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日記再読の風景 かおりさんの回想はどのように編集されたのか

2010年6月11日に初めての出産を経験した、仙台在住のかおりさん(仮名)。彼女はその日から育児日記をつけ始めます。回想録『わたしは思い出す』は、11年間の育児日記を彼女が再読した経験をとおして、大地震からの月日を振り返る試みです。私(わたくし)の記録から回想された言葉は、どのように編まれたのでしょうか。

企画立案からかおりさんへのインタビュー、編集を担当した松本篤(AHA!世話人)への一問一答〈編集篇〉。

聞き取りのプロセスについては〈インタビュー篇〉、書籍での出版については〈出版篇〉(近日公開予定)に掲載しています。

* 本企画は仙台・神戸で実施した展覧会をもとに書籍化されました。この問答は、展覧会の関連企画(トークイベント/ワークショップ)の参加者や報道関係者からのご質問、書籍刊行に際して寄せられたご質問などをもとに作成しています。
[最終更新=2023年1月1日]

Q. 回想録『わたしは思い出す』はだれがつくったのでしょうか。

本書は、AHA![Archive for Human Activities / 人類の営みのためのアーカイブ]が編者となり制作しました。語り手はかおりさん(仮名)、聞き手はAHA!の松本篤が務めました。

AHA!とは、8ミリフィルムや家族アルバム、日記、手紙といった〈私的な記録と記憶〉の価値に着目するアーカイブ・プロジェクトです。

人と記録(モノ)のあいだに立ち上がる現象に着目する。こうしたAHA!のアプローチに関心をもった、せんだい3.11メモリアル交流館(以下、交流館)の方から展示の依頼を受け、「わたしは思い出す」は立案されました。

回想録『わたしは思い出す』は、育児日記を書いたかおりさんとの出会いをきっかけに、育児の記録と記憶を“再記録化”する実践として構想されました[企画の詳しい背景や経緯は、こちらに掲載しています]。

Q. なぜAHA!は「私的な記録と記憶」に着目するのでしょうか。

私的で微細な事柄の集積によって、既存のイメージとは異なるそれが立ち上がってくることに興味を持っているからです。私的な記録と記憶に着目することで、教科書に記述されるような大きな歴史の流れからこぼれ落ちてしまうものに光をあてることができるのではないか。AHA!はそう考えています。

Q. 記録を扱うときに大事にしていることはなんでしょうか。

〈公の記録〉とは異なる〈私の記録〉を扱うことの多いAHA!ですが、気をつけていることがあります。それは、記録と記憶の相互作用です。

言い換えれば、記録と記憶が相互に協働すること、また、あるいは、背反することで、見えていなかった不可視の部分が明らかになっていくと考えています。

そういう意味では、私たちは、私の記録を過度にイノセントなものとして扱うことにも注意を払っています。

Q. なぜかおりさんは私的な記録(育児日記)を第三者に見せたのでしょうか。

企画準備の一環として『10年間の育児を振り返るワークショップ』を実施しました。ワークショップの募集要項では性別を問わず参加者を募りました。この参加者のひとりがかおりさんでした。

彼女がワークショップに持参した10年間の育児日記にAHA! が着目し、より本格的な日記の再読(インタビュー)を提案しました。かおりさんは「これまで日記を振り返りたいと思っていたが、そんな時間を作ることができなかった。自分にとって良い機会だと思います」と、インタビューを承諾してくれました[ワークショップのくわしい経緯や詳細は〈インタビュー篇〉に掲載しています]。

Q. なぜ日記の「再読」というプロセスを経たのでしょうか。

自筆をたどり直すということによって、11年間の記録と記憶のズレを記録に残すことができる、あるいは「忘れてしまった」ことすらも焦点に当てることができると考えたからです。

また、個人情報を保護する観点から、日記そのものを公開できませんでした。公開を前提としていない、膨大な記録そのものを展覧会という形式で公開しても、来場者に展覧会のメッセージを伝えることができないと思ったからです。

Q. 再読( インタビュー)にあたって、なにかエピソードはありますか。

2020年11月から2021年3月まで、かおりさんへのインタビューはおよそ30回におよびました。これらはおもにオンライン(zoom)で実施しました。オンラインでは感情の機微が伝わりづらい面がありました。さらには、かおりさんはマスクをしていました。表情を読むということがとても難しかったです。

