みんなと私の『動機づけ面接』ーークライエントとの同行二人指南(21) 『例えば子育てに使えるかということから動機づけ面接の本質を考える』
他技法と比較して動機づけ面接について思っていることをはじめに
動機づけ面接は、一技法である。私もそうだが動機づけ面接の仲間内ではよく「動機づけ面接はひとつのスタイルである」と強調する。磯村毅先生の真似である。「スタイル」とわざわざいうのはそれが「面接でのちょっとした関わり方」であり、「だからどんなコミュニケーションにも応用が効く」というニュアンスを込めているのである。
最近、その表現に弊害があると思うようになった。
たとえば、ロジャーズの優秀な弟子トマス・ゴードンは、動機づけ面接同様のものをすでに生み出していた。動機づけ面接などゴードンの焼き直しにしか過ぎない、と思われるほどだ。たとえば彼はカウンセリングで単に言葉を繰り返すだけではく、相手の意図を汲んで返答するアクティブ・リスニング(動機づけ面接の「複雑な聞き返し」)の概念を明確化している。
またそのカウンセリングスタイルを応用し、『親業』『リーダー業』といったものまであみだしている。トマス・ゴードンの技法もまたスタイルなのである。
「業」はすなわち「スタイル」である。動機づけ面接はつまるところ「相談業」である。動機づけ面接ばかりがことさら「スタイル」であるかのように強調すると、「これこそが万能」というような錯覚をするように思われるのである。「他のものと違って、これのいいところは・・」式の説明は、怪しい商品や宗教などでもよく耳にするものではないか。
他の技法も視野に入れ、その全体像から改めて動機づけ面接の位置づけーーどれほどありきたりで、それでもどこが違うのかーーを理解したときに、動機づけ面接についてのフェアな主張ができるだろう。そこで今回は、子育てという領域に果たしてどれだけ動機づけ面接が役立つのか、ということ通してそのことを考えてみたい。
子育て
親はよく子を叱る。児童館などに行ってひどく怒鳴っているお母さんを見ると、「ああ、うちの妻などまだ穏やかなほうだった」とホッとしたりする。無論、程度が過ぎれば問題で、行き過ぎると虐待になることもあるが。
トマス・ゴードンが『親業』で主張したことのひとつに、子供とパワーゲームをしないというのがある。
カウンセリングはクライエントのためにあるので、カウンセラーは相手をそっくり受容する。だが子育てでは子が「イヤ!」と言ったからといって、親がいつでも「イヤということ(↓)」などと動機づけ面接のカウンセラーがよくやるような単純な聞き返しで応じればいい訳ではない。親業を学びたての親もこれをやり、オウムみたいで気持ち悪いと子どもに言われたりする。
では『親業』ではどう教えるのか。ゴードンは、たとえば
「早くして!」
といった命令ではなく
「私は大変なのよ」
といった「わたしメッセージ」で伝えることを勧めている。「わたしメッセージ」はアサーション・トレーニングでよく使われるものだが、その大元はトマス・ゴードンではないかと思われる。
親業の前提には、「親は子の行動のすべてを受容などできない」というのがある。だから相手に行動してもらうために、「私は大変なの」と「自己主張」をするのだ。もう少し具体的な言葉にすると、朝の着替えが遅い子に対して「このままじゃ遅れちゃうからママが困るの」といった具合である。
「ハンマーを持った者には、すべての問題が釘に見える」という言葉がある。これは動機づけ面接などのコミュニケーションの技法を、わざわざ学んで身につけるような人は肝に命じておいたほうがよい言葉だと思う。「動機づけ面接をかじった者には、すべての問題が動機づけに見える」だ。だが両価性のないところに、動機づけ面接は適用されない。
特定の行動を増やしたいのであれば、ご褒美を与えればよい。これは応用行動分析でやることであり、他のペアレンティングにも採用されている(これをあたかもオリジナルであるかのように言っているペアレンティングもあるが、どう考えてもオリジナルに研究し発展させたのは行動分析である)。
動機づけ面接にこだわると、ご褒美の手段は言葉と態度だけになる。だがご褒美(強化子)としての効果の強さを考えると、言葉の力には限界があると言わざるを得ない。のんびり聞き返しをするよりは、とっとと一粒のチョコレートを与えてしまったほうが手っ取り早く誘導できることがある。この「手っ取り早さ」もまた、倫理的に重要なものである。
動機づけ面接の位置づけはどこに?
ほとんどの子どもは、すぐに片付けをしたり着替えにとりかかったりはしないものである。ここに、やれ発達障害だの注意欠如多動症だのといった概念を持ち込む必要などない。すべての親は己の子に向かって「早くしろ!」と思っているし、言ってしまう。
逆に遊んだり、おやつを食べたりということならば子どもはいくらでもやるだろう。それに対して親は「やめさい!」「もうそこまでだ」と止めたい。
トマス・ゴードンに倣えば、わたしメッセージを使えばよいといったところか。ここはできれば「早くしてくれないとパパは困るんだけれどな」とか「やめてほしいな」などと言えればよいところだろう。
動機づけ面接ではどういう言い方をすればよいのか。OARSを使うのか。チェンジトークを拾うのか。たとえば片付けを動機づけるならば、子どもが「僕、片付けるよ!」というコミットメントを引き出せばよいのか。
ならば、子どもが遊ぶのをやめないとき、「遊びたい。一方で、そろそろお出かけの支度をしなきゃ、って思っている(↓)」「このままだと遅れて困っちゃうかも、って少し気にしている(↓)」などと言うことになる。「いけません」と禁止するよりはずっといい。だがずいぶんと不自然だ。
子どもに両価性は、ないわけではない。ならば動機づけ面接の技法は使えるということにはなる。ただここで気になるのは、子どもに何かをしてほしい、やめてほしいのは親だということだ。そのコミュニケーションには親の思惑が混じる。たしかにしつけは子どものためになる。だがその場では、それ以上に親のためのものである。それが透けて見える。
こういったことから、動機づけ面接は不適切なことがある。親子のコミュニケーションには「折り合いをつける」という場面もある。親業や他のペアレンティングの対応はその手の場面を想定しているので、まだ少しは自然だ。
それでもカウンセリングだの「なんとか法」だのという技法はそもそもが不自然なコミュニケーションであることを肝に命じ、その適応の限界を踏まえたほうがよい。そうしないと、「スタイルである」が泣く。
動機づけ面接の記事はこちら
Ver 1.1 2023.1.6
Ver 1.2 2023.2.5
#子育て
#トマス・ゴードン
#親業
#心理学
#カウンセリング
#動機づけ面接
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?