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出奔旅行記5(トルコ/イスタンブール編)

前作はこちら。

コンスタンティ……イスタンブール!

愛すべく後輩は、イスタンブールのことを執拗にコンスタンティノープルと呼んでいた。後輩はビザンツ帝国に夢を見ているかつギリシャオタクなので、イスタンブールをトルコと思っておらず「未回収のギリシャ」とまで呼ぶし(ちょっと怖い)、旅程のファイルでも行き先はコンスタンティノープルと書いて共有してきた。
私は私で、後輩からコンスタンティノープルに行くと言われて、当初は違和感がなかった。コンスタンティノープルの場所は世界史Bでやったからわかるし、そこがイスタンブールと今呼ばれていることをすっかり忘れていた。出国前に、外務省の旅レジに登録するときに、コンスタンティノープルと呼ばれる都市がなくて困った。すきぴにコンスタンティノープルに行くと伝えたら、「ビザンツの人と一緒に旅行行くの……?」と不思議がられた。よくよく調べてみて、その場所が今はコンスタンティノープルとは呼ばれていないとわかり、ようやく後輩が過激派ビザンティンギリシャオタクだと発覚したのだった。
とはいえ、テサロニケのホワイトタワーで会ったおじさんも、イスタンブールのことはコンスタンティノーポリと呼んでいた。イスタンブールとは、ギリシャ語の「イス ティン ポリ」からきており、固有名詞たり得ず、「中心の市」くらいの意味しかないと言っていた。(ネットで調べると「都市へ」という意味だと出てくるが。)そういうわけで、一定数イスタンブールをコンスタンティノープルと呼んでいる人がいるっぽい。

と言うことで、トルコ編である。分量が長くなったので、休み休み読んで欲しい。まじで。わかりやすいように、たまにトルコリラにおよその日本円をあてているけれどあくまで参考程度。


テサロニケからイスタンブールへ

ギリシャの出国審査の時の写真

テサロニケから、イスタンブールまではバスが出ていたのでそれに乗った。75€くらいで、事前予約をしていたものだ。テサロニケ駅から乗れる。テサロニケ駅はテサロニケ中心地から歩ける距離なので朝はホテルから歩いた。
バスは、ブルガリアの長距離バス会社のもので、ドライバーは何語を話しているのかわからなかった。乗車時間は9時間くらい。トイレ休憩がいつあるのかがわからなかったりするのがしんどかった(もちろん、ちゃんと人道的な回数トイレ休憩ある)が、なんとか耐え切った。シンガポール経由アテネのおよそ24時間の行程を経ているため、精神力が増していたのもあるかもしれない。

ギリシャからトルコも、もちろんバスで移動する。トルコはEUではないので、簡単に国境を越えることはできない。(EU間であればひょいひょいと行き来できる。)
バスの中でまず、ドライバーによってみんなのパスポートが回収されて、ギリシャの出国審査がなされる。出国審査に当人は必要ないらしく、バスは免税店のある店の近くに止められ、出国審査中に乗客はギリシャ最後のお土産を買うことができるようになっていた。私はカラマタ産のオリーブオイルが美味しいからと後輩にそそのかされて、一本購入。

国境近くで乗り降りする乗客たち。みんな心なしか疲れてる

出国審査は、そんなに時間がかからずに終わった。免税店を出てバスに戻ると、スタンプが押されたパスポートが、バスの中でドライバーから返された。

ギリシャとトルコの国境

ギリシャとトルコの国境には何があるのだろうとワクワクしていたが、小さな川が二つの国を隔てていたのだった。国境を越えると、今度はトルコの入国審査がある。こっちは、パスポートを回収して簡易に行うことはできないので、みんなバスから下ろされて並んで順番に入国審査を受けた。
スタンプを押され、トルコに入国。またバスに乗って、目的地のイスタンブールへと向かう。
長距離バスの到着場所は、イスタンブールの中で一番大きなバスステーションだ。到着直後、バスステーションでトイレを使おうとしたが、イスタンブールカードでしか入場ができず断念した。有料のトイレはわかるけど、トイレでキャッシュが使えないのはどうなんだ……。
さて、この到着場所は、地下鉄1号線(M1)のオトガル駅(Otogar)につながっているバスステーションで、アテネのバスステーションよりは格段に街へのアクセスは良い。しかし、9時間以上のバスの後に、街の中心地まで地下鉄やトラム(路面電車)を駆使する元気がなかったので、Uberでタクシーを呼ぶことに。
イスタンブールのタクシーはぼったくりで有名なので、流しのタクシーを捕まえるのに抵抗があった。しかし、驚くことにUberでもなかなか難しかった。バスステーションからホテルまで、Uberに提示された値段で乗せてくれる人がなかなか見つからない。「30€でなら乗せてやる」「そんな安い金で誰が行くものか」「払えないならキャンセルしてくれ」とチャットで言われ、頑張って、タクシーメーター通りに乗せてくれる人を探しまくった。タクシー自体はいっぱいいたので、すぐに来てくれる人は見つかったが、それでも気苦労が半端ない。
Uberのアプリは現在地を共有できるから、バスステーションのわかりにくい構造でも、ドライバーが見つけてくれて、無事に乗車。

オトガルからホテルに向かってもらってるUberの様子。

バスステーション付近は混んでいたものの、ホテルまでなんとかたどり着くことができた。Uberは会話ができなくても目的地へ向かってる様子が見えるから、後どれくらいで着くのかがわかって良い。最終的にテサロニケからイスタンブールまでは移動で10時間ほどかかって、クタクタな1日目だった。

イスタンブールのホテルに着くと、フロントでは男性3人くらいが迎えてくれた。バスステーションの駅でも思ったけれど、イスタンブール、とにかく男社会だ。駅に着いたのは夜19時だったけれど、観光客以外に女はほとんどいない。ホテルも、掃除の人だけは女性だったけれど、その他全て男性がスタッフとして働いていた。部屋にも男性が案内してくれて、いや、ありがたいんだけど、なんていうか圧がすごい。
ちなみに部屋はすごいオシャンだった。空いていたからちょっといい部屋に通してもらえたらしい。シャワーだけ、温度低くて死ぬかと思ったが、その他は快適な生活が送れた。

私が使っていたお姫様な感じのベッド。広くて最高。

そして、このホテルから見える景色、めちゃくちゃ廃墟だった。

ホテルの部屋から見える景色

観光客向けのホテル街でホテルをとったし、マジでここ田舎じゃなくって、歩いて有名なモスクに行けるようないい場所なのにも関わらず、たくさんの廃墟に囲まれていた。廃墟が好きなら最高の観光場所かもしれない。
でも地価が高そうな場所に廃墟ばかりあると、女二人旅的にはかなり不安な感じ。夜は絶対に一人歩きしないぞと決めた。
ホテルで寝ていると、夜も朝も礼拝の始まる時間にアザーン(礼拝が始まるのを伝える歌、マイクで放送されている)が大音量で聞こえた。窓を閉めているのか確かめたほどだ。夜のアザーンは、ビールを飲みながら聞いて楽しいけれど、朝は5時代にアザーンがかかり起こされ、地獄かと思った。トルコ人はちゃんと寝ているのだろうか?

