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自分の愛し方を、やっと知ったんだ

眠りから、目が覚める。先ほどまで脳内で強制再生されていた悪夢が終わって、ほっとする。それと同時に、また朝がきてしまったことに、小さい絶望を感じる。寝返りをうつと、ベッドが軋む。
布団から顔をだして、まだ重たいまぶたを無理やり開くと、見慣れた白い天井が目に入る。ゆっくりと窓を開けると、数秒後に入ってくる冷たい空気。

東京の冬の朝は、不思議だ。東京に染まってるくせに、未だに東京が嫌いなわたし。朝だけはこの都会の喧騒も少しだけ落ち着いているみたいで、牙の鋭いオオカミが幼い顔で眠っているみたいで、切ないような、愛おしいような、でも嫌いじゃない。
吐いた息が白い。あっけなく消えていく。もくもくと、音もなく。

この時期になると必ず恋しくなる石油ストーブの香り。家族4人で住んでいた、福島のあの家を思い出す。東京とは違う、どこか憂いを帯びた福島の冬が好きだった。東京に来てひとり暮らしを初めて、この街での生活にすっかり慣れているはずなのに、この季節だけはどこか物寂しくなってしまう。今日もやっぱり、手足の先が冷たい。どんなに擦っても温まらない冷えにもどかしくなって、次第に心の先まで冷え切ってしまう気がして、窓を閉めて暖房をつける。

最近、眠気が異常だ。下手したら、一日の半分くらい寝ている日もある。もちろんちゃんと仕事はしている。
だけど、それ以外のことをやる情熱が、なくなってしまったみたい。細々と揺らめいていたろうそくが、微風で消えるように、わたしの中から何かが消えた。張りつめていた唯一の細い糸が切れる音を、聞いてしまったのだ。めんどくさいとか、やりたくないとか、そんな類のものではない。タスクをこなすだけの日々、ただ周りに合わせる日々。目を覚まして絶望を感じるのは、また同じようないちにちが始まることにうんざりしているから。

きっと、冬のせい。夜が長くなったせい。
冬眠するように、布団の中でまるまって朝を待つ時間くらいは、安らかでいたい。
眠るのが、好き。何も考えなくてすむから。無になれる。楽でいれる。
だというのに、最近は変な夢ばかりみてしまって、どうにも頭が休まらない。眠る前に考えていたことが、夢にそのままでてくる。過去のトラウマが、映画みたいに流れる。短い睡眠を繰り返す毎日は、決して心地のいいものではない。

神様へ。
現実で夢が叶わないなら、眠りの中でくらい素敵な夢を見たいです。

どうやら神様はいないみたいだ。

気が付けば12月。
秋は光の速さでわたしの横を通り過ぎ、もう二度と2022年の秋に触れることはできなくなった。
年末が近いということもあるけれど。
ちょっとだけ一息ついて、ここ数カ月のことを振り返ってみて思う。

わたしは、ずっと無理をしていた気がする。多分、きっと、絶対に。立ち止まる暇もないくらい、忙しない怒涛の日々を送っていた。
休むことがどうも苦手で、何かしていないとどうにかなってしまいそうな強迫観念に襲われるものだから、とにかく一日中何かをしている。でもこの一年で大きく体調を2回崩したから、そのスタンスで生きていくと自分がもたなくなってしまうことにさすがに気づいた。たまにはずるくていいかな、なんて思って、最近はわざと「さぼる」ようにしている。スマホを持たずにカフェに入ってぼーっとしてみたり、好きな曲を聴きながら近所を散歩してみたり。自分ひとりになれる時間をつくるようになってから、なんとなく自分の心の声が聞こえてくるようになった。
これはちょっと余談だけど、文章を読んでいるときに頭の中で流れる声は誰なんだろう。小さいころからずっと不思議だった。わたしではない、誰かの声。

