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映画『別れる決心』感想 辿り着けない事で完成する愛

 ここ数年観た中で、最もロマンチックな作品でした。映画『別れる決心』感想です。

 登山中の男性が山頂から転落死する事件が発生。捜査を始めた刑事のチャン・ヘジュン(パク・ヘイル)は、被害者の若き妻であるソン・ソレ(タン・ウェイ)と出会う。ヘジュンは、未亡人となったソレを気遣いながらも、落ち着いた態度で夫の死を受け止める彼女に疑惑を抱く。ソレの調査や張り込みを続けるうちに、ヘジュンは彼女の生活や過去を知ることになり、ソレに惹かれていく。自分の気持ちを自覚し始めながらも捜査を続けるヘジュンは、ついに転落事件の真相に辿り着くが、それは永い迷宮の入り口に過ぎなかった…という物語。

 『オールド・ボーイ』『親切なクムジャさん』『お嬢さん』などで知られる韓国の鬼才、パク・チャヌク監督による最新作。今作でもカンヌ映画祭で監督賞を受賞しており、その評価は揺るぎないものになっている大監督です。
 
 パク・チャヌク監督作品は、『オールド・ボーイ』は不勉強ながら未見でしたが、『親切なクムジャさん』『お嬢さん』は観たことがあり、暴力とエロスが強めで、わりとアクの強い映画作品を撮る印象でした。だから、今作のようにあらすじだけだと、よくある2時間サスペンスみたいな物語設定が意外に感じられました。しかもカンヌで高評価とは、どういう内容なのかという、作中のソレに感じるようなミステリアスな期待を抱いておりました。
 
 今作は一見、いわゆる「ファム・ファタル」ものと呼ばれる映画に連なる作品に見えます。男性が運命的に出会う女性にのめり込み破滅していくという形式のものですね。確かに、ヘジュンはエリート刑事であり、妻のアン・ジョンアン(イ・ジョンヒョン)との仲も睦まじいように見えていたのが、ソレとの出会いから道を踏み外していくような物語になっています。けれども、後半では必ずしもその関係性ではないように見えてくる仕掛けが、大きな特徴だと思います。
 
 この主人公2人の関係性は、いわゆる不倫になるわけですが、パク・チャヌク監督作品なのに、驚くほどプラトニックなんですよね。直接的に性的な触れ合いは全く描かれません。だけど、画面は濃密にエロティックな撮り方をしているんですよね。ヘジュンが張り込みとしてソレの部屋での姿を見張る行為も、お色気シーンでもなんでもないのに、完全に覗き魔的な変態性が感じられるショットだし、取調室でソレが腿の傷を見せるシーンも粘り気のある空気が醸し出されています。
 
 女性がミステリアスに描かれる時、神秘性を高めようとして、結果として何を考えているかわからない人間になってしまい、どこが魅力で虜になっているかわからない失敗パターンが多いと思います。結局、顔がタイプだっただけなんじゃないかとか思ってしまうんですね。
 けれども、このソレという女性はミステリアスではありつつも、中国からの移民という生い立ちや、行動背景、作中での変化がしっかりと描かれているので、ヘジュンが惹かれていく説得力があるように描かれています。取調室での寿司を食べ終わった後のヘジュンとソレが片づけをするシーンなんて、ちょっとリアリティないくらい美しい連携を見せてくれます。ここだけ何回も観たいくらい芸術的な息の合い方でした。
 
 恋愛的な部分の演出やメタファーはわかりやす過ぎるほどわかりやすい演出になっています。妻が食べたいと言っていた寿司をソレの取調室での食事に出すのもそうですが、ヘジュンがソレの元へ車で急ぐときのアクセルを踏んでスピードメーターが上がるのも、事件写真をコンロで燃やす時の炎のゆらめきも、全て2人の愛情が加速するという表現となっています。
 こうして言葉にしてしまうと、めちゃくちゃダサい演出に感じられてしまうんですけど、物語のメインとなる事件そのものは至極真っ当なサスペンスとして複雑なものなので、それと対比するように恋愛部分の演出はわかりやすくしているように感じられました。このコントラストが絶妙で、映画的な快感を味わうことが出来ます。
 