トルコでの移動問題

トルコの観光に欠かせないのがイスタンブールカードだ。日本でいうパスモとかスイカみたいなやつ。
イスタンブールカードの作成値段、1トリップ(利用)分の値段が、事前情報とぜんぜん違う。(作成は200リラ、1トリップ分は7.5リラと聞いていた。)
2023年9月下旬時点で、カード作成は300トルコリラかかっているし、チャージでクレカで600リラ以上のお金を入れたはずなのに(後輩のクレカ明細から明らか)、カードには200リラしか入っていなかった(使用した時に確認したのでこっちも明らか)。今考えても、何かやばいぼったくりが起きている可能性がある。でも、キオスクではなく、マシーンで購入したのに、こんなことあるか? 幸先不安な出発だったが、トルコ語がわからない自分の問題もあるので、気を取り直して目的地に向かう。
電車やバスは15リラ(だいたい90円くらい)で乗ることができ、距離は関係ないので入場でカードをタッチするだけで平気だ。そのため、同じカードを人と共有することができた。私と後輩で1枚のカードを所持し、後輩がカードを使って改札を抜けたら、そのカードを私に渡して私が改札を通るというふうにした。カード創設時のお金がやけにかかるので、一緒に旅行をするのであれば一枚のカードを作るのが無難だと思おう。

メトロやバス、トラムと全部使ってみたが、郊外では結構バスが便利だった。かなりの本数が出ているし、少し遠くへ行く時にはすごく役立つ。しかも面白いことに、トルコのバスは充電ができた。(これをインスタに乗せたら、台湾の友人から台湾だってできるよ!とアピールされて、なんだか可愛くてよかった)
トラムの乗客よりも、バスの乗客の方がローカルな人が乗っているからか、少し態度が優しい感じがあった。バスは年寄りが多いから、それも少しあるかもしれない。入り口のイスタンブールカードをタッチするのを忘れたトルコマダムから、代わりにタッチしてきてという任務を任されたりしたし。
知らない土地でよくバスに乗ったな、と思われるかもしれないが、全てはGoogleマップのおかげだ。後輩は終始Googleマップを疑っていたが、Googleマップは現地のバス情報をすぐに出してくれるから、すごくありがたかった。

トルコのバスで充電をした写真。10分で3%くらい復活した。

ちなみに、帰りのイスタンブール空港までの道のりもここに記しておく。
ホテル街は勾配のきつい坂にあって、重い荷物をホテルから運ぶのがだるいし、私たちが帰る日には雨が降っていたので、タクシーを呼ぶことにした。タクシーはもちろんUberで、呼ぶ時はメッセージで「タクシーメーターに則って、Uberの基準程度のお金しか払いません」とちゃんと値段の確認をした。タクシードライバーからは700リラ(4000円弱)で空港まで行ってあげると言われたが、そこを断り、空港へと向かうことのできるバスステーション(Havaist Aksaray Metro)におろして貰った。700リラでもめちゃくちゃ安いからアリだったが、私たちは貧乏学生なので……。
Uberで頼む時は、あらかじめ目的地を指定できるので言葉が通じなくてもすごく楽だ。イスタンブールには空港が二つあるので、どちらに行くバスかでタクシーを停める場所(方向)が違うらしく、「イスタンブール空港へ行きます」と伝える必要があった程度だった。
空港へ行くバスはHavaistというバス。Havaistのバスは136リラ(750円)でイスタンブール空港まで行ける。当たり前だがタクシーより圧倒的に安い。Havaistのバスは乗る前にカード決済ができるので、それまでに現金を使い切っても大丈夫だった。(空港は基本的にカードが使えるし)

最初の目的地、エディルネ門の壁

さて、トルコの一発目の観光だが、目的地は。後輩はこれを見にトルコに来たらしい。
この壁は、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)がコンスタンティノープル(イスタンブール)の西側を守るために建てたものだ。コンスタンティヌスの壁という一番背の高い壁がまずあり、それを補強するようにテオドシウスの壁が二重に建てられている。うまく残っているところでは三重の壁が見られるというわけだ。

ちなみに壁沿いに大きな道路があるのでバスでの移動が最適だった。
では一枚目の壁を紹介しよう。エディルネ門の壁だ。

エディルネ門

これは、オスマン帝国がコンスタンティノープルに侵入したときに使った門らしく、右には「ここはスルタンが通りました〜」と示す石碑があった。(写真右端)残念ながら全く読めなかった。
この辺り、朝歩いたからいいけれど、かなり治安が悪くって、酒の瓶やらタバコのゴミが落ちていて、一人での観光はお勧めできない。たとえ二人でも、夕方以降は行かないほうがいいと思う。荒れた壁の近くを後輩がトコトコ歩いていくのを後ろから追いかけながら、一人で来させないでよかったなあとしみじみ思った。今回の旅は後輩を生きて日本に帰すことが究極目的なので、この壁歩きが今思えばサビだったかもしれない。

エディルネ門

ちなみに、こういう門の名前は、その門からどこに行くのかに基づいて名前がつけられていることが多い。エディルネ門であれば、エディルネという場所へ向けて出立できる門というわけだ。

来館者数低そうなテクフル・サライ博物館(Tekfur Palace)

門沿いにある博物館

さて、壁歩き中にポルフュロゲネトスの宮殿という、ビザンツ帝国の宮殿があったので、そこを訪問。場所も場所だし、ほかの来場者は1組しかいなかった。ちなみに中はイスラーム文化に関する博物館になっていた。
この建物、動物園に利用されたり売春宿として利用されたり、宮殿後の利用も非常に興味深かった。様々な使われ方をしていた事実が、こうして観光地化するまではこの遺跡は遺跡ではなく、生きた建築物だったのだと教えてくれる。

ポルフュロゲネトスの宮殿のファサード

あと、上の写真にも、足場の穴が空いているのが面白い。あの穴が足場だったと知ってからついついよく見てしまう。(テサロニケ編参照)
博物館化したのはつい最近の2021年なので、展示がずいぶんスタイリッシュだった。タッチパネルでイスラーム紋様の塗り絵ができたりする。
トルコ人の割引しか効かないので、入場料は外国人は共通で40トルコリラ

宮殿を見た後は、また別の壁へと向かう。

次なる目的地、ベオグラード門の壁

博物館を見終わった後輩が、別の壁をみたいというので移動。これら三層の壁は、かつてはイスタンブールを守るために途切れず続いていたが、現在保存状態が悪いところは「か……壁……?」くらいしか残っていない。だから、がむしゃらに壁沿を歩けばいいわけではないので、保存状態の良い有名な門を目印に移動をした。(壁にはたくさんの門がついている)
ちなみに、この日がトルコ初日だったが、午後に差し掛かろうとしているのに、まだモスクを一つも見ず、ただ壁を巡っていた

