それでもわたしは生きたくて、ヘルプマークを手にした

一度目は、5年前。仕事でシアトルに出張に行った時だった。大事な取材が続く日々、突然今まで感じたことのないほどの強い吐き気とめまいで、立っていられなくなった。ホテルのトイレでひたすら吐いて、吐くものがなくなったら体液を出し続けて、それでも足りなくて目から血みたいに涙が流れた。回り続ける視界に困惑して、自分の身体もそれに合わせて傾いて、まっすぐ歩けなくなった。ひたすら寝て、それでも治らなくて、帰国して病院に行って、やっとおさまった。

二度目は、初めてコロナワクチンを接種した時。耳の奥がぼんっと鳴って、水が詰まったような違和感。ぽこぽこと弾けるような音が止まらなくて、変な音が不規則に鳴り続けることに耐えられなくて、ひとりで足掻き苦しんだ。

三度目は、バンドの大会の準決勝前日。コロナにかかってしまって、やっと外に出れるようになった時に、突然なった。コロナになっても忙しくてお仕事は休めなかったから、部屋に引きこもりながらずっとパソコンで仕事を続けてた。どんなに熱がてでも、喉が痛くても、手を動かし続けてお仕事をした。
そうしたら、倒れた。一人暮らしの自室で倒れた。救急車を呼んで、這うように玄関に向かって扉を開けて、救急隊員の方を家に入れるのに成功した。きったない部屋を見せることやすっぴんパジャマに対する恥じらいなんかどこにもなかった。担架に乗せられて、病院に運ばれた。
その後のことはぼんやりとしていて、よく覚えていない。ただ、いつもは厳しい父が迎えにきてくれて、怒られるかと思いきや心配してくれて、それにうまく甘えられず切なくなったことは痛いくらいに覚えている。

そして四度目の今回。バンドのレコーディングを終えた次の日の朝。また視界がぐわんぐわん回って、案の定耳が詰まって、吐いた。水を飲んでは吐き、寝て起きて吐き、また吐いた。レコーディング終わりに具合が悪くなって、寝れば治るだろうと思ってたら悪化したから絶望した。今週は忙しいのに、なんでこのタイミングで。楽しみもいっぱいあったのに、やりたいこともあったのに。
いろいろ考えながらも、今回は自力で病院に行き点滴を打ってもらった。靴下を履いてくるのを忘れて、冷えのあまりに点滴中にお腹を壊し、トイレで虚無になった。仕事は休めないから、気持ち悪さを我慢して出社した。この症状に慣れてしまえば動くことはできる。ゲロゲロ吐きながら、作業をした。



わたしは、メニエール病だ。
初めて病名を聞く方もいると思うから説明したいのだけど、原因が解明されていないからわたしもよくわかっていない。数年前までは難病指定されていたもので、指定解除されてもなお治療法はない。巷ではストレスや過労が原因でなると言われている。発作が起きると、回転性のめまいが続き、それに伴う吐き気で動けなくなる。
病院で名前を聞いたとき、「台風の名前みたいだな」ってなったくらい、よくわからない。ただ、なると地獄ということだけ伝えられる。

わたしの左耳は、発作が起きると思いっきり聞こえが悪くなる。低音障害が同時に起きてしまうため、低い音が聞こえづらくなる。
例えば、…そう。クリープハイプを聞いてみると、ボーカルの尾崎さんの声は聞き取れるのに、ベースのカオナシさんの音だけ聞こえないという感じ。

耳を極力休める必要があるから、音楽を聴くことはあまりおすすめできることではない。今ライブハウスに行ってみよう。多分、飛んで帰ってこれなくなる。



四度目を経験した今。
わたしはとうとう、ヘルプマークを手にした。
過去、何回か持つかどうか悩んだ機会があったけれど、今回やっと決意をした。
街中で倒れたら多分待ってるのは死だけだし、めまいの途中で倒れて助けてくれる方がいたとしても、話すことなんてできないってもうわかったから。自分ひとりの力ではどうにもならないものを抱えた今、意地を張ってたら死が早くなりそうで、決めた。

もらうのは案外簡単で、駅に行ったらすんなりともらえた。え、こんな簡単なの、って拍子抜けした。無機質な声の駅員さんが「どうぞ」と差し出してきた赤いそれ。十字架に、ハート。震える手で受け取った瞬間、一気に怖くなった。
自分がヘルプマークを手にする日が来るなんて、想像もしてなかった。得たはいいがリュックにつける勇気がなくて、ポケットに入れて電車に乗った。

改めて思うけれど、電車の中にはいろんな人がいる。本当にいろんな人がいる。でもそこにいるほとんどの人は、電車の中にいる自分の存在感を消そうと必死だ。ぶつからないように、目立たないように、ひっそりと存在している。そのくせ、端末を通して覗き見るSNSで自分をアピールしたり誰かの投稿をじっと眺めている。
電車は、息苦しい。酸素がない。水槽みたいだ。
眩暈と吐き気で座りたかったけれど、スマートフォンを見る人々は、前に立つ人のことなんて見向きもしない。あるいは、見ないふりをしているのかもしれない。