 ヘジュンが捜査でスマートウォッチの音声メモに言葉を吹き込む行為や、ソレが音声翻訳アプリで中国語を通訳させて伝えるのも、言葉というもの、伝える行為を象徴的にしていますね。特にソレが中国語を語る時はより本当の気持ちに近い言葉を吐く時という演出になっていくのも、わかりやすいものですが、凄く効果的でカッコいい演出になっています。
 
 出会いとなる前半の事件は確かにファム・ファタルとしてのミステリアスな魅力がソレにはあります。ただ、それはあくまでヘジュンにとっての視点だからなんだと思うんですよね。その後に再会する後半の事件以降は、ヘジュンの視点で進むのは変わりありませんが、むしろソレの気持ちがくっきりと見える作りになっています。ミステリアスだったはずのソレの内面が浮き彫りになり、ヘジュンと出会ったことで、狂わされていたのはソレだったという「オム・ファタル」ものになっていくという構造になっていると思います。
 
 不倫物語という点で、共感されにくい物語ではあると思うので、受け入れにくい人も多いのも無理ないかもしれません。そもそも、ヘジュンはまだ外面のよさという社会性はあるにしても、ソレに至ってはその心理や真相が明かされていくと、ほとんどサイコパスみたいな行動を取っているように感じられる人間となっています。
 ただ、最初から、あまり共感させようとして描いてはいないようにも思えるんですよね。感情移入して自分の意識と重ねる見方を拒否するような作品だと思います。恋愛心理というのは、第三者の冷静な視点からすれば、愚かな理解し難いものですが、当事者にとっては切実な気持ちからくる行動だったりするわけで、そういう事を描いていると考えると、物凄く純度の高い「恋愛映画」になっていると思います。
 
 刑事と被疑者でしか2人の関係性が成り立たないからこそ、ソレは後半の事件を仕掛ける行動に出たのだと思います。この思考がサイコパス的ですが、恋愛心理の当事者と考えて見ると凄く切実に感じられます。
 後半の視点もあくまでヘジュンによるものですが、前半と違って、ソレが仕掛けた道筋をなぞるものになっており、そこにはソレの視線を感じさせるものになっています。前半はヘジュンがソレを見つめ続けていたのが、後半はソレがヘジュンを見つめ続けているという、「見る/見られる」関係の逆転となっているように思えます。
 ここでヘジュンに自覚がない言葉を、ソレが「愛している」と受け取った言葉だったというすれ違いがありますが、直接的な言葉ではない方が刺さるというのも、恋愛的であり、美しさを感じさせるものになっています。
 
 エンディングも、観る人に戸惑いだけしか与えないようなものになっていますが、個人的には完璧な結末になっていると思います。ヘジュンはソレを追い続け、ソレはヘジュンに追われ続ける関係性で、それが完全体の2人の愛の形になっているんだと感じました。ヘジュンはあの後、ソレに辿り着けたのか、その後どのような思いを味わうのかは、正直どうでもいいんだと思います。あそこでソレを探し続けることが2人の完成形なんだと感じました。
 そういう意味では、ソレの思惑通りになったわけですね。この物語はソレが、ヘジュンにとっての本当の「ファム・ファタル」になるまでを描いた物語なのかもしれません。
 
 物語に社会メッセージを組み込む作品が増えていますが、今作はその辺りは匂わす部分はあるものの(ソレの移民という生い立ちや、ヘジュンの妻が原発で勤務する研究者という部分など)、あまりそれを前面に出すようなことはしていないように思えます。すごく閉じた世界観で描いた物語のように感じられます。それが、ヘジュンとソレの2人の物語であることを強調しているし、2人の想い以外の他の要素を排除するような作りに感じられます。全く共感出来ない2人の物語なのに、なぜか完璧な美しさの感動があるんですよね。
 
 パク・チャヌク監督による、とても精巧に作られた箱庭のような世界に思えました。観終えた後、その完璧振りに何故かガッツポーズしたくなるような不思議なテンションになってしまいます。こういう喜怒哀楽のどこにも属さない感情を味わいたくて、物語や芸術を求めているということを再確認することが出来ました。大傑作だと思います。


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