【短編小説】 シャルトリューズからの手紙 第3章
正月の三が日が明けると裕人は息子を連れて発っていった。世界各国の友人たちに年始の挨拶をするために、プライベートジェットで飛び回るのだ。
一緒に行かないか、と誘われたこともあったが、私は頑なに断った。体の具合が悪くなるから、と言い訳をして。「ちぇっ。つまらない女だ」一度裕人が吐き捨てるように言ったのを、いまでも覚えている。心から軽蔑するような表情を浮かべて、苛立ちながら、長いあいだ無言で私を睨みつけていた。日本でも五本の指に入り、世界に名だたる大財閥の当主である主人が公の場に妻を連れて出ないのは、奇異なことであり恥だと思われていた。けれど私ははじめから病気を理由に裕人との同席を拒み、一度も彼の妻として人前に出たことはない。裕人は最初は気にかけていたけれど、段々と平気になってきて、何年か前からは自分の見目麗しい秘書を代理として隣にかしずかせ、パーティーに出席するようになった。
そんなことをされても、私は一向に気にならない。私は彼の妻になったつもりはないし、彼のことを夫と思ったことも一度もない。私の心は氷山の氷のように、薄い青みを帯びて、凍り切っている。
去年のクリスマスの晩、久しぶりに裕人は私を求めた。帰ってくるときにはたまにあるのだけれど、お酒に酔って気分の良くなった裕人は、主人面をして私が独りで寝ている部屋に入ってこようとした。鍵がかかっているのに気がつくと、自分の書斎へ行ってマスターキーを取り出し、それで鍵を開けて入ってきた。私はできる限り抵抗したけれど、力で抑え込まれて、結局裕人の思いどおりになってしまった。裕人はその夜ご機嫌で、妻を従わせ夫の権威を保ったことでさらに満足しているようだった。私が嫌がりもがけばもがくほど、裕人の手には力がこもり、その顔には淫靡な喜びさえ宿るようだった。私はといえば、過去の屈辱的な出来事が思い出され、二重の責め苦に苛まれていたというのに……。何も知らない裕人は、ただただ妻を屈服させるゲームに夢中になって、自分の欲望を満足させることしか考えていない。
その顔に、要二翁の面影がちらつく。なるべく顔を背けているのに、「オイ、こっちを見ろ」と顎をつかまれ無理矢理顔を向けさせられる瞬間に、私はどうしても見てしまう、あのころの要二翁の顔を。父子はよく似ている、傲岸な顔立ちも、強靱な体躯も。
あのころも、要二翁はこうやって私を抑えつけていた。マスターキーを使い、夜中に私の寝室に入ってきた。裕人がヨーロッパ出張に行っている最中だった。
「子どもができないお前たち夫婦を心配してな」
と要二翁は言っていた。
「裕人のだろうと俺のだろうと関係ない。要は、この家の跡取りが出来ればいいんだ」
血筋が大事だ。そう言っていた。
――その後、ひとり息子が生まれた。
弟から3度目の手紙が届いたのは、それから3ヶ月後のことだった。Chartreuseという文字の刻印された封筒を手紙の束のなかに見つけるのも、はじめてのときに比べると慣れてきたような気がする。私はもう慌てることも隠すこともなく、朝日の射し込む書斎で、窓にかざした封筒の端をペーパーナイフで切った。――お姉さん。いまはもう懐かしさを通り越して愛おしい、弟の肉筆が目に入ってくる。少し癖のある小さな字は、最初のときと変わらず便箋をびっしりと埋めている。私は不意に、それ自身が彼の祈りであることに思い至ったような気がした。いままでにはなかったような印象が、今度の手紙からは感じられた。それはところどころで震えるように乱れた筆跡や、明らかに涙の跡と見られる文字の滲んだ箇所や紙の縮れるようによれた箇所から醸し出されていたのかもしれない。
私は仕事机の椅子に座り、手紙を広げた。手紙は、泣いているようだった。
お姉さん。3度目のお便りになります。最近は、霊的読書に夢中になるあまり、以前のように手紙を書く時間を確保できないでいました。お姉さんがこの手紙をあまり心待ちにはしておられないという様子も、僕の筆を鈍らせた一因ですが……。
始めます。
こちらでは、冬の寒さがピークを迎えています。標高が高いので、夏のあいだも天候によっては寒い日もありましたが、いざ本格的な冬を迎えますと、まったくその比ではありません。
つい先日、オランダから来ていた修道士がひとり〝脱落〟しました。北方から来たはずなのに、ここの冬の気候がこたえたようで、すっかり心を病んでしまっていました。