いざ立ち止まってこれまでを振り返ってみると、びっくりするくらいたくさんの出来事があったと気づく。仕事もプライベートも、ジェットコースターみたいにめまぐるしく動いていって、何もかもが想像の倍以上のスピードで変化していって、ついていくのに必死だった。半分は流されて進んでいくから、溺れる寸前みたいな、ずっと沈まないようにみっともない姿でもがいていて。苦しさの原因は、うまく息が吸えなかったからなのかもしれない。
魚座のくせに、物理的にも精神的にも泳ぐのが下手だ。

いろんな別れがあった。
いろんなものを失った。
ありすぎて、喪失感で潰されてしまいそうだった。乾ききっていた心がさらに乾いて、砂漠よりも湿度のない状態にまで陥った。もう何も失いたくないはずなのに、畳みかけるようにわざわざ自分から手放したものもある。
昔からの癖なのだけれど、堕ちている時には人への連絡ができなくなる。こんな自分を見られたくないという一方で、誰かに縋りたくて仕方がないから、一度寄りかかると元に戻れなくなりそうで引きこもりがちだ。そんな時に限って、大事な連絡があったりするもんだから、余裕がなくて返せなくて、申し訳なくて自分がもっと嫌いになる。

さらに嫌なことがあると「徹底的に部屋のものを片付けたくなる症候群」に襲われる。わたしはこの時期、お酒を飲んだ勢いで、ラグマットと洋服数着をポイっと捨てた。今もなお、部屋はフローリングがむき出しでめちゃくちゃ寒いし、ラグマットを捨てたのはちょっと間違いだったかもしれない。お気に入りだったパーカー達を捨てたのは、未だにちょっと意味がわからない。だけど、もうこれらを着ている自分が想像できなかったから、気づいたら捨てていた。メルカリで転売なんて発想はない。売るくらいなら、初めから買わない。わたしが欲しくて買ったもの。思い出が詰まっているからこそ、自分の手で捨てるのだ。断捨離なんて、そんなものだ。
寒い部屋でこの記事を書きながら、今もなおまた湧き上がってくる断捨離欲を必死に抑えている。

わたしは、なにと闘っているんだろう。

実るのには時間がかかるのに、腐るのはあっという間。熟れていく果実に例えれば綺麗に聞こえるけれど、わたしは人間という生き物でしかない。腐ってどうしようもない状態になってから、はじめて自分の限界を知る、鈍くてどんくさいポンコツ。何をするのにもとにかく緊張していて、身も心も委縮してうまく動かない。

楽になりたい。
楽になってしまいたい。

なにが辛いとか、誰が嫌だとか、そういうごちゃごちゃした細やかな理由は置いておいて、とにかく楽になりたい。
それだけを考えて時間を消費していた気がする。
何したって、どうせ痛い。いろいろな意味で痛い。
何したって、どうせ辛い。正しさを選ぶと、もっと痛い。優しくいたいのに、自分勝手なこれはエゴでしかない。
どうもならないなら、痛みに慣れてしまえばいい。それを当たり前だと思ってしまえばいい。27年間そうやって生きてきたでしょう。思いこむのは得意でしょう。叩き込んで、躾をしてしまえばいい。自分を作りかえればいい。辛い、悲しい、痛い。そんなものは、当たり前なんだから、何をいまさら。

あの人は、あんなに頑張っている。
あの人は、あんなに輝いている。
あの人は、あんなに楽しそう。
あの人は、あんなに美しい。
あの人は、あの人は。あの人は。

誰かと比べては、自分を卑下する。誰かと比べては、自分を安売りする。
そうやって不幸に甘えて、わたしは安心したかったんだろう。痛い過去を思い出しては、クソみたいな思い出を植え付けてきたアイツらの影を思い出して、過去に生きてきたんだろう。ここまでくるのに、何回わたしは自分を自分で殺してきたんだろう。幸せになることを拒んでいたのは、自分自身だ。
幸せになることが怖い。
幸せになってしまったら、自分でなくなってしまう気がして、怖い。

幸せって、なんだ。愛って、なんだ。
明るさを考えると、暗闇に足元を掬われる気がするから、考えるのを辞める。逃げるように眠る。
なのに、夢の中のわたしはまったく幸せそうではない。

