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映画『ウーマン・トーキング 私たちの選択』感想 勝ち負けに左右されない、価値ある道へ 

 「議論」とは勝負ではなく、よりよい答えを出すためのものということを伝えてくれる作品。映画『ウーマン・トーキング 私たちの選択』感想です。

 自給自足で生活するキリスト教一派「メノナイト」に属する、とある村。その村では、多くの女性たちが朦朧として目覚めると、下腹部から血を流しており、中には覚えのない妊娠もするという事件が起こっていた。読み書きの出来ない女たちは、男たちから「悪魔の仕業」「作り話」と言われ、事件を否定され続けていた。だが、村の少女であるオーチャ(ケイト・ハレット)とナイチャ(リヴ・マクニール)が、夜中に家から逃げ出す村の男を目撃したことで、男たちによるレイプ事件だったことが判明。捕らえられた男性の保釈金を払いに男たちは街へと向かう。男たちが戻るまでの猶予は2日間。女たちは、「何もせずに赦す」「村に残って男たちと戦う」「このまま村を離れる」のどれを選択するか、話し合いを始める…という物語。

 ミリアム・トウズの同名小説(日本未発売)を原作にして、『アウェイ・フロム・ハー』『テイク・ディス・ワルツ』で知られるサラ・ポーリーが監督を務めた映画作品。原作小説はボリビアで実際に起きた実話を基にしているそうです。アカデミー脚色賞を受賞するなど、各所で絶賛されている作品です。
 
 物語の発端となる事件だけを見ると、悪趣味ポルノにしか思えないようなものですが、実話が基になっているというのだからポルノ以上にグロテスクですね。ただ、作品で描かれているものはグロテスクなものではなく、事件が起きた「その後」で何をすべきかということを提示する理性的な物語になっています。
 
 事件のあらまし、村の状況などが語られる序盤では、人々の生活も画面で描かれるわけですが、機械などが登場せず現代的ではない生活なんですよね。女性たちが読み書きを出来ないという説明も入るので、かなり昔の時代設定なのかと思わせられるようになっています。
 ただ、公式のあらすじにも入っているので書いてしまいますが、その後に国勢調査の車が村を走る場面で、この時代が2010年であるということがわかる仕掛けになっています。今作で描かれる女性虐待が、過去の話を現代に置き換える寓話などではなく、圧倒的に現代で起きている事件として眼前に差し出してくる効果がある演出になっています。
 
 村の女性たちによる、生まれて初めての投票、初めての代表者による討論、初めての自分たちでの決断というものが描かれていくのですが、民主主義の形成を為していく姿になっています。女性たちの間でも意見が分かれ、言い争いにもなりますが、よりよい道を選ぶ、見つけるための建設的な議論になっていきます。現代のSNSを始めとするネット上での、議論の皮を被った不毛な争いよりも、遥かに高尚なものに思えます。
 
 その建設的な議論を引っ張っていくのが、ルーニー・マーラ演じる主役のオーナなんですけど、その理知的な言葉と佇まいが素晴らしい人物になっています。ルーニー・マーラは現実離れした美しさを持つ役者ではありましたが、それ以上に内面性の美しさが、このオーナというキャラクターから溢れているように感じられます。今まで観たルーニー・マーラの演技でダントツに良かったです。
 
 オーナはこの性被害により妊娠、他の女性たちも同様の被害に遭っているわけですけど、それぞれで心の傷みの向き合い方は別で、それが軋轢になっていき、互いを傷つける言葉も生まれてしまいます。この辺りの描き方が、被害者同士でただシスターフッドに繋いでいくわけではなく、一筋縄ではいかない脚本の見せ方になっていますね。現代でも同じ傷みを持つもの同士で、自分の方が哀れだとか、自分は惨めではないとかで分断している姿は見られるものです。
 
 それぞれの女性たちが、それぞれ思い思いの丈を吐き出していく姿も素晴らしいですが、この議論に参加しないスカーフェイスを演じるフランシス・マクドーマンドの存在感も凄いですね。男に逆らう意見には与せず、議論の場から出ていってしまうので、実質的な出番は冒頭と終盤のみですが、その裏にどのような葛藤があったかを感じさせる脚本、そしてマクドーマンドの無言の演技は、まさに行間を読ませる表現になっています。マクドーマンドは本作のプロデュースにも名前を連ねており、出演面でも製作面でも、後方で支える役割を果たすものになっています。
 
 女性を描いた物語ではありますが、唯一の男性キャラであるオーガスト(ベン・ウィショー)も重要なキャラクターになっています。読み書きの出来ない女性たちに代わり、議論の書記を務めるオーガストは、マッチョイズムから遠く離れた存在であり、現代にあるべき正しい男性の姿と言えることが出来ます。女性VS男性という対立構造にならないのも、オーナの理性的な態度と、オーガストの柔らかな物腰によるものが大きいんですよね。このキャラがいることで、決して男性性そのものを責め立てることなく、重要なのは「正しい教育」の必要性であるという説得力ある主張になっています。

 そして、本作はこのオーナとオーガストの切ない恋物語であるというのも、堪らなく美しいものに仕上げています。2人がこの選択をするからこそ、気持ちが通じ合っている証明にもなるのですが、観ているこちらにとってはやるせない気持ちになるものです。坂元裕二脚本作品を観ているような感覚に陥りました。
 
 女性同士の議論でも、男たちに対しても、いわゆる「闘争」や「勝ち負け」という価値観にならないのが、この作品が描いている最も素晴らしい部分だと思います。論破や言い負かし、報復を与えることではなく、より良い道、全員がより良い未来を迎えるための方法を、考えて選ぶという物語になっていて、独りよがりではない正しさの感動みたいなものが生まれていると思います。

 モノクロに近いくらいに色合いがはっきりとしない画面がずっと続くのですが、それが最後の朝日で大きく美しい光に包まれた画面になっていくのが、物凄いカタルシスになっています。この人々を照らす光がずっと続くことを願わずにはいられませんでした。
 もちろん、この人々の前途は多難であるし、我々が暮らす現実も決して良い方向に向かっているとは思えませんが、それでも希望は捨てずに日々を生きていきたいと思わせられる力となる作品でした。


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