかりとした「南国のリゾート感」のある宿が多い。

これなら、たいがいの旅行者は喜んで500バーツ払って宿泊するだろう。

今のぼくなら、そう言える。


しかし、当時のぼくはちがった。そして、ヨシさんも違った。


ついに、この島で最後の宿との交渉に入った。

あたりはもう夕暮れを過ぎ、暗くなってきている。

ぼくらはとっくトゥクトゥクを降りていて、途中から、文字通り「足」で宿を探していた。

最後の宿は、一泊400バーツだった。

ぼくは思った。

「まあ、高いけど、仕方ないかな」

と。


すると、ヨシさんはこう呟いた。

「くっそお、高いなあ」



ぼくは内心、ヨシさんに同意しつつも

「やっぱり島だから、バンコクみたいな安宿はないんですね」

と、口を開きかけた、その時……


ヨシさんの口から、思いがけない言葉が飛び出した。



「どっか公園とかないかな」





え!?


え!? え!??


ヨシさん!??



あれ!??

おれ、日本語まで聞き取れなくなってる!?

え!?

ヨシさん今なんて言いました!!??



なんて言葉が脳内をかけめぐっている間に、そろそろと宿のフロントから外へ出ていくヨシさん。

慌ててあとを追うぼく。


そう、ヨシさんは本気だった。

ぼくの耳も正常だった。



ぼくらは野宿をすることになった。

400バーツを払うことをためらって。




当然ながら、こんな判断はまともじゃない。

いくら400バーツが、ちょっと割高に感じたとはいえ、日本円にすればたかが800円だ。

高校生の時給なみだ。

日本のサラリーマンであるヨシさんが払えないわけがないし、ぼくにしたってそうだ。

しかし、それは「普通の旅行」の場合の話だ。

ここでは、そもそもの前提条件が変わってくる。


これは「貧乏旅行」なのだ。

しかも、ただの「貧乏旅行」ではない。

それは「作られた貧乏旅行」なのだ。

「エンターテイメント化された貧乏旅行」だともいえるかもしれない。

要は、ぼくにもヨシさんにも「貧乏旅行をしなくてはならない必然性」など、ないのである。


もちろんぼくは、バイトして貯めた貯金で1日でも長く海外を旅していたい、という要求がある。

ヨシさんも、それは同じだろう。

しかしそれだって、自分の勝手な理屈にすぎない。

旅行というのは、どんなに理屈をつけても趣味の世界だ。

そしてこのとき、ぼくとヨシさんは「貧乏旅行」という趣味を生きていた。その点が共通項になり、旅は道連れ世は情けな状態だった。

これは「金」の問題ではない。

シンプルに「趣味」の問題だ。

そこでは、「なるべく安い宿を探す」ことはある種のゲームみたいなもんだ。

そして、そのゲーム的な感覚は、いくところまでいくと「信仰」のようなものに近づいてしまうらしい。


ふつう、宿の値段を気にするのは「なるべく安く、いい宿に泊まること」が目的である。

しかし、貧乏旅行者という生き物は、その目的を、どこか狂信的なものに変質させてしまうようだ。


そこでは、

「いい宿に泊まること」という目的が抜け落ちて、

手段にすぎなかったはずの、

「なるべく安く泊まること」

が、絶対的な目的と化してしまうのだ。

これぞ原理主義。

そう。「安宿原理主義」とでも言ってしまえるようなドグマを持ち出すのである。

これだから貧乏旅行者はおそろしい。


ぼくは気付けなかったのだが、この日のヨシさんは、間違いなくこの「安宿原理主義者」であった。

そして、

「安くねえなら、泊まらねえ」

それが、安宿原理主義者が「過激派」として扱われる由縁である。


結果、野宿。

それは当然の帰結であった。


当たり前だが、タイの島に公園などなかった。

当然のように、港のコンクリートに座るヨシさん。

当のぼくも、

「まあ、この展開は、これはこれで面白いか」

と、ハタチらしい考えで脳内を埋め尽くしていた。


波打ち際に2人、安宿原理主義にかぶれた日本人2人が、座っていた。



どれくらいそうしていただろうか。

あたりはすっかり日が暮れていたが、幸い街灯の明かりで、真っ暗というわけではなかった。

そんな僕ら二人のもとへ、見知らぬタイ人がやってきた。


「何してるんだ?」

けっこうな真顔で聞かれた。


ぼくは「野宿しようとしている」と言いかけたが、日本人が野宿をしているなんて聞いたら、このタイ人はなんて思うだろう?安宿原理主義者であることがバレて、迫害か、そうじゃなくても差別的な眼差しを向けられるのではないだろうか?

と思ったぼくは、とっさに、ヨシさんの方を向いた。

助け舟を求めたのである。


ヨシさんは、そのタイ人をまっすぐに見て、言った。



「わたしたちは野宿をしています」



言った。

カタコトの英語で、きれいに言った。



「はあ!?」


驚くタイ人。

当然の反応である。

なんなら、ちょっと怒ってすらいた。

当然だろう。

なんでわざわざフェリーに乗ってやってきて、こんなとこで野宿しようとしてんねん!