堕ちるところまで堕ちると、視界が半分になり色彩を失うらしい。
とある土日、せっかくの休日だというのにわたしは何も食べずひたすら横になり、水だけを飲むということをした。なにもしたくなくて、動けなくて、あわよくばそのまま死んでしまいたかった。自分の価値がすべて否定されていく日々に耐えられなくて、消えたくて仕方なくて。だったら周りが望むようにわたしも消えてしまえばいいんだって思って、なにもしなくなった。食欲もなく、アルコールを摂取する気力すらない。
目が覚めて、自分が眠りながら泣いていたことに気づいた。なにもしてなかったのに、わたしは、泣くことができた。

なんの気力もなかったくせに。
泣いていた。


その日、わたしは初めて自分の意志で実家に帰った。

小さなころから、両親に甘えることができなかった。
細かいことを話すときりがなくなってしまうけれど、わたしはずっと家族に愛されたくて必死だった。小学校の頃に作文で賞をとったのも、中学校の頃に合唱祭でピアノの伴奏をしたのも、高校のときに必死に勉強して早稲田大学に受かったのも、今の仕事で成績を残せているのも。
家族に褒めてもらいたかったからだ。何度かnoteに綴ってきたが、そうなのだ。本音で話したかった。
わたしはここにいるよって、わかってほしかったんだ。

突然、母にラインをした。
「今日、帰ってもいい?」
それに対して、何も聞かないで「待ってるね」とだけ返ってきた。
必要最低限の荷物を持って、実家に帰った。玄関を開けると、最初にわたしの存在に気付いた父が言った。「おかえり」。
声にだしたかった四文字がでてこなくて、代わりに「うん」と言った。手洗いうがいをしてリビングに行くと、わたしが一番好きな肉だんご鍋が用意されていた。冷蔵庫を開けると、わたしの好きなお酒が並んでいた。ビールをひとつ手に取って、椅子に座った。
家族が何か話しかけてくるけれど、何も返せていなかったと思う。言葉がでてこなくて、麻痺していた。

あつい肉だんごを食べた瞬間。
目から涙があふれて止まらなくなった。

声をあげて泣いた。赤ちゃんみたいに泣いた。
食べながら、泣いた。
泣いた瞬間からひたすらお腹がすいて、とにかく食べた。食べれば食べるほど涙が止まらなくなって、食べて泣いてを繰り返した。
ひととおり泣いた後、父が話しかけてきた。わたしと向き合おうとしてくれたのなんて、いつぶりだろう。
ぐずぐずと泣きながらこれまでのことを話したら、父が「父」としての言葉をくれた。厳しさもあるけれど、そのどれもがわたしのことを考えてのことだと伝わってきて、嬉しくなった。
会うたびにちょっとずつ小さくなっていく父。体調は大丈夫?お酒のみすぎだよ。朝から仕事してくれてありがとう。わたしが帰ってくるって知って、たくさんお酒を用意してくれてたんでしょう。ありがとう。どんなに否定されたって、わたしはあなたの娘です。パパ、ごめんね。ありがとう。

夜、母と話した。これまでのことを、たくさん話した。本当は「大丈夫」じゃなかったことを話した。皆既月食の月を、一緒にみた。
酔っぱらった勢いで、「お母さん、ハグして」って言ってみた。戸惑うことなく、ギュッとしてくれた。ちょっと冗談だったんだ。なのに、この一瞬でとてつもない愛を感じた。お母さんって、すごいね。わたし、お母さんの娘でよかったよ。産んでくれてありがとう。

ゲームしようよといったら、嫌な顔しながらもスイッチの設定をちゃんとしてくれたお兄ちゃん。わたしの自慢の兄。誰よりも優しい。器用だけど、不器用。困ったことがあるとわたしを頼ってくれて、嬉しかった。どうかいつまでも生きて。わたしよりも、生きて。わたしはあなたを守りたい。あなたを殺そうとしてくる人がいるならば、どんな悪役にでもなってあなたを守りたい。また一緒にプチサンプルで遊ぼう。家の中に秘密基地を作ろう。これからも一緒に生きよう。生きてほしい。