一方で、編者が仙台に長期滞在をしながらインタビューを重ねていくやり方では、予算的にもスケジュール的にも厳しかったという現実もあります。

この展覧会や書籍化はコロナ禍においてこそ実現したと言えます。この書籍は、コロナ禍の記録でもあると考えています[くわしい経緯は〈インタビュー編〉に掲載しています]。

Q. かおりさんの回想が毎月11日から始まるのはなぜでしょうか。

彼女の育児日記を見たときに、毎月11日が節目になっていることに気づきました。生後1年間の育児では「月齢」という単位が成長の区切りとして用いられることがあります。かおりさんの子どもは6月11日生まれだったため、毎月11日は子どもの「月誕生日」という節目だったのです。そこで、この11日という日を起点として、日記の振り返りと編集を行うことにしました。

Q. かおりさんの回想の言葉に「わたしは思い出す」というフレーズが用いられたり、注釈番号が付されているのはなぜでしょうか。

11年間の振り返りの時間や経験を読者と分かち合うためには、編集的な介入が必要だと考えました。文字に起こした約50万字の回想の言葉を、そのまま本に載せるだけでは成立しません。

現実的な文量に抑えたうえで、編集上のポイントは2つあります。ひとつは「わたしは思い出す」という定型句を用いて見出しをつけたことです。このフレーズは、個人的で断片的な回想を羅列した、ジョー・ブレイナードやジョルジュ・ペレックが用いた詩的表現に想を得ています。もうひとつは、出産からの経過日数を注釈番号として附したことです。これは1日1日の積み重ねを表し、シンボリックな特定の日付を相対化するねらいがあります。

Q. 哺乳瓶や産着、子どもの折り紙といった「思い出の品」の写真は、だれがどのような経緯で撮影したのでしょうか。

かおりさんへのインタビューでは、さまざまな思い出の品に話がおよぶことがありました。

「なかなか捨てられないものがたくさんあるんです」と見せてもらった品々を、かおりさんの許可を得てAHA! が活動の記録の一環として撮影しました。回想録『わたしは思い出す』では、氏名など個人情報を特定されないように加工したうえで、回想の内容を補完する資料として、かおりさんの解説を附して掲載しています。

Q. かおりさんの言葉を編集するときにどんなことを意識しましたか。

小さな声を拾うために、さらに小さな声を犠牲にしてはならない。そのことを念頭に置きながら、かおりさんやかおりさんの子ども(あかねちゃん[仮名])に対する配慮のあり方を考えました。

まず、かおりさんに対しては、彼女をあくまで具体の存在として扱うことをこころがけました。「女性」「親」「被災者」といった記号的存在ではなく、ひとりの人間の生活世界の実相を記述することに心を砕きました。

また、かおりさんの子ども(あかねちゃん[仮名])に対しては、かおりさんの言葉を拾うことに注力するあまり、あかねちゃんの存在をないがしろに扱っていないだろうか、そんな問いを掲げながら作業にあたっていました。

かおりさんは、世界をどのようにまなざしていたのか。彼女の回想を刊行することは、ときに、かおりさんにとって、また、あかねちゃんにとっての「呪いの言葉」になるかもしれない。それでもなお、記録に残す方法があるとしたら、それはいったいどのようなものか。そんなことに留意していました。

なお、書籍の刊行に関しては、かおりさん本人の承諾を得るとともに、本書に登場するご家族やご親族、ご友人に対してはかおりさんをとおしてご連絡いただき、承諾を得ました。

版を重ねる場合、今回と同様に、かおりさんのご承諾を得るプロセスをその都度ごとに踏む予定です。また、今回はあかねちゃん、次女のみどりちゃん(仮名)の出版に対する意思は保護者であるかおりさんに一任しましたが、将来的には、本人から承諾を得る余地を残しています。

Q. かおりさんは校正を行っているのでしょうか。

インタビューの原稿はかおりさんご自身に校正を依頼し、事実や認識と異なる部分、記載を望まない部分を修正していただきました。展示と書籍、それぞれの機会ごとに初校と再校を行いました。最終的な成果物(念校)もお送りし、展覧会においては、ハンドアウトを会場で配布した後も修正作業ができる体制を常にとりました。

Q. 語り手や登場人物へのプライバシーについてどのような配慮をしていますか。

本書では、個人情報に関わる部分は表記を変更しています。たとえば人物名を仮名にしたり、職業や地名はインタビューの骨子を損なわない範囲で変更しています。本書に登場する方(家族や友人など)へは、かおりさんご本人から本企画の趣旨をお伝えいただいています。

インタビュー篇 / 編集篇 / 出版篇(近日公開)




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