ベオグラード門

こっちはベオグラード門と壁。ベオグラードに続く門というわけだ。壁が三重になっているところが見えやすい。壁と壁の間にはせいぜい5mくらいの距離しかなかった。これを利用して敵を倒していたのだと思うとワクワクする。私だったら、一番外の壁を高くして、次の壁を見えないようにつくると思う。そしたら、外の壁から中に入った時にまだ壁があるのかと絶望するし。
写真では、おばあちゃんが農作業をしてるが、その場所はかつてはお堀だったらしい。今は埋め立ててあり、こうやって畑になっていた。おそらくここで作られた野菜が、無人販売で売られていたのだが、この壁の周りは車が多く、すごい排気ガスだったし、美味しい野菜に育っているのかは少し疑問だ。食べた人の感想とかが聞きたい。

ちなみに、こんなに鉄壁そうな三重の壁がどうしてオスマン帝国に破られたのかというと、門の締め忘れがあったせいらしい(スパイがやったのかもしれんけど)。そのコンスタンティノープル陥落の原因になった閉め忘れられた門も、しっかり残っていた。それがこちら。

コンスタンティノープル陥落門

「なんでこんな微妙な角度の写真撮ったんだろう?」と思って後輩にあたってみたら、どうやらこの陥落門の前に路駐があったからうまく写真が撮れなかったみたい。後輩撮影の写真には車が写ってた。まさかこの車の持ち主も、こういった壁を見るために遥々日本からやってきた観光客がいるとは思っていなかっただろう。

陥落門。後輩撮影。

ビザンツ帝国という、あれだけ長く続いた国が、この門の閉め忘れで終わってしまったのかと思うと、ちょっと不思議な感じがするし、歴史ってやっぱり人間の一人一人の営みから成り立っている感じがして面白い。ビザンツ大好きな後輩が時間遡行できることになったら、きっとこの門を閉めに行くんだと思う。

さて、存分に壁を見たことだし、さっそくトルコを味わいにいく。

いざ、憧れのバザールへ!

アラジンの映画の見過ぎか、中東のバザールにはめちゃくちゃ憧れがあった。買い物も好きなタイプなので、ワクワクドキドキでバザールへと向かう。

バザール入り口

トルコの観光名所は固まってるので、バザールまで観光要所から歩ける。ただ私達は壁を見てたので、バザールまでトラムで移動。壁は街の縁にあるからな……。

バザールの地図。本当にわかりにくい。

壁の見過ぎで疲れていた私たちは、この地図の中央左側にある「 One of the most famous tea houses in the Bazaar」と書かれた店へと向かった。座ってお茶をしながら計画を立てたかったのだ。

Tea houseとやらでたべたやつ

そしたら、このカフェ、ぼったくりレベルに高かった。いや、全くぼったくりではないけれど、入り口にメニューが置いてなかったから、入店した後にバカ高いお店だと発覚。バクラヴァとチャイティーを飲んだだけで3500円くらいかかった。(現金で払ったせいでレートが高いのもその一因。)あんまり覚えてないけど、チャイティーは100リラ以上した気がする。
でも悔しいのとゆっくりしたいのと、疲れすぎててやべえ店だと思うのもだるくて、大富豪の気持ちでカフェを楽しんだ。内装はかなり凝ってたし、店員は男女両方ともいて近代化されていた。価格はおかしいけれど、ようやく安心してお茶ができたのも事実だった。

この時の安心をもう少し深堀りしておきたい。
すでに述べた通り、トルコは男社会だった。いくら近代化したとはいえ、ムスリムが多い社会ではやはり女は表には出てこない。このバザールも、大量の店が並んでいるがすべて店主は男性だ。それは、女性が好きそうなアクセサリー屋さんでも同じで、女性は観光客以外いない。もちろん街も、基本的には男性が働いていて、女性がいるのは公的な場所のスタッフや大企業のチェーン店のレジのみだった。
男性だけしかいないと、なんだかとても不安になる。多分、この人たちが結託したら怖いなとか、この人たちは女性が外を歩いているのをみてどう思うんだろうとか、そういうのが気になるんだと思う。言葉がしっかり通じないのも、もちろん原因としてあるけど、この人たちは「女性を排除している社会の男性」って思っちゃって、うーん……。
実際は、バサールの人たちは観光客に優しいし(観光業だから当たり前だ)、彼らから嫌な思いをさせられてはいない。笑顔で接してくれるし、本当に親切な人も多かった。けれど、なんだろう、おそらく私が「自分は男性よりも弱い」って認識があるから、いっぱいいると怖いんだろうか。う〜ん。

そういうわけで、女性も働いていたカフェはちょっと安心した。

バザールの中の様子。地図はすごくわかりにくいが、給水場所を目印に読むといいっぽい。

ティータイムを終えた私たちは、ほとんどぼったくりカフェの近くで布を購入。バザールをずっと歩いていて思ったのは、バザールでいいお店っていうのは、呼び込みがほとんど無いお店だ。その布屋さんはほとんど客に話しかけてこなかったので、安心して購入できた。
反対に悪いお店は、値段が書いておらず客の反応を見て値段をいうお店。ガイドブックとかでは「値下げ交渉を楽しもう」とかあるけれど、値段書いていない店での値段交渉って、ガチで意味わからん。そして、そういうお店は大抵、しょうもない品を置いている。手作りの陶器で、絵もオリジナルだとか言っていても、棚の奥の埃被った古い品物はプリントが浮いていたりして、全然オリジナルではなく、大量生産品だったりした。偽ブランド品ショップや、怪しいアクセサリーショップなど、そんなのばかりで、本当に良さそうなお店を見つけるのは至難の技だった。
私はどうしても香水瓶が欲しくて歩き回っていたのだが、香水瓶がなかなか見つからない。というか全く無い。あまりにも見つからないので、呼び込みをしていたおじさんに「あちきは、香水瓶を探しているのだが……」と聞いてみた。すると「この道をまっすぐいって五つ目でまがるといい、背の小さい男が香水瓶を売っているからね」と教えてくれた(ちなみに行きたい人のために書いておくと、PERCACILARって通りだったと思う。違ったらその奥のPERDAHCILAR SOKAGIかも)。予想以上に親切でおどろいたし、バザールの中の人間たちはみんなかなり仲が良いのかもしれないと思った。たしかに、同じバザールで働いているのに、仲が悪くてもしょうがないか。
香水瓶のお店は、たしかに背の低い男の人がやっていた。すべて手作りのガラスの香水瓶のお店で、100-400リラくらいで可愛い香水瓶が手に入る。私はこれが目的だったのでじっくり狭い店の中で香水瓶と向かい合った。途中でフランス人がやってきて値下げを求めると、店主は少しまでは値段を下げていたが途中から「うるさい、払えないなら帰れ!」と言っていた。おそらくフランス人は「バザールでは値下げをするもの」と考えていたけれど、この店主はそうではないと考えてた。店主に話をきいたら「あんなふうに呼び込みばっかりして値下げして売っている奴らのせいで、客もだめになっちまった。本当はこうあるべきではない」と言ってて、頷くしかできなかった。バザール、もっとヘルシーな運営ができるといいね……。ちなみに、店主は私がいくつか香水瓶を買ったら、100リラオマケしてくれた。

