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福祉と援助の備忘録(10) 『産業の現場では労働者の主治医なんか信用していないという話』

精神の不調を訴えて仕事を休み、復職する場合の話である。

復職の準備を整えるために『リワーク・デイケア』というものがまあまあ広まってきた。対象は統合失調症やひきこもりではなく、主にうつ病のせいで病気のために長く仕事を休むことになった「元々働いていた職場に戻りたい人」である(ちなみにリワークは造語)。毎日精神科病院に通って職場外リハビリテーションを行うのである。

リワーク・デイケアなんてものに行くのは気が進まぬという人も多いかもしれない。たしかに施設ごとにやることに差があり、ノウハウについて未確率なところもあるかもしれないが、役立つものであるのはたしかだ。誰でも長期に渡って休職すると、病気がなくても仕事をする能力が落ちるからで、リハビリテーションなしにいきなり職場に戻るのは極めて難しい。

ある銀行では職場ルールにはないが、3ヶ月以上休んだ人に対して産業医が「リワークに行くように」と言うことに決めており、それを保健師等の周りの人も後押しする。それで問題になったことはないという。

リワーク・デイケアの中でどんなことをしているかというと、軽作業の訓練であることが多い。あとはリワークに限らずデイケアでとりあえずなされる集団精神療法(グループ)などである。ただ、デイケアというものがそもそもグループの構造を持っている。百マス計算のような軽作業をするにも、集団でやるところに良い相互作用が生まれる、ということだ。


リワーク・デイケアは増えつつあるが、まだ都市部にわずかにあるのみだ。リワーク・デイケアが近くにない人は、代わりにジムや図書館でその代わりにせざるを得ないこともある。リワークに行けたとすれば恵まれたほうだ。


リワーク・デイケア以外には職場内リハビリテーションがある。「復職するなら、お試し出勤してね(無給だけど)」とリハビリ出勤をさせるのである。病休を取った公務員にこのような3ヶ月のリワーク出勤を課す自治体が最近増えている気がする。(かく言う私が昔自治体で3ヶ月のリハビリ出勤プログラムを作る手伝いをした。あれが広まったのか?)



さて、北海道でリワーク・デイケアをやっている先輩が作ったリワーク研究会なるものがあり、かつて参加したことがある。リワークが今より流行っていなかった頃であったが、たくさんの人が集まっていた。そこで気になったのが、『リワーク』という言葉が暗黙でリワーク・デイケアのことを意味し、リワーク・デイケアのみを良しとしていたことである。


曰く、復職には「高度な専門性に裏打ちされた診断と治療が必要」であり、それは「リワーク・デイケアでしかできない」、「『リワーク出勤』で治るというのは勘違いだ」…先輩のいかにも医者らしい世界観からの主張は、私にはのめなかった。そもそも勘違いがある。リハビリテーションは「治療」ではなく「回復」の過程である。回復とは、現場でこそなされるものだ。

病院という職場から離れた特別な場所での患者の姿しか診ていない医療者が、「自分達こそが復職準備性を判断できる権威者だ」と思うのは思い上がりというものだ。


ここで、「医療機関と仕事の現場の間の深い溝」の話について述べておこう。

そう。医療機関と産業の現場には溝がある。その理由のひとつに、産業がほしいものを医療が与えてくれないから、というのがあろう。

産業の現場がほしいのは「休職者が元通り働けるか」「その後また休職しないで済むかどうか」の見立てだ。そこで「病気についてものを言える権威者」ということになっている「医師」にお伺いを立てる。すると『抑うつ状態』などと背後の病気を伏せた御言葉や、意味不明な難しい御言葉などが診断書を通して下る。デルポイの神託なみに煙に巻くような予言である。

また、医者がお墨付きを与える「職場復帰可」は、再び悪くならないことをあまり保証していない。そうなるとそれは、真実であってもあまり役に立たない。

ただそれは担当する医者の見立ての腕が足りないからでも、医者のやる気がないからでもない。そもそも患者の未来は予言できないものなのだ。厚労省も「診断書ってそういうものだよ」と産業医に注意を促している。それで正しいのだ。


さらに今患者が復職できるのかということについても、医療と産業の感覚はずれる。復職ができるという基準には「職場で迷惑をかけない」「仕事ができる」というのがあるが、実はこれは元々の本人を知る職場の上司こそが評価できるものである。一方医者の「職場復帰可」は「出勤を禁止しない」というくらいの意味でしかない


少しも役立たない診断を下す医療機関を、産業の職場は頼みにしない。そもそも病気自体をなかなか治してくれないことに対して、精神科医療そのものに不信を抱いているかもしれない。


精神医学というものが、患者が近々どうなるかということについて関心を持ってこなかった問題とも言えるかもしれない。その事実は一般に理解されていない。



産業の医療に対する期待もずれているが、医療から産業に対する期待と現実もずれているかのしれない。あるいは産業への不信があるかもしれない。

それは、「職場が労働者の健康をもっと管理すべきである」というものである。これは本来そうあるものであろう。ただそれとかけ離れた現実がまかり通っている。明らかに病んでいる労働者に対して、「そんなものは病気のうちには入らない」と裁判で争っているところさえあるから驚く。精神科医療そのものにケンカを売るつもりなのだろうか?


労働者がメンタルの不調を訴える。休む。治して職場に戻ってくる。その間職場はその労働者に対して、休職の手続きくらいのことしかしなかった場合、職場が労働者の復職のためになんの役割も果たさなかったことになる。

じゃあリハビリ出勤をしている職場は立派なほうなのか?それがそうとも言えない。また休まれたら困るので、「一度職場復帰した」という既成事実を作らずにまた休まないかどうかを見張る。そんな文脈のリハビリ出勤なのではないかと私の目に映ることがあるのだ。労働規約上、一度復職すると労働者が再び休みやすい条件が整うことがあり、それを阻止するのだ。


医療者のこうした目も、もしかしたら偏見かもしれない。ならば対話が必要であるし、本当に職場が病んだ労働者の人権をないがしろにしているのであれば闘わなければならないかもしれない。

もう少しこのあたりのことが整備される必要がありそうだ。


前回はこちら。



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