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みんなと私の『動機づけ面接』ーークライエントとの同行二人指南(23) 『子育てとコミュニケーションということから動機づけ面接の位置づけを考える』

(片付かない…)

動機づけ面接を「スタイル」と呼ぶことついて思うことと本の紹介

動機づけ面接は、「動機づけ面接はコミュニケーションのひとつのスタイルである」と言われるが、あえてそこは「特殊な技法である」と言い換えたほうがよい気がしている。そう言うのは動機づけ面接が役に立つ場面もあり、立たない場面もあり、ともすれば有害な場面もある人工的なコミュニケーションであることを否定できないからである。



こんな本を見つけた。たいへんに面白かった。


この本は人との関係性作り、すなわちラポールに特化した本かと思いきや、もっと深い話についても書いている。動機づけ面接についての記載もあり、動機づけ面接を学ぶ人にもお勧めの隠れた名著だ。コミュニケーションを4つのタイプに分けており、その観点からは動機づけ面接もごく限られた領域のコミュニケーションのありかただと知れる。

また次のような本もある。

子育てのために動機づけ面接を応用しており、それをMP(動機づけペアレンティング)と称している。

子育て

子育ての中には「しつけ」という要素がある。遊んだおもちゃを片付ける、公園でブランコの順番を守る、他人に挨拶をする、といった行動を身につけさせる。これらは行動の変容であるから「学習」である。
このしつけをごり押しすれば、目的はどうあれ子どもへの不適切な扱いということになる。不適切な扱いを虐待と呼ぶことになっている。いっぽうごりおしをしたくないからといってなにもしつけないと、それも虐待である。高圧的でもダメ、追従的でもダメ。いったいどうしたらよいやら、親というのはなかなかたいへんなものだ。


動機づけ面接では行動変容をどうやって起こすのか。これもうなんども言ってきたことで「ガイドする」ということになっている。なかなかよさげに聞こえるがじっさいはどうだろう? 朝保育園に行くのになかなか着替えをしようとしない子に対して


「ありゃ、おもちゃが目に止まっちゃってそれで遊びたい。いっぽう、もうすぐ幼稚園の時間ということはあなたもわかっている」

といった見事なMI方言は、考えるまでもなく不自然だ。


しつけは適切になされるかぎり、人の社会で生きていけるようになるので、子どものためになるものである。ところが、それを望むのは親だ。ここに無理、矛盾がある。しかも親子のコミュニケーションは力の差を前提としている。動機づけ面接は「二人の専門家」を謳うが、幼い者に期待できる自律性はまだわずかの領域にしか期待できないと考えたほうがよい。

こんなことも踏まえて、バランスの取れた対応をしていく必要がある。MPはそこから生まれた。"The Listening Space" では、MPのは動機づけ面接そのものではない、と言っており、これは重要な点かもしれない。


ただ、世の中のけっこう多くの人がそんなことを本で学習するのでもなく、親や知人からの知恵と己の感性と果てしない試行錯誤によって子育てをどうにかやっている。原動力は愛情である。その真剣な営みに対し、机上の勉強からとやかく言うのは不遜にすぎよう。


このように、子育てというコミュニケーション場面を取っても、動機づけ面接の穴が露呈する。行き詰まったときにヒントをくれるものであることはたしかだが、だからといってあまりひとつの技法の原理主義にはならず、必要に応じた修正を常識的に行うことも重要だと思う次第である。



動機づけ面接の記事はこちら

Ver 1.1 2024.5.27 

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