香水瓶(300リラ)。かわいい。友達撮影。


さて、問題はここからだった。先ほどのぼったくりカフェで現金をほとんど使った私は、支払い金額を現金では持っていなかった。店主は「キャッシュオンリーだ」と言ってくる。「ないかも」と伝えると、店主には「財布を見せて」といわれたから、お札を全て出したけれど、全然足りない。これにはさすがに私も焦った。
店主は「キャッシュカードで現金を下ろしてくるといい」と言うが、トルコで現金をおろすのは手数料がものすごく高い(1500円程度)って話を前日に見た動画でYoutuberが言ってたので、ATMを使うのは嫌だった。なので正直に、「それは無理」だと伝え、「現金で買える分だけ購入させてくれ」と伝えた。すると店主は「じゃあ俺が他の店できんを買うから、その店のクレカの機械で決済をしてくれ」と言い、品物と私を連れてなにやら怪しげな金の店へと案内してくれた。

なにやら怪しげな金のお店(たしかここ)

意思疎通が不安だったので「私はきんいらないんだけど!」と伝えたが、「大丈夫、俺が買うだけだ」と言っていてやはりその店のクレカのカード機械を使用するとのことだった。
金の店には男の人が四人くらいいて、香水瓶の店主とはもちろん知り合いだった。香水瓶の店主が私の購入した金額を告げると、金の店の男がクレカの決済の手続きを始めて、私はそこでちゃんと値段を確認してから支払った。香水瓶の店主はそこで、諸々のレシートなどを受け取り(もちろん金は買ってなかった)品物を渡してくれた。香水瓶の店主としては、現金でもらえるのが一番いいのだろうけれど、クレカでもこういう方法で支払いに対応してくれるとは思わなくって驚いた。手数料分申し訳ないなと思いつつ、目的の香水瓶も買えたことでルンルンでバザールを後にした。

バザールは、結局いろんな人のブログを読んだけれど、どの店がいいのかは自分で足を運んで調べるしかない。あと、おそらく店の入れ替わりが激しいから、情報はすぐに古くなっているはずだ。客引きはたくさんいて歩きにくいが、話しかけてみると、べつに嫌な感じではない。歌舞伎町のお兄さんが「お姉さん、ホストはどう?」とうっとおしくても、道を聞くとちゃんと教えてくれるのと同じだった。
お店の人たちは、労働組合みたいになってるのかしらないけれど、きっと相当繋がりがあるのだと思う。だから同じ系統の店でなければ、店の場所も聞いて大丈夫だ。(布屋に布屋の場所を聞いちゃダメだけど、布屋に香水瓶の店の場所を聞くのは大丈夫)バザールはとにかく広いし同じような店がたくさんあって、道については店の人に聞くのが一番手っ取り早かったから、むしろ聞く方がいいと思う。最後に笑顔でありがとうを伝えるのを忘れずに。
あとは、香水瓶の店主みたいに、金の店に行ってクレジットカードを使わせてくれるとは限らないから、できるだけバザールにはキャッシュを持っていくのがいいと思う

後輩「ボスフォラスツアーに行きたいんです」

さて、ボスフォラスツアーに行きたいらしい後輩と共に海辺へと向かう。
ボスフォラス海峡といえば、世界史でやったやつだ。ダーダネルス海峡とどっちがどっちかを選ばせる問題で名高いやつ。150リラで船に乗れるということで乗船。

ボスフォラスツアーチケット

というわけで、海にインした。チケットを買う時には、30分と書いてあったはずのツアー、実際は1時間半だった。英語での記載で「30mins」だったから読み間違えたと思い難いが、どういうことなんだろう。最初の20分くらいはドキワクしてたけれど、だんだんみんな景色に飽きて、船上のテンションが落ちてくのがおもしろかった。
有名な(私にとっては無名だったが)ガラタ橋を通って、金閣湾なる湾へと進んで行く。
あんまり船にも景色にもそこまでの情熱がないので、ボーッと波と街並みを見ながら過ごす。たくさんの家が岸に建っているのを眺める。歴史で学んだような諍いが、この地で起きてたっていうのを思うと、人類ってそんなにすごくないっていうか、当たり前のことの積み重ねが歴史になっちゃうんだなあって思った。
街をみていても、ミケーネ文明ほど「いやそれどうやったのさ」みたいなものはなくて、同じ人間がつくった歴史だなあって実感する。それまで、現代と過去の歴史の連関をあまり感じたことはなかったけれど、景色を見ながら、いややっぱり過去が現代に繋がっているんだなとか感じたりした。セルフ映像の世紀。
今思うと変なこと考えてるから、船酔いとかしてたのかもしれない。ちなみに船上で売ってたチャイティーは10リラだった。カフェの異常さがわかる。(チャイティーは空港でさえ30リラだった)

ガラタ橋と船

テオドシウスのオベリスク

テオドシウスのオベリスクと呼ばれる謎の棒

ブルーモスクの近くに、とりあえず謎の棒が刺さってたのでそれを先に紹介する。テオドシウスのオベリスクという名前だが、厳密にはテオドシウスが作ったのではなく、彼がエジプトから持ってきたオベリスクらしい。なるほど、ビザンツな雰囲気がしないと思ったらそういうことか。ビザンツではこういうタイプの石は見ない。(エジプトの赤花崗岩で作られたらしい、どうやって作ったのか気になるなぁ〜!)
なおオベリスクとは、こういう棒のことを言うそうだ。ギリシャ語の「串(obeliskos)」が語源らしいのであながち棒でも間違っていない気がする。

エジプトの、トトメス3世(紀元前1479-1425) がミタンニで勝利した時の記念で建てたらしい。ミタンニという言葉、すごくひっかかって、「うん……? これも世界史の知識か……?」と思ったが、「いや違う……『王家の紋章』の知識だ……イズミル王子の妹の名前だったっけ」って気付いて、その後調べたらイズミル王子全然関係なくて、『天は赤い河のほとり』で読んだ知識だった。私はイズミル王子に拐われたい人生だった。あと世界史でも普通に勉強してた。

このオベリスク、もっと長かったけれど、持ってくる時に折れたりしたんだと。今でも十分長いのに、本来の長さだったら迫力が凄かっただろう。あとこれ、下手したら、今回見た中で一番古い遺跡かもしれない……ミケーネも古かったけど……。なのに状態がよい。
てか、全然文字が読めなくてウケる。エジプトの風を感じて、エジプトに行きたくなってきた。次の旅行先はエジプトだな。……いや、誰と行けばいいんだ?

まったくの余談だが、このオベリスクがある広場では、2016年に自爆テロが起きている。観光のツアー客を巻き込んだ自爆で、10数人巻き込まれた。日本ではそこまでニュースになっていなかったが、その頃にトルコ人の友達が自国は不安定だと言っていたのを思い出した。こんな安全そうな広場で(しかも私たちはこの広場の近くのホテルに宿泊していた)、数年前に自爆テロがあったと思うとちょっと怖い。

世界で最も美しいブルーモスクへ!

