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日本は物申しつづけていた


不似合いな政治の本などを手にしており…


正論だけでは議論には勝てない。「AはBである。なぜならばCはDだからだ」という論が数学の議論であれば、そこにバカが混じっていない限りそれだけで完全にだれしも合意可能な結論にたどり着く。だが裁判や政治の論戦は、そんな論理展開をくり広げることによって解決を見ることはない。

たとえば北方領土。最近ネット番組で「千島列島全部が日本のもの」と共産党が主張するのを観た。こんな強硬な立場を取るのが野党とは興味深い。そこには過去にさかのぼった根拠がそれなりにあるようだが、「じゃあもっとさかのぼって原始時代まで行けば、土地はどの国のものでもなくなるんじゃない?」とか考えてしまう私は非現実的すぎて政治に向かなそうだ。

他にも北方領土に対する主張を調べていくと、歴史上の条約だの侵略の経緯だのを知ることができ、情報の提示のされかたによっては私も、「ロシアってけしからん!」という印象を抱いてしまう。

ただここでは、歴史的な正しさを求める議論は避けたい。情報の羅列を前提とした議論が避けられないからである。

交渉がうまくいくかどうかは、正しさだけで決まるのではない。というか、正しさなんて、ほんの少ししか関係ないかもしれない。島がどちらの国に属するか、というのは損得に関する問題だ。ただでさえ人は議論に熱くなって客観的になれないものであるのに、そこに国益までが絡めば、双方の主張は平行線をたどるのは当然である。

北方領土問題は、ロシアにとっては交渉に負けない限り、交渉決裂であってもロシアの勝ちである。そこに人が住みつづけられるのだから。日本が経済協力をエサに島の返還を求めてきても、協力だけさせて返還はしない、という手だってある。
そういうわけで日本にとって有利な運びになる要素はほとんどないと思われるが、この80年近い交渉の歴史の中で、政治家たちは実際どれほど話を進展させることができたのだろう? 

そもそも2島返還は、1956年の日ソ共同宣言の時点で、平和条約締結後になされるということで両国の合意が済んでいる。平和条約がすんなり成立しなかった責任は両国にいろいろあるが、そこにはソ連と日本が結びつくのを良しとしなかったアメリカの横槍もあったようだ。

そこで政治音痴の私が、『安倍晋三回顧録』などを読んだ。安倍元首相について言及された書籍や動画は多々あるが、これは安倍氏が首相の座を降りてからのインタビューをまとめたものであり、思考の道筋やかなりの本音を垣間見せてくれていると思える。

この本によると、長きに渡る交渉の中で、領土返還がかなりいい線まで近づいていた、と思える時期があったようだ。水面下のプロセスは見えないが、そこにはかなりの努力・かけひきが展開されていたことが知れる。

じゃあ北方領土が帰ってくる可能性ってどれくらいなんだろう? 可能ならばそれはいつ、いくつ島が帰ってくるのだろう?

島にそんな関心のなかった私でも、読書を通して気になってきた。


島ばかりでなく、経済協定・紛争国への意見表明・災害対策・歴史認識といったことでもかけひきがある。それを支持率を睨んで汚職疑惑にも対処し、国会でやいのやいのとやりつつ各種会合に参加して有権者にもパフォーマンスをしながらやるのである。

政治家という仕事、疲れそうだ。


Ver 1.0 2024/4/29

#安倍晋三回顧録 #北方領土 #北方四島  


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