今日、ツイッターを開いて衝撃を受けた。昨日はめっきりめまいと嘔吐まみれでSNSを見ていなかったから、今日知った。
なんのタイミングなのか、自分でも不思議だけれど。わたしがヘルプマークを手にしたその世界では、大好きなアーティストが大炎上していた。
そのニュースを知ったのは、わたしが決意をした後で。
なんだかもう気が抜けた。なんだ、この世界。
大好きなアーティスト。別に裏切られたなんて思ってない。元々、そういう思想の持ち主で、そう。それだけのことだったのだ。他人への憧れや尊敬なんて、勝手に自分がその人に期待して作り上げた幻想にすぎない。何度も聴いた曲、わたしの永遠の憧れ。妖艶で知的で、いつかこんな人になれたらいいな、なんて思ってたっけ。
魔法が解けたみたいな、そんな気分。わたしのヘルプマークは、この決意は、ノベルティにはならない。
これ以上言葉にできない。したくない。



普段はこんなに元気なのに、ある日やってくるそれは、わたしの精神を確かにすり減らす。
頑張りたい時に限って、どうしてこうなってしまうのだろう。動けない自分に歯痒くなって、弱い自分が嫌になる。大嫌いだ。
みんな頑張ってるのに、みんな前に進んでるのに、なんでこうなっちゃうんだ。どうして頑張らせてくれないんだ。わたしの身体は、なんて間抜けなんだ。
休むことを悪だと考えてしまうようになったのは、いつからだろう。身体を休めるために横たわると、何もしてない自分が嫌いになって、焦ってしまって、でも動けなくて、それの繰り返し。頭は永遠に休まらない。眠りの中の夢は、いつも残酷。もううんざりだ。
こんな身体でこれからも生きていかなきゃいけないなんて、果てしなくて、疲れた。

大人になるにつれて、人から羨ましがられるようになった。
「さくさんはすごい」「いろんなことができていいな」「尊敬する」「才能があっていいね」。

そんな言葉をかけられるたびに、わたしはどんどん孤独になる。ひとりぼっちになっていくみたいで、世界から見放されるような感覚で頭がおかしくなりそうになる。わたしがどこにいるかわからなくなって、迷子になる。愛想笑いを繰り返していくうちに、自分の笑顔が嫌いになった。笑った顔を見せるのが、恥ずかしくなった。
他人から見たわたしは輝いているのに、わたしからみたわたしはずっと寂しそうだ。

ずっと苦しい。ずっと、孤独だ。
頑張らないと、死んじゃう気がして走り続けてきただけだ。才能なんてない、生まれてこの方自分がすごいと思ったことなんて一度もない。27年生きてきて、「やりきった」と思えたことがほんの一瞬もない。本当にない。何かしらあれよと、むかつくほどに、ない。
偏差値43から早稲田に合格したって、大好きな仕事で成功したって、満足なんかしていない。今だってそうだ。モデルになれたからって、満足してない。これから先のことを考えたら、全てはスタートラインでしかない。

「わたしも、さくちゃんみたいになりたい」

いつかそんなふうに言ってくれた彼女に問いたい。
ほんとうに、わたしになりたい?なってみる?って。この身体で、これまでを生きてきたわたしになってみたい?って。

自分は、辛いです。
自分は、頑張ってきました。
そう聞こえることをこれから書くから、これを読んだらわたしのことを嫌いになる人もいるだろう。
メンヘラだと揶揄する人もいるだろう。
だけどいい。もう、そんなのどうでもいい。ボロボロのわたしを見てほしい。本当のわたしを知ってほしい。
いつか死ぬんだから、それが明日かもしれないから、思いっきり書いてやる。

わたしは、寂しかったんだと思う。
人としても寂しくて、情けない。到底できた人間じゃない。暗くて醜くて、人の何倍も臆病だ。
本心を話したら壊れてしまいそうで言えないから、意地を張っていたけれど。
ずっと、泣き場所を探して生きている気がする。

ブスだといじめられてきた幼少期。
交換日記が真っ黒になって、クラスの女子全員から無視された地獄みたいな思い出。
悔しくて憎くて、真っ暗な感情を全て作文に書いて学年全員の前で読んだあの日。
気づいてたくせに助けてくれなかった先生が号泣してて、鼻で笑った。校長先生が「作文よかったよ。君はもう大丈夫」と爽やかな笑顔を向けてきた時。何も大丈夫なんかじゃなかった。
誰も帰ってこない家で、何度も同じアニメを見た。千と千尋はセリフを覚えてしまうくらいに見た。
父親に殴られてもいつも何もできなくて、兄に夢中な母に甘えられなくて、
真っ暗で冷たい自分の部屋で床に包丁を刺した。
「あんなブス好きになるわけねえだろ」「お前の子供はどうせブスなんだろうな」。女でいることが申し訳なくなるほど、悲しかった。そこから無意識に恋愛を諦めるようになった。わたしなんかを好きになる人が、かわいそうだ。
知らない男性にレイプされかけたあの夜。舌を噛みちぎって走って逃げて、自販機で買ったお茶で何度も口を濯いだ。
仕事で精神を崩した。頑張れば頑張るほど期待されて、その期待に殺された。
兄が病気になった。痩せていく兄を見るのが辛くて、実家に帰っても目を合わせられない。
母が頭の手術をした。仕事は休みをもらえなくて、手術室の前でパソコンを叩いていた。
人の好意を無下にした。幸せが怖くて、逃げる癖がついた。