さて後輩はビザンツ王国にしか興味がないので、一人でブルーモスクへと向かう。

ブルーモスク外観

ブルーモスクは、礼拝の時間には観光客入り口が閉じてるから、あらかじめ時間を調べてから行ったほうがいい。
また、モスクの見学の時には女性は肌が見えないように、長いスカートやズボン、長袖や羽織りを持っていき、髪の毛を隠す布も持っていく必要がある。
一応忘れると貸してくれる。男性も足が(膝とか)見えているとスカートをはかされる。

男性用の洗い場

イスラーム教では礼拝前に手足を清める。そのための洗い場がモスクの外にあった。男性の信者たちはここで実際に手足を洗っていた。
じゃあ女性はどこで清めているのだろうと思ったら、少し離れたトイレに洗い場があった。結構綺麗だし、拭くための紙も置いてある。

女性用の洗い場

私は信者ではないので洗い場を横目にとっととモスクの中へ入った。
モスクの中は、信者用のスペース(前方)と観光客用のスペース(後方)に分かれていて、信者は規程の礼拝の時間以外に来ても礼拝ができるようになっていた。
イスラーム教の礼拝は、いつでもできることになっていて(もちろん規定の時間はあるが、必ずしもその時間でなければならないというわけではなく)、大体一人が前でお祈りをしてその少し後ろで他のメンバーも一緒にそれに参加している。(これは東京ジャーミィのムスリムに聞いた話。)観光客である私たちはお祈りをしている人たちを見ながら、ブルーモスクの中を見学した。

ブルーモスクの中はすごく綺麗だった。以下は、近くにいたツアー客のガイドが話していた内容からの情報である。それにしても、まるで英語がわからない人の如くガイドの説明を盗み聞きするのは高等技術がいる。

中央の円が中心のドーム。下に2本見えるのが象の足

モスクの中央天井は、大きな丸いドームになっていて、それを囲むように4つの半円のドーム、さらにそれを囲んでいくつものドームがある構造になっていて、それぞれが中央の一番高くて大きいドームを支えるために造られているらしい。またモスクを支える4つの大きな柱があり、それは「象の足」と呼ばれている。この「象の足」ももちろんモスクの天井を支えている。この複雑な構造のおかげで、地震にも耐え切れているらしい。ドーム上の天井にはイスラーム文様が描かれていてとても綺麗で、ずっと眺めていられた。
中央のステンドグラスは、色ガラスを各地から集めてきて作ったものらしく、すごく美しかった。ていうか綺麗すぎて美の渋滞起きてた。

シャンデリアの中央にはダチョウの卵モチーフがついていた。

シャンデリアには卵をモチーフとした飾りがついていて、それはダチョウの卵だそうだ。ダチョウは虫(とくに蜘蛛)を追い払ってくれるから、トルコでは伝統的に、ダチョウの卵のモチーフが飾りに使われているらしい。
ブルーモスク、世界一美しいと言われるのに値する美しさだった。

混沌のハギア・ソフィア

さて、ブルーモスクの近くにはハギア・ソフィアがある。ブルーモスクはモスクとして建設された正真正銘のモスクだが、ハギア・ソフィアはビザンツ帝国時代に教会として建てられ、それがモスク化したものだ。

ブルーモスク出口から見えるハギア・ソフィア

今更だけれど、今回の旅行でイスタンブールが一番観光地っぽかった。アテネよりもさらに人がいて、びっくり。

ハギア・ソフィア。後輩撮影。ビザンツ強火な後輩撮影なのでミナレットが入っていない。

ハギア・ソフィアの外観は、ピンクのような赤い色で、ビザンツ建築っぽさがある。朝9時ごろに行ったが、ずいぶん入場列が長くて20分くらい並んだ。後ろに並んでいるイタリア人がハギア・ソフィアの成り立ちを話していたのでそれを聞きつつ少しずつ進んでいく。
全然関係ないが、私は英語の他にはフランス語とかラテン系の言語は聞き取り得意なので、そこらを歩いてるフランス人とかの話をうっかり聞いてしまっている時に、盗み聞きしている気持ちになってなんか申し訳ない。あっちはアジアの小娘の私がフランス語わかるって夢にも思ってないだろうし。逆に私も日本語で「どうせ日本語わかるやつおらんやろ」前提で、日本じゃ到底できない下世話な話を大声でするし。でも、誰に聞かれてもいい話しかしちゃダメだなって妙に反省した。閑話休題。
肌を隠して頭にヒジャブ(布)を巻き、入り口を抜ける。ちなみに布はバザールで買ったやつだ。

すると、一番最初に目に入るのがコレ。バットレスだ。

ハギア・ソフィアのバットレス

ハギア・ソフィアの記事で初手がバットレスなのもどうかと思うが、これはビザンツ建築の大きな特色だから仕方ない。テサロニケ編で見た、アーチのことを思い出してもらいたい。あれは、いわゆるヴォルト(valut)と呼ばれるのだが、力(下の画像の紫色の矢印)が左右の水平方向に流れていた。

赤い四角がバットレスの役割。(矢印の長さ太さ個数はとくに意味がない)

この、紫色の横に流れる力を、アーチの外に壁を立てることで支えるのがバットレスだ。ハギア・ソフィアのバットレスは、この赤い壁が四つ並んでいるものと言っていい。
そして、このバットレスがどんどん進化して、フライング・バットレスっていうのまで出てくる。ゴシック建築で見られるやつだ。ユニークな名前すぎて好き。ああいうの、ただの装飾かとおもったら、建築の構造上必要なものだと知ってテンションが上がってくる。詳しくはリンクを貼っておくので気になる人だけが読んでくれれば良い。

ハギア・ソフィアでは、このようにバットレスによって構造を安定させていた。先ほどのブルーモスクでは、幾つものドーム周りに建てることで、そうしていた。建築方法の流行も、時代を経て変化したりしていて、比べると楽しい。

さて、モスクは土足厳禁なので、みんな靴を脱いで靴箱に入れていた。靴を無くしたくない人は、自前の靴袋を持って行ったほうがいい

114に入れた、アテネのStradivariusで新調した私の靴

モスクの中は人が多すぎてよくわからなかったし、アプスの部分のフラスコ画は、モスク化したことで、布で覆われていた。2階にも色々な見どころがあるが、どうやら立ち入り禁止だった。(ガイドブックには載っていたので、博物館時代は見れていたのかもしれない。または公開時期があるのかもしれない)
イエスの絵を隠したアプスを前にムスリムたちが礼拝していて、結構カオスだった。ここも、アテネの教会と一緒で、この教会を母教会にしている人ではなく観光客ムスリムがお祈りに来ているのだろうと思われた。

ハギア・ソフィアの内部

実は以前まではハギア・ソフィアは、博物館だったのだが、エルドアン政権でモスクに戻った。モスク化したことで入場料は無料になった代わりに、管理が雑になっており、「これでいいのか……?」と不安になることが多かった。
ハギア・ソフィアは、ブルーモスクのように、信者たちのために礼拝をする場所は設けられておらず、ガヤガヤした観光客の合間で信者たちが礼拝をする羽目になっていた。かわいそうだ。また、教会時代のフレスコ画やモザイク画は布で隠されていたり、立ち入りできなくなっていたりして、観光客にとってもいまいちだった。唯一しっかりとみることができるのはこの聖母子を、ユスティニアヌス1世、コンスタンティヌス1世が囲んでいるこのモザイク画のみ。