その日。決意をした。このままじゃいたくないって思って、手が動いた。
家族のおかげで、生きたいとまた思えるようになった。
こんなのは。こんな出来事は、奇跡だ。

天国にいるおばあちゃん。
お元気ですか。
家族のおかげで、生きる意味を得ました。
あなたが産んだ息子は、その息子が選んだ女性は、兄という尊い存在と、わたしという「わたし」を創ってくれました。
おばあちゃん、ありがとう。
きっとずっとそばにいてくれているよね。

愛に触れて思う。
わたしは、愛されていたのだと気づく。
軌跡を振り返れば、たくさんの人に支えられていた。いろんな人がわたしの側にいてくれた。自分勝手でわがままなわたしを知っても、離れないでいてくれた人がいる。
ちゃんといたんだ。
それに気づくと、溢れて止まらなくなる感謝の気持ち。どう伝えればいいかわからないから、書く。伝え方がわからないから、まずは書く。27年間追い求めていた、「なにか」。
自分の中に宿ったものを
正直に書いてみよう。

さくさんみたいになりたいと言ってくれていた後輩がいた。
今はもう会うことはないけれど、あのときあの瞬間の曇りない瞳は間違いではなかったと思える。
友達が悩んでいた。真剣にわたしに気持ちを伝えてくれて、涙を流した。とても綺麗だと思った。こんなに素敵な人がわたしを友達だと思ってくれることが嬉しかった。
道端に落ちていたペットボトルを拾った。捨てるのが正解なのをわかっていたけれど、捨てるときになぜか切なかった。
遠くにいる大事な先輩。大好き。いつも甘えてごめんなさい。あなたの弱さも強さも、全部輝いているのは裏でたくさんもがいているからだってわかっています。
わたしが産まれる前の家族写真をみた。兄は今までみたことのない顔で笑っていて、父も母も若かった。ここにわたしが加わったこと、「参戦!」みたいでちょっと嬉しく思えた。

今年やり残したこと。
福島のお墓参り。きちんとひとりで行ってこようと思う。
とびっきりおしゃれをして、会いに行くよ。

そういえば、わたしは本当に好きなものをSNSに載せない。いちばん好きなものは、自分の中で秘めていたいタイプ。大好きは、誰にも見せたくない。多分、とっても独占欲が強い。恋人がわたしに向ける顔はわたしだけが知っていればいい。誰にもみせたくない。その癖写真を撮られるのはすき。
今は自分のことで精一杯だけれど、いつか素敵な恋ができたらいいな。

自分を愛する方法。

それは、自分は生きていていいって、思えること。
わたしが思う自分を愛することの、結論。

誰だって、心の中で「自分なんか」って思っているでしょう。がんばろう!で始まった朝が、なぜか夜になるとしょぼくれて死にたくなる。自分が自分でいる意味がわからなくて、消えたくなる。それを繰り返してすり減って、大人になったふりをしてごまかす。誰かと比較して、また死にたくなる。仕事で失敗する、失恋をする、自分が何者かわからなくなる。そこで自分を責める。うまくできなかったことに懺悔する。人生リセットボタンを探す。
好きなもの、嫌いなもの、想像すると「自分なんか」ってなっちゃうけれど、でもそれでいいんだと思う。

「自分なんか」じゃなくて「自分なんだ」で、いい。それでいい。
どんな時も、「自分なんだ」でいい。どんな感情に浸っても、「自分なんだ」と思えればいい。否定しなくていい、絶望しなくていい。限られた生きている時間で感じたものは、全部自分のものだから。誰かと比較しなくていいんだ。自分でいいんだと思えれば、それでいい。

自分を愛する方法。考えてみたけれど、未だによくわからない。でも、どれが正解かは人それぞれでいいかなって思うことにした。これはわたしが導いた、あくまでひとつの結論。