〝脱落〟という言い方は、先輩の修道士のひとりが使っていたものです。ここでは途中で出ていくものに対して、若干の侮蔑を込めてそう言うことがあるらしいです。僕たちはここにいる限り沈黙の行を続けていますが、毎週日曜日の午後、外へ出て約4時間に渡るウォーキングを行います。そしてその間は会話することを許されているのです。僕たちはいつも、さまざまなことを話し合いますが、先週の日曜日の会話はもっぱら〝脱落〟した修道士の話題で占められていました。彼もまた、皆と同じように2年間の修練機関を経て、3年間の有期誓願を果たし、ここで生活していた仲間です。ここには、確か3年間いたということでしたが……。〝脱落〟した修道士に対しては、修道士たちの態度はそれぞれです。ある人は、神の慈悲と憐れみをもって彼のことを想うのに対し、ある人はこの場所に来るほどに信仰を深めていたのに、途中で〝脱落〟することは非常に残念だという気持ちを表明します。ここシャルトリューズで神とともに有る深い信仰生活ができることは、僕たち修道士にとってこの上ない幸せであるはずなのに、というわけです。
でも実際、僕も少し〝脱落〟しかかっています。相変わらず沈黙の行には耐えられますが、ここの寒さときたら……。いままでの人生でまず経験したことのない類の冷え方です。お姉さんも、お義兄さんとの旅行で、標高の高いところに泊まったことがあるのではないですか? スキー旅行かなんかで……。それならここの寒さが少しは想像しやすいかと思いますが。
とにかく、僕たちの房室のなかは寒いです。床が石造りのそのままの状態なので、底冷えが激しいのです。ひとりにつき充分な量の薪が分配されているので暖房に事欠くことはないのですが、自分に割り当てられた薪は、すべて自分で割らねばなりません。ここで何年も暮らし、冬の生活にも慣れている修道士らはよくわかっていて、秋口の早い時期から分配される薪を、毎日少しずつ割って、冬に備えて蓄えておきます。けれど僕ら新米の修道士には、なかなかそうやってうまく時間を配分することはできません。温かい陽射しと、柔らかな空気に満たされた美しい秋を満喫しているうちに、うかうかとその季節を過ごしてしまいました。
そんなわけで、いま僕は毎日睡眠時間を削って薪割りをしなければならない羽目に陥っています。底冷えのする寒さのなか、これはなかなか辛いことです。
そして凍てつきそうになりながら、〝修道士の生活は厳しい〟と、いまさらのように感じています。ときどき風邪を引きそうになり、背筋が震えて激しい頭痛に悩まされるとき、体とともに心も弱っていくのを感じてしまいます。そしてそんなときは、やけに自分を責めたくなるのです。ここへ来るまでに何をしたのか、何をしなかったのかということについて、厳しく咎められているような、罰を受けているかのような気持ちになることがあります。自分で選び、自分で決めた道だというのに……。
おそらく僕は、修練長に話をしなければならないでしょう。なぜならここ数日の僕は、以前とは違った態度でこの手紙を書くようになっているような気がするからです。
どうやら最近の僕は、修行どころか、世俗への未練を断ち切るために手紙を書いているようなのです。
切実な文面だった。
僕には、昔から現実逃避をする傾向があったように思えます。日々の暮らしのなかで息が詰まりそうになれば街へ出たり、大学に入ってからは、講義を抜け出しては友達と羽目を外したりしていました。外国へ跳んだのは、その最たるものだと思います。もっとも、その無謀な行為のおかげでいまの居どころを見つけることができたと言えなくもないのですが……。
――ところが、ここの、この個室では、どこにも逃避する場所はありません。僕はただ毎日、自分の手元を見、書物を読み、祈祷台に肘をつき、個室の脇にある小庭から、四角く切り取られた限定的な空を見上げるのです。それはものたりないどころか、僕にとって、それらのことをするのさえ、精いっぱいだと感じることがあるのです。
ここではすべて現実が、僕のなかの奥のほうにある真実を引っ張り出すよう迫ってくるようです。いま僕はそれがとても苦しい。
すぐにでも、修練長に話をするべきでしょう。そして僕がどうするべきか、導いてもらう必要があるでしょう。
お姉さん。どうかお元気で。貴女に会いたい。
手紙はこう結ばれていた。