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書くのである 番外編 落語の書き方(2)

『書くのである』は(1)までしか書いていないのに、番外編の落語の書き方のほうが先に進むのである。良いのである。


さてこの落語の書き方は、私は創作怪談にも使っている。面白い話と怖い話では方向が逆だが、

1)人の急激な感情的反応を呼び起こすことを目指している
2)それが最後にある
3)途中途中にも小さなオチがある、フラクタルな構造になっている
4)そこそこ短めで枠組みがある程度定まっている

という点で共通している。そうは言っても、あらゆる短い物語は上記の構造を持っているので、同じ方法論が使えるかもしれない。落語と怪談にとりわけ共通している点は1)と4)ぐらいか。

今回は、怪談で考えてみよう。この原稿を書いている時点でまだ手がけていない作品がある。私がやっているYouTubeのチャンネルで「クトゥルフ神話」を作ることになった。枠組みが決まっている新ネタを作る、ということになるので、本稿の方法論がまさに必要とされるときである。

Excelの表を載せておく。

『クトゥルフ神話』というのは・・と始めると延々と続いてしまう。ググってね。


関係ないもの 全体


2. スパイスを放り込む作業

アイディアを広げるやり方として、関連した似たようなものを広げるという話は済ませた。広げていったアイディアから抽出された言葉は、関係しているが、ベタではなくなってひと捻りの効いたものになっているはずだ。

シチューで喩えるとよいかもしれない。料理をする際にはある程度似通った具材が用意されるだろう。今は食材を用意している段階である。野菜シチューとシーフードシチューではそれぞれ野菜、魚介類といった類似の食材を集める。漫然となんでもありにしては、闇鍋のように混沌としたものになってしまう。

だが類似といっても、メイクイーンと男爵とキタアカリを揃えてシチューを作ってもそれは野菜シチューとは呼ばれず、ジャガイモシチューができるだけである(しかもどのイモが主題なのかもはっきりしない)。野菜シチューというなら、ジャガイモ、ニンジン、ブロッコリーといった異なった野菜が用意される。

場合によってはかなり遠くにまで離れた食材もあるかもしれない。それらをひとつの皿に料理として提供するためには、改めて関連させる、近づける作業が次に必要になる。それが調理の過程ということになる。


だが、その前にもう少しばかり食材を吟味しよう。


先ほどのやり方では2ステップで中心にあるひとつの言葉にたどり着いてしまう。ありきたりな緑黄色野菜が並ぶだけかもしれない。ならいっそ異なものを放り込むと良い場合がある。物語に味がつくのだ。

異であることが必要なので、今度は連想ゲームの逆をやる。

このとき、毎度ではないが、私がたまに入れるものがある。

喩えの方から先にしよう。スパイスである。


スパイスというと、きつい味で気を引くものの比喩と取られるのが難点なのだが、きつくなくてもいい。ベタなものでもいい。私が想定しているのは、ここではカレー粉のようなものだ。

登場する具材はメインの食材と見なされるだろう。だがそこに投じられるのがカレー粉である以上、その料理はシチューとは呼ばれずカレーになるのである。微量であっても、カレー風味のシチューにはならない。薄いカレーである。

もっとも物語の素材を考えている行程なので、ここでカレー粉に喩えたものがメインの食材になっても構わない。重要なのは、次元違いの異なものは入れやすいということだ。


ここまで書いてきて、「並みの料理と一線を画す本格的カレーの作り方」を書いているような気がしてきた。それではいかんので、具体例をあげよう。


創作落語の舞台は現代が多い。私は創作なのに江戸を舞台にして古典っぽい作品を作るのが好きだが、それは一般的ではない。どちらにせよ落語では、時代背景を色濃く出すことが必要だ。その際、異なものを放り込むのは、役に立つ。

現代を舞台にするとしよう。現代っぽくするのは簡単だ。現代っぽいものを放り込めば良いのである。

Excelで作った表には、その欄がある。

すでに「思考の花火」が済んでいるが、その下のほうを見ていただきたい。

関係ないもの

「今のもの」という項目に、「インターネット」「ヒトゲノムプロジェクト」が書かれている。ここは、適当に「今っぽいもの」を書く欄である。ざっと3つ以内、必要そうなら書く(思考の花火で物語がすっかりできあがってしまうときもあり、その場合はこの行程は飛ばして良い)。

なるほど今どきのものが書かれている。それにしても「インターネット」なんて陳腐すぎる言葉だが、捻りが目的でなければ陳腐でも充分足りる。カレーをカレー粉ではなく具材で勝負することは可能だからだ。

インターネットが登場する以上、この物語は1920年代の禁酒法時代ではありえず、現代社会の設定でクトゥルフ神話が展開するということになる。それだけでもそれを登場させることに役割はあるわけだ。


異なものを放り込むとは言ったが、「ヒトゲノムプロジェクト」については、上の思考の花火に引きづられた言葉である。「陰謀」「ニャルラトテップ(すんごく頭がいい)」あたりから、「なんかこの辺、使えるんじゃないかな」と思いついた。だから完全に異ではないのだが、素材として活きそうなら書き込んで悪い理由はない。

おそらく私の頭の中で「現代のもの」として「科学技術」みたいな言葉が漠然と浮かんで、そこから広げる、近づけるといった作業がすっとばされて結論だけ出てきてしまって、こういう言葉が浮かんでしまったのだと思う。


また、今回の行程はなくてもよい。現代っぽいものを入れることは、作品を書きながら随所に入れていくことができるからだ(入れていくことが「できる」というか、入れていく「必要」がある)。


さて、ここまでやっているのは結局のところ、ある種のブレインストーミングである。スーパーに言ってカゴに食材を放り込んでいる段階だ。

ブレインストーミングは良し悪しに関係なくたくさんのアイディアを出すのが大事だとされている。だが、カゴには容量がある。また仮に容量が無限であったとしても、全部の食材を用意してしまうと、素材をなにも絞り込んでいないのと同じことになり、また食材選びをしなければならない。

実際ブレインストーミングは、ただやるだけでは単に無駄の多い会議術であるということが知られている。だから連想法に多少の工夫が施されていたのであるが・・


「「インターネット」はやっぱり陳腐だ。ハウスのカレー粉だ!」


そう思うなら次は、思いついた言葉を洗練する必要がある。

それはまた次の機会に述べる。


Ver 1.0 2020/8/29


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