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映画『12日の殺人』感想 男性視点では見えない真実

 シンプルな台詞1つが、本質部分を表現していて刺さるような感触がありました。映画『12日の殺人』感想です。

 2016年の10月12日の夜、21歳の女学生クララ(ルーラ・コットン・フラピエ)が、友人宅からの帰り道、何者かにガソリンをかけられ火を放たれる。翌朝、無惨な焼死体として発見され事件は発覚、殺人捜査班の班長に新任となったヨアン(バスティアン・ブイヨン)を中心に捜査が開始される。彼女の交友関係を洗い出すと、クララと体の関係を持ったという男たちが次々と浮かび上がる。だが、どの人物も決定的な確証は出て来ない。懸命に操作を続けるヨアンたちだが、次第に事件の闇に囚われ始める…という物語。

『悪なき殺人』で知られるフランスの映画監督ドミニク・モルによる最新作。2013年に起きた「モード・マレシャル殺人事件」という未解決事件をモチーフにして作られた作品だそうです。
 そう、未解決事件をモチーフにしているので、今作も事件の真相を解き明かすのではなく、そこに関わった人々の感情の移ろいを描く物語になっています。先日感想を書いた『落下の解剖学』と同種の作品といえるものです。

 ドミニク監督の前作『悪なき殺人』は、無関係に思える群像劇を緻密に練り上げて、1つの物語に結実する脚本芸術のような映画でしたが、一転、今作では物語そのものはシンプルなものになっています。
 解決の糸口を掴めず、事件そのものに取り込まれていくという展開自体は、わりとスタンダードになりつつあるものだと思います。ポン・ジュノ監督の代表作『殺人の追憶』に代表されるようなものですね。ただ、本作はそれよりもさらにエンタメ度を削り、フランス映画らしい空気感にしています。

 殺されたクララの男性関係ばかりをクローズアップして、捜査が暗礁に乗り上げてしまうわけですが、男性目線によって眼鏡が曇ってしまうという描き方になっています。事件の捜査をする男性刑事、捜査対象となる男性たち、全て男たちによる視点では本質的な部分に辿り着けないという表現になっているように感じられました。
 それとは対称となる位置に、クララの親友であるナニー(ポーリーヌ・セリエ)がいるんですよね。彼女の願いが、後半に登場する判事のベルトラン(アヌーク・グランベール)と、女性捜査官のナディア(ムーナ・スアレム)の存在に繋がっていくように思えます。

 男たちの持つ視点が、クララを尻軽な女性と断じてしまう一方で、ヨハンの相棒である刑事のマルソー(ブーリ・ランネール)は妻に浮気をされて離婚を突き付けられている立場の男性として登場します。容疑者となる男性たちに、妻の浮気相手への怒りをぶつけてしまうその姿は、男性の視点を一律でないものにしている効果があります。

 確かに、クララと関係があったとされる男性は、ロクでもない人物ばかりで、作中でも語られた通りクララは見る目のない女性だったようにも思えます。ただ、だからといって、それが殺されても仕方ないとされる責任が彼女にあるわけがないし、そもそも当人が亡くなっているので、男性たちの証言が本当かわからないわけですよね。ひょっとしたら、クララが性被害を受けていたものもあるかもしれません。
 ナニーが放つ「女性だから殺された」という台詞は、事件の動機であり、この物語を支配しているテーマであり、男性社会に突き立てた抵抗の刃のようなものだと思います。

 事件の結末としてはスッキリしなくとも、物語は未来を指し示す形で終わるので、一応の完結の体を為しています。現実社会の問題を扱う作品は、いつも未来が良くなるという願いが込められているから、それ自体は希望ではありますが、いい加減、未来へ責任を負わせるようなことは考え直さなければならないところなのではとも考えてしまいました。地味ではありますが、妙に心に刺さる作品でした。


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