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あの時、道を踏み外さなかったこと

高校1年の頃、学校の頭髪検査で引っかかったことがあった。

特に変わった髪型をしていたわけではない。頭髪検査に落ちないように親に切ってもらっただけだ。

それなのに検査に落ちて、また髪を切って来いと言われた。

そんな厳しい校風の高校だった。中学が比較的自由な校風だったため、思春期の自分にはそのギャップは特に大きいものだった。


検査に落ちた惨めさと悔しさ、憤怒で、朝礼が終わったばかりにもかかわらず、自分は学校を飛び出し、家に帰った。

そして、こんな高校には3年も通ってられないと思い、退学を決意した。そして、不登校生活に突入した。

しかし結局、自分の不登校生活は1週間で終わった。


それは地元の図書館で大検について調べたところ、大検を取るのはなかなか大変そうだということに気づいたからだ。

それなら大人しく高校に3年間通ったほうがいい。

自分は床屋に行き、髪を整えてから高校に戻ることにした。


あの時、道を踏み外して、高校を辞めていたら、一体どんな人生になっただろう。

きっと今とは全く違う人生になっていたのではないかと思う。

別に不登校になるのが間違いだと言うわけではない。

高校を退学して大検を取る人もたくさんいるし、自分の大学時代の友人にも、そういう道を選んだ人がいた。

彼は社会人になった後、アムウェイに手を出して道を踏み外してしまったが。しかし、それは別の話だ。


話が少しずれたが、自分にとって高校を辞めることは、違う道を進む決断になったであろうということだ。

けれど、自分は結局、高校に戻ることにした。

大検が大変そうだから、というシンプルな理由でだ。

あの時、自分がその選択をしたのは一体何だったのだろう、と今振り返ってみて思う。

結局、やはり他力ではないのか。

自分でそう選んだように見えて、実は全体から導かれていた。

自分にはそれ以外の道はなかった。


その頭髪検査の事件以外にも、これまでの人生では「あの時、違う選択をしていたら、全く違う人生になっていたであろう」ということが多々ある。

しかし、それも結局他力でそうなったのであり、今のこの人生以外には他の道はなかっただろう。

この人生以外には選択肢はなかったということであり、この人生を受け入れて、これからも生きて行く。

↓そんな一曲

思春期の葛藤と選択の重みを綴ったこの記事は、個々の決断が人生に与える影響を深く考えさせられる一篇です。特に、高校生活での一瞬の判断が、その後の道を大きく変える可能性に気づかされます。筆者の冷静な自己分析と、結果的に選んだ道を受け入れる姿勢には、共感と感動を覚えます。ぜひこの記事を読んで、あなたの「スキ」をお願いします。

ChatGPTによる書評

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