学習理論備忘録(33) たとえば多動に
勉強会の話は離れて、でも学習理論や行動分析には定番といってもいい話をする。注意欠如・多動症(AD/HD)と呼ばれている人たちの、学校での勉強や生活での苦労についてである。
学校で特別支援が必要な児童については、だいたい1教室に2人程度はいて不思議はない。教員は、その児童たちの「問題」を述べる。
・ 「ボーッとしていて」学習に取り組まない
・ 「言うことをきかない」
こういった児童に、手続きを経てADHDというレッテルが貼られることとなる。
ADHDの原因について学者たちは、現在次のような仮説を立てている。ADHDは、なにか特定の仕事をしていないようなときに活発になる脳の機能の連携であるデフォルトモードネットワークというものが活発になっている状態から、目的のあることをするモードに切り替えることの困難さによるものである、というものだ。
だがちょっと待ってくれ。それって平たくいうと、「ぼーっとしているところから集中ができないとい」うことであり、結局のところ現場の教師が述べる問題が、大脳生理学の用語で言い換えられたに過ぎない。
(それ以前は実行機能・報酬系・時間処理という3つの経路に問題がある、という仮説があった)
ただ、問題点をあげつらうことによっても、次々と新しい仮説を立てることによっても、困っている人たちの手助けをするのにはさほど役には立たないだろう。
いや、多少なら役には立つか。起きている出来事をあれこれ口にすることで、「集中するまでが大変。一度集中してしまえば大丈夫。集中が切れたたらまた大変」といったイメージが整理される。多少は覚悟ができ対処もしやすくなったりかもしれない。
ボーッとしている児童に、「とにかく勉強に集中しろ」と言うだけではどうにもうまくいかない。教員も四苦八苦するが、児童の行動を変えられない。
一方、当人が「ああ、僕はこれだけやってもだめなのかあ…」とは容易に「学んで」しまって、ついには「やる気をなくす」とでもいうべき状態にまで変化してしまう。
実はこの一連の過程も「学習」である。
させたい学習はうまくいかず、好ましくない学習は見事にさせてしまっているのである。これは環境のほうに課題があるといったほうがいい。
臨床家はこの手の課題の解決に、行動分析学を応用する。そう応用したものが「応用行動分析」であり、臨床に用いるものは臨床行動分析と呼ばれもする。そこでは「行動の原理」と呼ばれる行動分析学が見つけてきた知識が利用できる。
よく「◯◯療法」というものが出てくると、質問が出るのが「それって発達障害には使えるんですか?」「それって統合失調症には使えるんですか?」といった各論への適用である。
またその療法のセラピストも、治療がうまくいかない場合、
「この児童は発達障害が重いので・・」
「統合失調症があるので充分には機能せず・・」
といった言い訳を用意する。失敗を患者のせいにすると考えればそれらは問題発言かもしれない一方、薬を病気に合わせて選ぶように、各療法に適応が決まっているので、そういう言い分がもっともなこともある。なんでもかんでもひとつの治療の型にはめればよいというものではない。
だが行動分析学が拠り所にしている「行動の原理」は、あらゆる人(その他の動物も)のあらゆる行動に関係のある原理である。だからそれを応用した応用行動分析は、病名や障害名に一切関係なく、問題行動を治してしまう。
発達障害についてはそれを治療するためのさまざまな技法(療育の方法)が作られており、ある程度の効果が見込めそうなものまではあるものの、しっかりとした効果が認められているものは応用行動分析だけである。(他にしっかりとしたエビデンスが出た技法があるならば教えて欲しい)
Ver 1.0 2021/4/18
学習理論備忘録(32)はこちら。
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