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”最後に愛は勝つ”(マジ)


見出し画像を見ていただければわかると思うのですが、自分は「モノを現物で集める」人間です。画像はCDですが、本も基本的には全部現物で買っています。

CD、というか音楽に関しては、サブスクの便利さにも頼る部分はあって、「あるCDのある曲」だけをプレイリストに入れたいときは容赦なく(?)使うのですが、自分の中で「これはもう全部聞くべきだ」と思ったら絶対に買います。いくら先にサブスクでダウンロードしていても、買います。

本に関しては、ほぼ完全に現物派です。電子書籍を使う機会と言ったら、本当に気まぐれで「今移動長いから本読みたい、でも本屋ない」という時などにノリで買うぐらいのものです。


まあそんな感じでモノに拘る性格は何となくわかっていただけたと思いますが、この問題を語る上で目の上のたんこぶとなるのは「具体的に現物の何がいいの?」と理論で説明を求めてくる存在です。


結論から言うと、「それを理論で理解しようとする人は何を説明しても分からない」ということです。トゲがある言い方なので、噛み砕いていきます。

まず、質問された通りに、理論で答えてみましょう。


CD

・アートワーク込みで、総合的な芸術作品としての価値。

・歌詞カードやライナーノーツなど、楽曲を理解するうえで必要なものが封入されている


・紙の質感(手触り、におい、色)

・遡及的、前のページに戻りやすい

・インテリアとしての活用


共通

・思い出とリンクしやすい

・所有欲



ざっくり簡潔に挙げるとこんなところでしょうか。確かに、この程度しかないのなら、サブスクや電子書籍が流行るのも納得です。



でも、






結局はハートだろ




これが今回どうしても伝えたいメッセージ。現物の魅力を理論で説明しようとすれば出来ないこともないです。電子に勝っている部分も当然あります。でも、CDを買う時にいちいち「総合芸術作品としても活用できるから買ってみようかな」とか本を買う時にいちいち「紙の本の良さは前のページに戻りやすいことだよね。よし買おう」と考える人はほぼいません。いたら結構めんどくさい。


結局、みんな最後は「ワクワクするから」現物で買うんです。これはもう、理論とかではない。そこに愛とロマンがあるから買ってしまう。これだけのことです。野暮なことを聞くな、という感じです。

皆さんの中にも、現物至上主義の方はいらっしゃるとは思いますが、結局最後は理論云々ではなく「なんか好きだから」とハートで買う人が多いのではないでしょうか。


ここでひとつ考えてほしいのですが、もし、自分にとって全く理解できないワクワクを持っている人がいたとしたらどう思いますか?

普通は「この人はここにロマンを感じているんだなあ、自分には分からないけど」と感じるに留まると思います。

しかし、その「自分には分からないけど」を無理やり理論で理解しようとするからおかしなことになってしまうんです。何となく現代の気持ち悪い風潮として、「なんでも説明してもらわないと分からない人」が増えているように感じていて、その人たちは「感覚で理解する」ことをしようとしません。

それでいて、彼らは「感覚で理解する」ことを「言語化の放棄」と変換して、意味のない議論を巻き起こすのです。


もう、現物or電子論争はやめませんか。どちらにもメリットはあって、そこには言葉を超えた感覚の理解が存在する。自分はそう思いたいです。




これは補足というか、少し話は変わりますが、中古CDショップや古本屋で、たまたま出会った作品に感銘を受けた経験はありませんか?

中古ショップに並んでいるものは、売れ残りだったり、誰かが「もういらない」と思って売られたものばかりです。つまり、誰かにとってはガラクタということです。でも、上記のような経験があるように、たまたま見つけたモノが宝物になることだってザラにあります。


誰かにとってはガラクタだけど、ある別の誰かにとってはそれは宝物って、物凄いロマンを感じませんか?そう感じざるを得ません。(あばれる君)


サブスクや電子書籍を中心に使う人を揶揄しているわけではありませんが、現物派には現物派のロマンがある、そしてそれは言語化を超えた領域にあるということだけは伝えておきたかった、そういう話でした。


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