わたしよりも辛い人はたくさんいる。
そう言い聞かせて、自分の本心を殴って殺して叩いてぶち壊して、本来のわたしじゃない別の何かを心につくった。何枚も鎧を着た。これ以上傷付かないですむように、ひとりで生きていけるように、自立したくて必死だった。

そしたら、これだ。
わたしは、ひとりぼっちだ。

心まで壊れてしまいそうな日々で、体まで壊した。正直生きていく意味がわからない。心は乾燥しきっていて、砂漠みたいで、そこをひとりきりで歩いているだけで、かと言って誰かに必要とされたい訳ではない。
どうせいなくなるなら、最初からいてくれなくていい。どうせ嫌いになる日が来るんだから、誰も本当のわたしを好きになんてなるはずがないんだから、近づかないでって、逃げてきた。死ぬ時は結局、ひとりだ。他人なんて、一生他人だ。分かり合える日なんてこない。
早く死ぬために、生き急いでいる。早く死んで、醜さが美しくなることを願って、作品と言葉と音を紡いでいる。
早く死んでしまえ。早く死にたい。消えたい。
花火のように、爆発していなくなってしまいたい。
楽になりたい。


そう思っていたはずなのに。

今日わたしがヘルプマークを手にしたのは
生きたいからなんだろう。

涙が出る。呆れてしまう。
死にたがりの、生きたがりだ。
こんな腐った人生まっぴらなのに、わたしはこれからを生きたくて、勇気だとか決意だとか、心の奥底にある「本当」を振り絞って赤いこれを手にした。
なんなんだ、ほんとう。

期待なんてしたくないのに。
してこなかったのに。
最近何かが変わってきた気がして、諦めたくなくなってしまったのだ。我慢して張り詰めていた糸が、緩んでしまう瞬間を知ってしまったんだ。

この人たちと音楽がしたいとか、この人の言葉が好きだとか、あの人のライブがみたいだとか、遠くにいるあの先輩に会いたいとか、これがしてみたいだとか、もう。
物理的な痛み以外では泣かないでいられたはずなのに、最近心が動かされて泣いて、明日が楽しみになってしまったのだ。
今、死にたくないのだ。今、消えたくないのだ。
まだ、生きたい。生きて、出逢いたい。

なんのために生きていくのかなんてわからないけれど、そんなのどうでもいい。この世界にあるほとんどのもの、ひと、ことには、たいてい意味なんてないんだろう。そこにあるだけで愛おしいはずなんだ。
環境や過去のせいにしない、自分が生きる世界は自分で作る。それが例え間違いだとしても、もういい。なんでもいい。

わたしが決断した、「ヘルプマークを持つ」ということ。未来の自分がありがとうって言ってくれている気がして、間違いじゃないんだって感じる。
いまはまだ人の目が怖いけれど、次に不調を感じたら。お気に入りのリュックにきちんとつけて、堂々と歩こうと思う。
そして、このマークをつけている人を見たら仲間だと思って手を差し伸べられるようになりたい。
世界を優しくしたい。わたしなりの優しさを、探したい。鎧を脱いで、世界で遊ぶように暮らしたいのだ。



何のために発信しているのか、何のために人前に立とうとしたのか。こういうことを曝け出すためなんじゃないかって思って、そうしたら衝動で書いていた。
文章はめちゃくちゃだし、間合いも悪いだろうし、勢いで書いたこの文章はエゴの塊だ。

それでも、どうしても
生きたい。

いつか耳が聞こえなくなっても、今出会った音楽が頭で鳴りますように。
ドラムを叩くたびに寿命が縮んでも、音楽を聴ける回数が限られていたとしても。
今を全力で生きたい。
書くことで誰かを傷つけて、言葉で誰かを殴ってしまったとしても。
その分この身を削って救うから。どうか、許してほしい。

生きたい。生きたい。まだ死にたくない。
生きていけるだけ、生きていくだけだ。
かっこ悪くても、孤独でも、誰かに嫌われても。
幸せで泣くあの瞬間を重ねるたびに。
今わたしの周りにいてくれる人を愛すために。
生きていくんだ。

わたしは今日、一歩踏み出しました。

それだけ。

いつも応援ありがとうございます。