ハギア・ソフィアのモザイク画

こんなわけで、イスラム教徒にも観光客にも、どちらもLose-Loseの関係になっていて、残念な観光地だっだ。モスクならモスクとして、信者のために積極的な線引きをしたほうがいいと思うし、博物館にするならするで、入場料をとってしっかり維持に努めたほうがいいのではないかと思った。

ちなみに、ブルーモスクは信者の方たちが入場料を肩代わりしてくれていることになっていて(それがおそらくモスクの維持費などに使われている)、館内にはスタッフがしっかり配置されていたし、秩序があった。
ただ、ブルーモスクが最高だとも思えない。ブルーモスクの信者達のスペースは、あくまで男性の信者達のためであって、女性の信者は観光客用のスペースのさらに後ろの壁の近くで礼拝をしていた。これは、ブルーモスク云々というより、イスラム教の話だけれど、この宗教のせいで女性が虐げられているのは事実だと思う。信仰の話だから、とやかく言うのは良くないとも思うんだけれど、男女って選んで生まれて来るわけではないし、そういう線引きはどうなのだろうとも思う。日本の東京ジャーミィに行った時には気づかなかったけれど、ここでは男女の性差は非常に大きい。ムスリムの多い国に訪れてみて、初めて味わった違和感だった。

ハギア・ソフィアは朝から雨で萎えだったし、結構並んだし、その上で内部の公開場所が少なくて、残念なことが多かった。が、行かなきゃわからなかったし、満喫っちゃ満喫した。

イスタンブール考古学博物館


気を取り直して、博物館へ。この時も雨が降っていたのでややブルーな気持ちでチケットの列に並んだ。15分くらい並んだかな、イスタンブールはアテネに比べてもかなり観光客がいるから、どこも混んでいる印象。

入り口の写真これしか撮ってなかった。後輩撮影。

ちなみに、博物館も一部はClosed で、みたかったビザンツの展示は見ることができなかった。私たちが見たのはおそらく、本館と呼ばれる建物にある展示のみだ。

有名なのはこの、アレクサンドロスの石棺。

アレクサンドロス石棺

アレクサンドロス3世を描いた石棺らしい。私は存じ上げないが、どうやら偉人っぽいなと棺桶から察する。

写真の上部、馬に乗っているのがアレクサンドロス

もとは着色されていて、かなり派手だったようだ。
意匠が凝らされていて、当時の職人たち頑張ったんだろうなと感じる。すごい迫力。調べてみると、どうやら、たった6人の彫刻家によって作られたらしいが果たして……。

この石棺は、シドンのネクロポリスで見つかったらしい。それはそうと、ネクロポリスって言葉、かっこよくてテンション上がるなあ。
この石棺の隣に展示されているのが、「嘆く女たちの石棺」である。

嘆く女たちの石棺

アレクサンドロス石棺を見たあとだと、温度差がすごい。とにかく女の人たちが泣いてる石棺で、棺桶としてはめちゃくちゃ適切で笑えた。悲しいよな、人が死ぬと。

他にも展示物はたくさんあってボリューミーな博物館だった。が、いかんせん説明が少なくて、鑑賞するのが大変な展示だった。

可愛かったから写真を撮った石像。今見ても可愛い。

詳しい人と一緒に行ったり、雨が降っている時の雨宿りとかにはいいスポットだと思う。

待ちに待ったトルコ飯! ケバブ①

さて、トルコで食べたケバブを紹介しよう。一つ目はバザールの裏(どこが裏で表かわかんないけど)にある秘密基地みたいな場所にあったケバブ屋さんだ。後輩の愛読ガイドブックの情報だったはず。

ケバブ屋さんに向かう図。手前は後輩だが、念の為モザイク多めに入れておいた。

この結構やばそうな、観光客ほぼゼロの道をさらに曲がった。

曲がった後の道

この上の写真の左の壁にある赤い看板があるところがケバブ屋さんだった。一人だったらこういう道絶対通っちゃダメだと思うってくらいローカルで男の圧がすごかった。こんな場所の店を見つけてくるガイドブックがむしろ怖い。

ケバブ屋さん内部

そんなやばい立地だったが、最高のケバブを頂いた。95リラ。トルコのケバブは、結構スパイスとかが効いてて味に深みがあって美味しい。辛かったり、少し渋かったり、炭焼きのお肉とすごくマッチしてて、ビールとかハイボールがすごいあいそうだった。シャキシャキの野菜も美味しい。写真ではこんな雑に扱われている野菜なのにすごいマッチする。ハイパーハードボイルドグルメリポートと同じで、こういう場所で食べるから美味しいのだろうか。とにかく美味しくてリピートしたかった。(ちなみに後輩は全然お気に召さなかったみたいなので、これは好き嫌い分かれるんだと思う。)
店のインスタはコレ。なんかインスタ交換したら、私のインスタフォローしてくれたんだけど、店のインスタのフォロワー数1でそれが私なのはキモすぎたからブロ解しておいた。ごめん。

バザール入り口ケバブ②

さて、これとは別にもう一店舗ケバブ屋さんに行った。こっちはバザール入り口近くの、観光客も割と多いケバブ屋さん。

バザール前のケバブ屋さん。

テーブルで何か食べてる人たちもいた。野菜が取り放題なのかわからないけど、色々チョイスしながら食べてるのは楽しそうだった。香辛料系の幅がすごくて、興味深い。今思えばこういう料理系のバザールもあったから行けばよかったな……。

バザール前ケバブ

ケバブはサンドではなくて、ラップだった。(ピタパンじゃない薄い生地に包まれたやつをラップと言う。)
こっちもこっちでスパイスが効いてて美味しかったが、肉も野菜も、ちょっと量が少なかったかも。あとラップの生地が厚かった。これも好み分かれるけれど、肉多めだと生地厚いほうが美味しい気がするし、野菜多めだと生地は薄いほうがシャキシャキ感が出て美味しい。
席は埋まってたのでワイルドに立って食べたけれど、こっちの文化は立って食べるの大丈夫なのかわからない。ごちそうさまでした。

おしゃれレストランケバブ③

あと、レストランっぽいところでもケバブを食した。
てかケバブの定義がわからんくて、肉系のやつ全部ケバブって呼んでる。調べた感じそれであってるっぽいから、ケバブと言ったら焼いた肉だと思って欲しい。日本だとケバブ屋さんのケバブって、炊飯ジャーみたいなやつにいっぱい入ってるのをピタパンに野菜と一緒に詰め込むサンドが多いけれど、こっちではちゃんとその場で焼いた肉がちゃんとでてくるから美味しい。

レストランでは、野菜ケバブみたいなメニューを選んだ。肉にも(ひき肉)野菜が入ってるケバブが出てきて最高だった。トルコのケバブはラップでも結構野菜も入ってて、いい味を出してて美味しい。

レストランで食べた野菜ケバブ(ベジタリアン料理ではない)

ところで、新宿三丁目近くでかなり似たようなケバブが食べられるから、気になる人は行ってみてほしい。お店は入りにくいオーラだが、いつ行っても客がいて、地味に人気なお店だ。現金でしか払えないので注意が必要。