愛に正解なんてなくていい。

表現なんて、しなければ
楽だったのかもしれない

文章に出会わなければ、夢なんてみなければ、音楽と向き合わなければ、こんなに苦しい思いをしないで済んだのかもしれない。真剣になるほど、そっぽむかれるこの感覚。届けたい人には届かないもどかしさ。自分ができることをすればいいんだって、何度も言い聞かせても気にしてしまう心無い言葉。
なにかをしたいと思えば思うほど、孤独になっていく。
大事な人が離れてしまったら怖くて、だったらもう表現なんてやめてしまえばいいんじゃないかとさえ思う。こんなにひとりぼっちなのに、ひとりが苦しいのに、なんでわたしはこの道を選ぶんだろう。ここまで自分をさらけだしても、救いたい人を救えなくて、自分自身を救うこともできない。足元だけは掬われて、ただでさえ脆い土壌が沼に変わって、沈んでしまいそうになる。

それでも、どうしても。
わたしは、自分を愛したい。
だって、自分を愛すると、人にも優しくなれるから。
自分以外他人なんだから、わかりあうことなんてできないって、ずっと壁を作ってきた。信じて裏切られたなんて思うのは、自分が他人に想像をあてつけた結果だから、他人は他人だって、割り切って生きてきた。
だけど、最近ちょっと面白いんだ。生きること、少しだけ楽しい。
スマブラ気質のわたしだから、飛んだり跳ねたりいきなりパンチしたりキックしたり自爆したり忙しいんだけど。
なんか、最近自分が好きなんです。
ここまで導いてくれたすべての人に感謝をしたい。

恩返しをする方法は、わたしがとびっきり活躍して、幸せになる姿をみせることのみだと思ってる。
言葉ではいくらでも「幸せ」っていえる。「愛してる」っていえる。
でも、わたしがしたいのはそうじゃない。
絶望で苦しんでる人には、わたしの絶望で救いたい。
コンプレックスで悩んでいる人には、わたしのコンプレックスで救いたい。
輝いていながら、叫んでもがいて、罪を背負って走り続けるあなたには、
わたしなりの愛を全身に込めて伝えて、やわらかくしてあげたい。
生きている限り、愛の形も変わっていくと思うから、明日にはこの記事を書いているわたしもいないのかもしれないけれど、
わたしがわたしで生きて良いって思えた今、なんだか心地が良い。
全部を許すよ。全部を受け止めるよ。
自分のことも、世界のことも。

悲しくて醜い過去があって、良かった。
それがなければ、今のわたしはいなかった。
理不尽に殺されそうになって、良かった。
それがなければ、正しさについて考えなかった。
死にたくなって、良かった。
生きたいって思えるようになったから、もうそれでいい。

もういい。もう大丈夫。
また悲しい夜にうずくまる日々もあると思うけれど、もうそれもいい。
それも自分だから、もういい。
わたしは、わたしでいい。わたしが、わたしと生きる。死ぬまでわたしと一緒にいる。それでいいよ。いいよね。

愛に正解なんてない。
この世界で生きる命の数だけ、愛がある。
人間だけじゃない。草木や動物、作品も息をしている。
わたしが書くこのnoteも、君が描く絵にも、あなたが創る音楽にも、愛がある。それはとても尊いもの。この世界って、生きているだけで誰かに嫌われるしめんどくさいんだし、だったら自分くらい自分の味方でいいよね。めんどくさい毎日の側にいるのって、結局「自分」だから。

愛をつくるのも、あたえるのも「自分」。
生きてきたこれまでが、すべて愛だ。
死ぬまで愛にまみれたい。
そう思えるまで、27年かかってしまったから。
この先残された人生は、愛を与えて生きていきたいんだ。
生きていくんだ。死ぬまで生きるよ。


いっぱいいっぱいありがとう。

ありがとうを添えて。
こちらこそ生きていてくれてありがとう。



いつも応援ありがとうございます。