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「でんでらりゅうば」 第2話

 停留所にバスが着くと、すでに迎えの車が来ていた。灰色の軽自動車から降りてきたその男は、小走りにバスのほうへ駆け寄ってくると、挨拶をして名刺を差し出した。名刺には「戸丸村振興局 阿畑克文」と太い行書体で印刷されてあった。
 阿畑は安莉が電話の声から想像していたよりも年配で、背が低く、うっすら天然パーマのかかった髪は黒々としていたが、鼻梁を中心に左右に大きく離れた丸いギョロギョロした目のせいで、その顔はどことなくヒキガエルを連想させた。歳は五十代の前半といったところか。その印象にそぐわず電話での応対のときと同じように、善人そうな若々しい張りのある声で話した。
「ようこそ。よくお出でくださいました」
 と阿畑は言った。見れば女子中学生たちとほかの乗客を載せたバスはすでに出発しており、古くて狭いアスファルトの田舎道の上に、自分と阿畑だけが残されているのに安莉は気づいた。けれど同時に、阿畑から名刺を受け取りながら、確かにバスが発車するのを見届けた記憶があるのを思い出した。ついぞ見かけたこともない人間を、物珍しいのかバスの窓から見下ろす複数の顔に気づいたからだった。そこには老人と老婆と、あの手遊び歌に興じていた三人の娘の顔もあった。

 そこで安莉はゾクリとしたのである。

 この土地の人間の、よそ者を見やるときの顔つきというものを、その日安莉は初めて目の当たりにした。窓の向こう側では老人も老婆も、若い娘たちでさえ、口をほんの少しだけ開き、ただじっと一点を見据えているが反面放埒ほうらつとしても見える、または相手のなかに何かアラ、、を探そうとうかがってでもいるような、どこかに威嚇いかくさえ含んだ何とも言えぬ表情を浮かべているのである。その顔が世代も個人も超えて皆まったく同じであることと、ついさっきまで車内で見せていた少女たちの無邪気な賑やかさとの落差に、安莉は戦慄にも似た感覚を覚えた。
「さあ、では行きましょうか」
 そのとき阿畑が言った。役所勤めの人間に共通する、信頼を呼び起こさずにはおかない穏やかな声だった。その声に救われたように我を取り戻した安莉は、そそくさと携えてきた荷物を軽自動車の後部座席に置き、阿畑に促されるまま助手席に乗り込んだ。
 
「……では、今日はこの村に泊まっていただくということで」
 車を出しながら阿畑が言った。戸丸村へ上る前に、この〝下の村〟の宿泊施設に一泊するということは、事前に聞かされていた。何でも目的の村は極端に標高の高いところにあるため、平地から一気に上ってしまうと人によっては高山病のような症状を起こす危険性があるとのことだった。
「まあ、大丈夫だとは思いますけどね……今は色んな体質の人がいますから……」
 あくまでも予防的措置として、大事を取ってのことだと阿畑は言った。安莉にしても、今夜の宿泊代も村のほうで持ってくれるというので、特に異存はなかった。それに戸丸村の人々からは〝下の村〟と呼ばれているらしい、この地域を見られるのも、観光気分が刺激されて悪い気はしなかった。
 阿畑が予約を入れてくれていたのは、宿泊施設の併設された温泉だった。このごろ地方の温泉ブームで、そういった形態の施設が増えている。安莉にも馴染みのある光景だった。
 地元の利用客が多いのだろうか、夕暮れの時間帯で、広い駐車場はほぼ満車に近かった。受付まで付き添って手続きをしてくれた阿畑と別れ、個室に荷物を置くと、安莉は早速温泉へ向かった。
 塩化ナトリウム単純泉の天然温泉は、美肌に効果があると脱衣所の効能書きにあった。かけ湯をして湯に浸かると、なるほどつるつるした感触で、非常に気持ちがいい。湯から出て体を洗ったあと、安莉は露天風呂のほうへ向かった。
 岩風呂のあいだにすっぽり収まるようにして寛いでいると、後から年配の女性の二人連れが入ってきた。どうやら地元の人のようで、何やら互いに楽しそうに話し合っている。
 やがて岩のあいだにいる安莉に気がつくと、そのうちのひとりが話しかけてきた。
「どこからなった?」
 一見してよそ者だとわかったらしい。第一声でそう尋ねられたが、おばさんの声は人懐っこく優しかった。
 安莉が隣県から来たと答えると、まあまあ、と、もうひとりのおばさんも積極的に話を聞きにくる。他人に対して垣根を作らない、開放的な気質が感じられた。
 いつこの地に着いたのか、ここで何をしているのかと、興味深げに二人に聞かれて、安莉はその質問に答えていった。
「この上の戸丸村に行くんです。そこでしばらくのあいだ仕事をすることになって」
 安莉が言うと、途端におばさんのひとりは眉をひそめた。
「戸丸村に?」
 もうひとりのおばさんが、たしなめるように湯のなかでおばさんの腕を掴むのがわかった。すると、腕を掴まれたほうは、取り繕うようにひとつ二つうなづきながら、笑顔を作って話し始めた。
「……あっこに行くんやったらない、古い神社があっとよ。お姉ちゃん知っとう? あれやったら居るあいだにいっぺん訪ねてみたらよかよ。ほんなこつ由緒んある、有り難か神社らしいけんたい」
「あっこはね。古~い村やっけんね」
「ちょっとしかおらんたいね?」
 二人のおばさんは、代わる代わる畳みかけるように話した。そのとってつけたような様子に妙な違和感を覚えはしたが、そのときの安莉は特に気にも留めなかった。ただ、古い神社という言葉には興味をそそられ、おばさんたちに勧められたとおり、一度訪ねてみようと思った。


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