最終日イタリアンディナー

そして、トルコ最終日に行ったのがこのイタリアン
確か前日とかに後輩が「豚が食べたいです……」(ムスリムが多いからそもそもメニューに豚がない)と「トルコ料理もう嫌です……」みたいなこと言ってて、正直「でも後1日で日本帰るんだし、日本でイタリアン行ったほうが美味しいだろ……待てないのか……?」って思ったし、もしかしたら言ったんだけど、なんだかんだイタリアンを来訪した。相変わらず面白い後輩だった。

トルコ土産で人気のランプがレストランを彩っている

オシャレなレストランで、お客さんもかなりいた。私はトルコ料理が結構好きなので、レストランでもトルコ系料理をチョイス。Mantiって呼ばれているトルコのパスタっていうかラビオリ。上のトマトソースとぶつからないかな?って思ってたけど、全然調和してた。美味しい。ラビオリ手作りだったらもっと美味しかっただろうな〜。でもこのサイズの店とメニュー量でラビオリ手作りは鬼畜だよな〜。また食べたい。

ヨーグルトとトマトのラビオリ

ヨーグルトソースはケバブにのみ、かけるものだと勘違いしてたが、トルコでは普通の味付けのようだった。日本でもぜひ食べたいけれど、どこで食べれるか全く想像がつかない。トルコ料理店……?
多分作ったほうが早いし好きな量食べれそう

ということで帰国後に作った。生地から。
東京でこういうマンティが食べれる場所が見つからなかったのだ。

マンティのために強力粉を捏ねる私

一応参考にしたのはこの動画。簡単そうな動画だったが実に大変だった。お店のようにトマトソースをかけるのは観光地だから外国人の舌に合わせただけだったみたいで、実際はバターソースで作るのが一般的のようだ。

このお姉さんの指示に従って、生地をこね、具を包む。時間かかるしだるいしめんどいけど食べたさ一心で作る。

包作業中

生地をうまく同じ厚さに伸ばすのが難しいのと、生地を切る道具がなくて家にある適当なアイテムでやったのでいろいろたいへんだった。でも包むのは餃子より簡単。四方をつまむだけだ。

包作業終了

ここまでできればソースは簡単なのでチャチャっと茹でて完成。

自作マンティ

YouTubeの動画だと、最後のバターソースにはカイエンペッパーをたくさん入れて真っ赤にするんだけど、流石に辛すぎるだろうと思って少ししか入れなかった。けれど実際食べてみるとこのカイエンペッパーが肝だった。食べる前にめちゃくちゃかけて食べた。
ヨーグルトの酸味をカイエンペッパーが引き締めるというか、ソロでカイエンペッパーだったら泣くほど辛いんだけど、本当にヨーグルトと合う。びっくりする。
そして自作のパスタが美味しい。中には挽肉と玉ねぎのほかにマッシュルームとひよこ豆を入れたので、味に深みがあって最高。何度もおかわりするくらい、すごく美味しかった。
ただやはりヨーグルトソースを料理に使うのを受け入れられるかは人それぞれなので、こんな大量に一度に作らないほうがいいかもしれない
さて話を戻そう。

社会から隔離された酒瓶

トルコのお酒も飲みたいと思ってスーパーを回ったが、スーパーには一本も酒がない。てか酒のコーナーがない。スーパーは二軒回ったけど無くて、トルコと酒でググったら、どうやら普通の場所には置いておらず、TEKELと書いてある場所にしか売っていないそうだった。トルコ語でTekelは「独占」という意味らしく、日本ではJTがタバコを扱っているみたいに、トルコではTEKELが酒を扱っているのかもしれない。とにかく、TEKELと検索すると結構な店舗数が出てきて、私はそこへ向かった。
TEKELはホテルのそばにもあった。

Googleマップから拾い画。この店に行った。

探せば街でめちゃくちゃ見つけられたから、そういう場所なんだと思う。つまり、気づくまでは視界に入らなかっただけで街にはいっぱいあった。
店内は、コンビニの酒コーナーとつまみコーナーとちょっとしたガム類などを取り出してきたみたいなマーケットになっていた。私はそこでビールとウイスキーを購入。
酒は黒い袋に入れられて渡された。全く透けない。トルコでもらった他の袋は薄くてすぐ切れそうな袋ばかりだったが、この酒を入れる袋はどう頑張っても破れなそうな強靭な袋だった。酒が入っていると見えてはいけないのかもしれない。生理用品でも買った気分だ。
店員さんにその袋ごと秤に乗せてもらえるように頼んだら、最初は怪訝な顔をされたが、預け入れ荷物の容量を心配していると分かった途端に「仕方ねえな酒クズはよぉ!」と微笑まれたのが良かった。ちなみにお互いに言語が通じないのでほぼジェスチャーだった。
トルコでは酒は夜10時までしか店舗で販売してはいけないらしい。規制の強い中で飲む酒は一段とうまい。でもこれ他人事だからいいけど、実際日本で飲んでて10時以降に酒が切れてそれ以降買えなかったら、発狂してドブの水とか飲んで腹下して死ぬ。

EFESビール

ギリシャといえばEFESビール
黄金のラベルと二種類あった。こっちはノーマルのやつで、飲みやすい軽いビールだった。ギリシャもそうだけどビールが軽くて美味しい。てか、瓶ビールってマジで美味しいな、日本もコンビニに瓶おいてほしい。

そして、晩酌のお供はギリシャで買った謎のお菓子Capriceだった。

ギリシャのお菓子、Capriceが酒のお供

あんまり合わない。ギリシャでは Capriceがどこでも売ってるから大人気商品だと思ったが、味はいまいちっていうか、見たまんまの味っていうか。チョコレートの甘さが控えめで、なめらかじゃないのが微妙だった。そのくせ外のビスケットも軽めで(もうちょっとしっとりして欲しかった)、バランスが悪い。
とか思ってたけど酒が進むにつれてめちゃくちゃ美味しく感じた。いや、Capriceめっちゃ美味しいわ。単体だとダメだけど、飲み物とマリアージュすることで無限の可能性を感じた。酔ってた。

そしてこれがラク(Raki)と呼ばれるお酒。

トルコのお酒ラク

ギリシャのウゾは飲んだ時に、なんかいろんな薬草っぽいのが入ってるのを感じる。あとはどちらかというと甘くてスッキリしている。白濁って面白効果があるから飲みたいって思うけど、別に普段からガブガブ飲むような酒ではない。似てるのは強いて言えばアブサンとかかな。ラクは、そのウゾのトルコバージョンだと思っていた。
実は飲むの初めてで、飲んでみたら、全然ウゾと違った。