宿泊まれや!

高い金で建築した意味がねえだろうが!

島に金落とせやファ○キン○ャップ!

みたいな気持ちだろう。

まったく持ってその通り。あなたが正常で、われわれが過激派なのがいけないのである。


このタイ人、なにかをヨシさんに向かって言っている。

どうやら、なにか「説得」をしようとしているらしい。

はじめは、すでに恭順の意志を固めた過激派らしく、首をふっていたヨシさんだったが、あまりのタイ人の真剣さに、だんだんと態度が軟化していった。

そしてついに、ヨシさんの表情が変わった。

ぼくの方へ近づいてきて、「ちょっと、やばいかも」と言う。


「どうしたんですか?」

「うん、なんかね、追い剥ぎがでるんだって」

「え!?」



お・い・は・ぎ!!!????



そんな、日本昔話か、RPGの最初の方の街の近くにしかいないモンスターみたいな存在が、この島には出るんですか!!???

やべええええええ!!!!!


この時ほどときめいた瞬間は、この日のぼくにはなかったのだが、さすがに「追い剥ぎ」はやばい。

強烈な4文字である。

「おはぎ」と1文字違いであるとは思えない。

危険度★★★★★な響きである。


ここまで「安宿原理主義者」として過激派を貫いてきたヨシさんであったが、そのさらに上をいく過激派の登場によって、ついにその信念を捨て去る決心を固めざるをえなかった。

もちろん、過激派となってまだ数時間のぼくなどは、風のようになめらかに、この流れに懐柔されていった。


しかし、意外だったのは、このタイ人が、どこまでも「いい人」だったということである。

はじめに怖い顔のように見えていたのは、僕らふたりを「本気で心配」していたからなのだった。

そして、ぼくらふたりを「本気で金がないやつら」だと思ったらしい。

本当は、単なる過激派を気取った、日本の中産階級なのであるが。

とにかく、宿に泊まる金がないやつらだ、と思ったらしかった。


そこで、

「ちょっと待ってて!!」

と言い残し、どこかへ消えた。


言われた通りに待つ、ぼくとヨシさんは、追い剥ぎがいつ現れないかと冷や冷やしていた。

そのタイ人は、すぐに戻ってきた。

そして、

「こっちきて!!」

と、ぼくらを連れていく。


一体どこへ連れていくのだろう?

と、思ってついていくと、なにやら神殿のような場所へ案内された。



「ここなら大丈夫だから!!」

と言う。


みるとそこは、巨大な神殿である。

ざっと50畳くらいのスペースだろうか。

25mプールよりも、すこし狭いくらい。

かなり広い。

そこには、屋根はあるが、壁はない。

赤く太い柱が四隅に立っているだけで、あとは吹き抜けである。

床は、白いリノリウムで、すべすべしていた。

そして、煌々と、まぶしいくらいに蛍光灯の光が満ち満ちていた。


「ここなら追い剥ぎはこないよ!!」


それが、夜中でも電気がついているからなのか、そこが神聖な場所だからなのかは分からなかった。

でも、このタイ人が「安心だ」というから、きっと安心なのだろう。


横を見ると、ヨシさんは、親指をグッと立ててタイ人へ向けている。

かつての過激派は和平交渉に応じたが、それでも安宿よりも安いこのような場所を得たのだ。

ある意味で、安宿原理主義者としてのプライドは守られたと見るべきだろう。

ヨシさんは嬉しそうだった。


それにしても、でかい神殿である。

奥の方に、御本尊が見えた。

タイは仏教国である。

おそらく、仏像かなにかが祀ってあるのだろう。

そう思って、近づいていった。


しかし、そこにあるものは、なんだかイメージとは違う、奇妙な形をしている。

あきらかに仏像ではない。

赤くて、棒状の形をしており、その周囲を金色の輪っかが囲んでいる。

巨大なオブジェだった。


ぼくは、タイ人に、

「これはなに?」

と聞いた。


タイ人は、ずごく真面目な顔で、

「おぉ〜う、○○!」

と、なぜか腰をふり、股間を指差しながら答えてくれた。


それで、オブジェの正体がわかった。



それは、



「ち○こ」であった。



でっかい、真っ赤な、ち○こであった。


そう、ここは「男根崇拝」の神殿だったのだ。

それがこの島の、土着的な信仰なのだろう。


いや、男根崇拝自体は、日本にもあるし、そんなに驚くことではないのだろうけれど。



そっか、おれ、今夜ヨシさんとここで寝るんだ。


そう思った。



そのまま、とくに過激なことも起こらず、照りつける蛍光灯の下で、とうとう一睡もできないまま世が明けた。

その島の名前は忘れてしまったが、朝焼けの海がとても綺麗だったことだけは覚えている。



あれから急激な経済発展を遂げたタイである。

島の風景も、多少なりとも変わっていることだろう。

あの巨大で真っ赤なち○こは、今でもあの島のあの神殿に、飾ってあるのだろうか?

追い剥ぎは、もういないのかなあ?


ヨシさん、元気かなあ。





つづく!!




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