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ドラマ「夜行観覧車」から見る子供の世界と叫び。反抗期という言葉で誤魔化さないで。

原作を随分前に読んで、お気に入りの1冊だった夜行観覧車。
私の母は国内ドラマを基本的に嫌っていたので当時見ることはできなかったが、先日Paraviで見てみることにした。原作の節々は覚えていたのだが、細かな部分やドラマオリジナルの部分は新鮮に見ることができ、色々と考えたのでお話していこうと思う。
作品のテーマは大きく「家族」になると思うのだが、私が感じた「子供目線での世界と叫び」という部分について。

「夜行観覧車」作中での描写

作中では、母親の夢「ひばりヶ丘に一軒家を建てて静かに暮らすことで、もっと幸せになりたい」という転勤族だった母親の大人になったら…という展望に主人公の彩花は振り回される。「彩花の為に家を、環境を」という建前で。

彩花の一家は高級住宅地では悪目立ちして目をつけられ、友人達には「新居自慢・金持ちアピール」と噂される。母に勧められた坂の上に立つ私立校の受験にも失敗する。あんなに周囲に受験をするのだと、母親が言いふらして居たのに。お向かいの本物のお金持ち、高橋家に住まう子供たちは合格し、坂の上へと登校していく。お向かいを褒める母、バカにする友人、明らかにレベルの違うご近所。子供から逃げる父親。彩花は「こんな所に家を建てなければ」と思うようになる。部屋をめちゃくちゃにして暴れ、叫ぶ。苦しみも悲しみも叫ぶしか行き場が無かったのだ。あまりにも孤独だ。

「じゃあ一軒家を建てることを、受験を反対すればよかったのだ」と思うかもしれないが小学生が「新しいお家が建つのよ、貴方の部屋が出来るのよ、ママあの制服着た貴方が見たいわ」と囁かれて希望を抱かないわけが無い。頑張ろうとしない訳が無い。親の言葉は無意識に子供に過度な期待を、負担をかけ、それに添えなかった現実を知った子供は絶望するのだ。


子供にとっての世界と外の世界のギャップ

子供にとって住む場所、家庭、学校、それらは世界の全てだ。でもそれを選ぶ権利、決める権利は子供には無い。決めるのはいつも大人だ。

でも子供はだんだんと解ってくる。1歩先の外の世界を知っていく。私はどこか人とは違う世界を生きていると知った時、大きな衝撃を受ける。大人は当たり前に人それぞれの世界を生きているのだと受け入れられるが、初めて違和感に気がついた時、世界がより鮮明に見える。それがとてつもなく恐ろしい感覚で子供は今すぐにでも叫び出したいのだと。

子供時代の私の叫び

怖かった。子供の時「誕生日を祝って貰えない」「お小遣いがない」「みんなが持っているゲーム機を持っていない」「自由な高等教育を受けることが当たり前ではない」「夢はお金に左右される」「兄と私の扱いが違う」そんな色々な現実に気づいた時あまりにも恐ろしかった。受け入れられなかった。
何でこうなのだろう?この家だから?こんな田舎じゃなければチャンスはもっとあった?兄は自由にやっているのに私はなぜ許されないのだろう?末っ子だから?女だから?
外界を知れば知るほど、世間を知れば知るほど。
自分が周りの家庭と少し違うことに気づき、だがどうにかする力もない子供で、ただ悲しくて悔しくて、どうしようも無い怒りのような感情を抱いて苦しんだ。
それを言葉や態度で訴えても親は反抗期だからと、自分たちを省みることは無く、私に呆れ、怒りが沸点に達すると声を、手をあげた。
それから私はただ新しい私の世界を作るのだ、もっと広い場所に行くのだと、ひたすらにバイトをして家にいる時間を減らして、上京する事だけを夢見て。それしかあの時の私には希望がなかったのだ。

彩花を見て感じること

正直作品を見ていて苦しかった。彩花の気持ちが、叫びが、分かってしまうから。同じような経験をしてきたのか、と問われると前述の通り否、なのだが。子供の言葉にできない叫び。どうしようも無い無力な自分と理不尽な世界へのやるせなさ。それを訴えても「反抗期」と呼ばれる感覚。

違う、そうじゃない、違うのだ。単に反抗しているのでは無い。単純に親に腹が立つのでは無い。
問いたいのだ、納得のいく答えが欲しい、解って欲しい、貴方達が創った世界の歪みに気がついて欲しい。本当は一緒に悩んで一緒に成長して欲しい。「何故こうなのか?どうにもならないのか?」いくら訴えても親は気が付かない、解って貰えない。他所から見たら子供の癇癪。

世界を、1人の子供を、創った<神様>は親だ。自分たちのエゴで1人の人間を産み落とし、「親」という役割をこなす内にきっと忘れてしまうのだ。自分の子供の頃の叫びを。だから、自分の行いは正しい、子供は自分に感謝していると信じ、疑わない。

彩花は言っていた。
「私なんか殺しちゃえば良かったのに。」

私も叫んだ。
「私なんか産まなければ良かったのに。生まれたくなかった。」

こんなこと子供の口から出させたらいけない。こんなこと思わせてはいけない。気づかなければいけない。子供の叫びに。

彩花の両親は本質はわからずとも、最後には歩み寄った。お向かいの大きな事件と共に親が成長し、歩み寄って、彩花は世界を愛そうと思えた。

でも私はまだ親により創られていたあの世界を心から愛せていない。
大人になって気持ちに折り合いをつけたつもりでいた。でもきちんと話し合ったことは無く、私が解って欲しかった事も、解りたかったことも、なにも知り得なかった。だから私は未だに心に小さな蟠りを潜めている。
改めて少し当時のことを話そうとしても、「あの時のあんたは酷くて…ママ辛かったな」まだ親は<被害者>のままなのだ。
親にとっては過ぎ去った反抗期でも。私が感じた痛みは、届かなかった叫びはずっと私の胸にある。そして心の底から諦めている、<神様>なんだから仕方ないのかと。

その経緯故に、これから先、私は子供は産まないと強く思っている。
ああやって育った私が、歪みの無い世界を子供に作ってあげられるわけが無いと思っている。同じ悲しみを抱かせてしまったら?そんなの絶対に嫌だ。

あの時、彩花のように家をめちゃくちゃにして叫んでいればなにか変わっていただろうか。

最後に

パートナーも子供もいない
まだ子供のような大人
の愚痴のように思うかもしれない。

でも忘れないで欲しい。
子供にとっての世界を作るのは大人だということを。子供の「反抗期」はもしかしたらSOSという名の、叫びかもしれないという事を。
世界の歪みは、届かなかった叫びは、ひとりの人間の人生を変えてしまう、大きな歪みになるかもしれないことを。

「夜行観覧車」というドラマを見て、
彩花に怒りを覚えた、そんな親という役割を持った貴方がいたら、子供の叫びに気がついていないのかもしれない。
苦しくなった、そんな貴方がいたら、子供の頃の貴方を心の中で抱きしめてあげて欲しい。歪みから世界から解き放たれていることを強く願う。



本当は愛したいのだ。
自分にとって唯一の
創造主が作った「世界」を。

子供が愛せる「世界」を創ること。
それが一本道に出来なくとも
一緒に歪みを正していくことは
できるはずだから。

「世界」を。
貴方が創った「世界」で生きる子供を。
諦めて嫌いになってしまわないで欲しい。



上手く書けたかはわかりませんが。
ぜひ機会があれば原作でもドラマでも
「夜行観覧車」に触れてみて下さい。
なにか感じることがきっとあると思います。
ここまで読んでくださった方
ありがとうございました。

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