Yeni Rakiのお酒の注ぎ口

そもそもこのお酒、あまりに度数が強いからか、注ぎ口がシロップ用みたいな、小さな穴の注ぎ口になっていた。本当にちょっとずつしか注げない。

ウーゾ効果で白くなったラク

トルコのラク、味のクセが強い。ギリシャのウゾとは確かに系統は似てるけれど、全然違う味がする。飲み比べで絶対にわかるレベルに違う。
まず、度数がウゾより高くて、これは45度ある。ウイスキーとかでも、40度から43度くらいが多いので、45度っていうのは結構強いイメージ。まあもう40超えると誤差かもしれんけど。
ウゾは、薬草っぽい香りがしてかなりスッキリした味だが、ラクはスッキリを感じるまでの味の複雑さが半端ない。トルコのスパイスを味わってても思ったけれど、舌で楽しむ芸術みたいになってるっていうか、こう、複雑な色んな味が通り過ぎるのに圧倒された。ラクも、薬草の香りと同時にちょっとスモーキーな感じもしたし、一つの飲み物を飲んでいるとは思えないような、とにかくクセが強い味がした、こんな飲み物があるんだってびっくりした。これは、下手したらハマってしまうかもしれない味だった。
とはいえ、ラクもウゾと同じで食前酒的な扱いなので、ハイボールにしてガブガブ飲んだりはしないようだ。
トルコ、食の文化がすごく発達している。食べることとか料理が好きな友達と旅行に行ったらまた違った楽しみ方ができるかもしれない。

以下、旅行記というよりもトルコへの感想。(読まなくて大丈夫)

トルコリラ、インフレ、エルドアン

2泊3日の間、あまり天気が良くなくて残念だった。雨が降っててたので、ギリシャほど写真も撮れてない。それにご飯は最高だったけど、イスタンブールっていう観光地がイマイチだと感じた。愚痴っぽくなるけどその理由を書いておく。

モスク化しているハギア・ソフィアなどの観光地は入場無料だったが、他の施設は外国人向けに高額な入場料を取っていて萎えた。トプカプ宮殿は、トルコ人向けには150リラなのに、外国人には950リラだったりした。その、なんだろう、ギリシャの遺跡が安すぎたのかもしれないけれど、観光地の入場料が高いとマジで萎えるんだな……。
そもそも、今トルコは大統領エルドアンのせいでめちゃくちゃインフレだ。街でサンドイッチを食べるにしても、ギリシャでは600円程度のものがトルコだと1300円を超えたりする。ここはアメリカ?
このインフレを思うと、むしろ観光地などはインフレに苦しむトルコ人のために、トルコ人チケットの値段を頑張って抑えているのかもしれない。

エルドアンについては、すきぴ曰く、最近はあまりにインフレがやばすぎるから中央銀行に少しはまともな政策をやらせているらしいと聞いたし、これから経済が軌道に乗るのかもしれんし乗らないかもしれない。経済に関しては意味わからんすぎるからこれ以上何も言えないなぜ……。
でも、それなりの入場料を払ってるのに、展示物の説明が不十分だったり、そもそも展示が閉鎖されていることがザラにあって、それもテンション下がる原因だった。ギリシャから来ちゃったせいが多いにある気がするけど、もっと展示物の説明しっかりしてほしいし、こちらが「トルコを学びたい」と思ってる意欲を尊重して欲しかった(何様?)。冗談抜きで、マジで、もっと学芸員さん達は頑張ってほしいし、国はそこにお金をもうちょっとかけてあげろ……。

こうやって、世界を旅行できるようになったっていうのは素晴らしいことだと思ってて、「あの国のいいところを知ってる」「この国をいいところを知ってる」が増えれば増えるほど、世界はより理解しあって平和になると私は理想的に思っている。そう思うと、来てくれた観光客を大事にするのは意味のあることだし、逆に観光客がその地でマナーを守ことも重要なことだなと感じた。日本も頑張ろう。

10リラ!ミッション

ところで、バザールのためにかなりの現金を持っていったが、この現金がなかなかくせものだった。トルコリラ、日本円からトルコリラに変える時は1リラ=8.5円くらいだったんだけど、リラを日本円に変える時は1リラ=2円くらいに下がるのだ。成田で空港の両替のお姉さんからは「絶対に使い切って来た方がいいです」と念押しされていた。だから私もどうしても使い切りたくて奮闘する羽目になった。
帰国日の当日、手元には43リラくらいが残っていた。この時点でかなり頑張って使った方だった。確か1,400リラくらい持って行ってたから。
先述した空港へのバスはカードで支払ったので、空港でこの43リラを使い切らなきゃならない。インフレは、空港だとなお酷くて、43リラで買える物なんてないに等しかった。けれど頑張って頑張って探して見つけたのがこれ、35リラの栞だ

トルコやギリシャでよく見られるモチーフ「目」の栞

いや〜、お金を全部使い切りたいんだよね」と言って私は43リラを見せながら会計をすると、おじさんは小銭を全部引き取った上で「これでいいから」と言って私に10リラを残した。おまけしてくれたのだ。嬉しいけど、正直困った。10リラ未満だったら、なんかこう、「小銭残ったな〜」くらいで区切りがついたはずなだった。おじさんの善意のせいでお陰で、私は残りの10リラをどうにか使わなければいけないミッションを担った。43リラを使うのも死ぬほど苦労したのに、よもや10リラなんてどう使えばいいんだ。10リラは日本円で55円程度で、水さえ買えない(空港内の水は50リラで売っていた)。そんな時ピンと来たのが新聞だった。インフレの影響を受けにくそうだ!

トルコで最後に買ったもの

見事10リラで、新聞が買えた。飛行機の中で読んだけれど、エルドアンの政策についての記事もあって最後まで楽しめた。

モンゴルトランジット

イスタンブールから日本へは、モンゴルを経由して帰ってきた。Miat航空を使い、まず14時間くらいかけてモンゴルのウランバートルへ向かう。
隣に座ったマダムが、とてもお喋りで仲良くなり、今やメル友になった。ラテン語の勉強をしていると伝えると、好きなラテン語の格言を教えてくれた。

Ad Astra Per Aspera

ラテン語の格言

「困難を通じて、星々へ(目標/栄光へ)と向かう」という意味で、マダムは人生にはたくさんの苦労があるものよと熱弁していた。イスタンブールからの飛行機はそもそも1時間遅れて飛行機の中で離陸しないまま待たされたので、その時点でだいぶ困難だったから面白かった。
あと4時間で着くわよ、あとたったの1時間だわ、とお互いに励ましながら14時間くらいのフライトを乗り切った。ちなみにメールで知ったが、マダムはウランバートルで荷物をロストされてしまい、困難はさらに続いたっぽかった。(後日無事にもどってきたらしい)

ウランバートル空港の謎モニュメント

Miat航空は、行きのやば格安航空とは違って、しっかりご飯も出たし水も飲めた。
すきぴが「モンゴルなら旅行行きたいくらい好き」と言っていたので、チンギスハンの顔の描かれたウイスキーをおみやげに購入して日本行きの飛行機に乗った。

ただ、ウランバートル→日本では、要らないくらいたくさん飲み物が配られたせいで、トイレがめちゃ混みだった。そもそも小さい機体でトイレが少ないに、その上でカフェインを大量に摂取してしまった乗客たちはマジ可哀想。トイレ少なくてフライト短い時は水はそんなに取らないようにしようって強く思った。

ウランバートル→成田

というわけで無事に日本に帰って来れた。これで私の旅行は終了である。

旅行前に、「もしかしたらトルコで死ぬかもしれないから、死ぬ前にやっておきたいことを全部やっておこう」と思って色々なことにチャレンジした話もまたいつかまとめたい。

ここまでの旅行記、長かったにもかかわらずお読みいただきありがとうございました。

アヘザ拝

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