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映画『Arc アーク』感想 SF感表現の難しさ


 ちょっと不満が多いですが、こういうジャンルへの期待の表れと思ってください。映画『Arc アーク』感想です。

 17歳で産んだ子どもを捨てて、放浪生活をする少女リナ(芳根京子)。バーのステージで自分勝手なパフォーマンスをして追い出されたところ、エマ(寺島しのぶ)に見初められ、彼女の仕事に誘われる。エマは、遺体を躍動感あるアートとして保存する「プラスティネーション」の第一人者であった。エマの見込んだ通り、リナはその技術の才能を発揮して後継者となる。エマの弟である天音(岡田将生)は、この技術を発展させて、人間の老化を止める技術を開発し、不老不死が可能になったと世界に向けて公表。リナはその施術を受ける人類初の女性となり、30歳のままの姿で生きていくことになるが…という物語。

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 SF作家ケン・リュウの短編『円弧(アーク)』を原作とした映画作品。監督は『愚行録』『蜜蜂と遠雷』で知られている石川慶監督です。過去の2作も、小説を原作としているので、原作ものを手掛けているイメージですね。特に前作の『蜜蜂と遠雷』は、小説で書かれた物語のはずなのに、言葉ではなく映像での表現がとても豊かで、観応えある作品でした。それ以来、石川慶監督には注目をしております。

 不老不死を扱う物語といえば、手塚治虫『火の鳥』を始めとして、萩尾望都『ポーの一族』、高橋留美子『人魚シリーズ』、沙村広明『無限の住人』、ゆうきまさみ『白暮のクロニクル』など、結構な数があるイメージですけど、これ全部漫画なんですよね。映画では実はあんまりないようにも思えます。
 確かに不老不死を表現するには、時間の経過を表現するためには、時代が一変しているような仕掛けを施さなければならないので、絵で描けば出来る事も、実写だとかなりの費用がかかってしまうというのはある気がします。

 そしてその費用という点は、SF作品を表現するということにも当てはまるようにも思えるんですよね。今作は間違いなくSF映画なわけですが、それを表現するために映像に予算をかけてはいないと思います。特に近未来的な物体や世界観をCGで再現するようなことは全くありませんでした。

 そのSF世界観を表現するために用いられているのが、コンテンポラリーダンスなどを取り入れた、現代アート風の身体表現なんですよね。作中の「プラスティネーション」という剥製のような技術(これは架空ではなく、実際にある技術だそうです)も、アート表現の一環でもあるように感じられます。

 ただ、これが成功しているかというと、ちょっと、どうかなという印象もありました。リナが踊り子をしていたバーも、倉庫のような古びた建物で、ディストピア感があったんですけど、さほど、問題のある世界というわけでもなさそうです。その後も、この世界、もしくは時代が、どういう状況にあるものなのか、あまり見えて来ないんですよね。
 現代アートという難解な表現を使用したため、どういう社会で、どういう世界観なのかが捉えにくいものになっているように感じました。この序盤でちょっとポカンとなる人は多かったんじゃないでしょうか(個人的には、現代アート的な表現が一般人にも浸透しているというのは、なかなか成熟した社会なんじゃないかという印象もありましたが)。

 作品のテーマというものは当然、「生と死」になっていると思うんですけど、その二つが表裏一体のものであるということに辿り着く物語なんだと思います。
 天音の不老技術はもちろん、エマの「プラスティネーション」の技術も「死」の哀しみを遠ざけるためのものなので、この姉弟の思想は同じところからスタートしているんですよね。
 それが、物語後半に登場する利仁(小林薫)と芙美(風吹ジュン)という夫婦の死を厭わない姿と対比されるわけですけど、主人公であるリナが、なぜ、あっさりと不老不死の思想に傾いたのか、今一つ伝わってこなかったんですよね。
 若くして生んだ子どもを見捨てたのは、その力強い生への恐れと同時に、小さい命が消える死への恐れでもあるのかなと解釈しました。それが生と死が表裏一体のものであることに繋がるんだと思ったんですけど、ちょっと描写不足なのは否めないとも思います。

 主演の芳根京子さんの演技力は定評もあるし、良い役者さんだと思っていましたが、今作のリナという役どころでは、その脚本の言葉足らずな部分を埋めるほどの演技ではなかった印象です。その綺麗で大きな瞳では、あまり影のある雰囲気を出せていなかったようにも思えます。
 以前観た『累』という作品では、まさに影そのものという極端な役どころだったのですが、その時は顔の傷というわかりやすい理由があったのもあるように思えます。今作では、その時の影の演技がイマイチ発揮出来ていなかったように感じました。

 作中でリナは100歳前後まで年齢を重ねることになるんですけど、その辺りもあまり感じられなかったんですよね。芙美さんよりも、リナが相当年上になるわけですけど、普通に芳根京子さんと風吹ジュンさんの並びという感じで、肉体はそのままでも、時間の重ね方が違うという雰囲気が無いように思えたんですよね。
 この不老を選択した人々は、時間が止まっているという表現でもあるように思えるので、内面性の成長も止まっているからという解釈も出来るんですけど、生活している限りは、色んなことが起こっているわけで、それがリナの内面性に変化を与えていないとは思えないんですよね。

 後半のメインになる理仁と芙美の夫婦ですが、この部分が凄く良かったんですよね。ここだけ、あえてSF作品ではなく、昔ながらの日本の風景を見せるようなモノクロ演出で、完全に違う作品のようになっています。
 また、小林薫と風吹ジュンの演技も、巧過ぎなんですよ。死別を哀しいことのまま、こんなにも美しいものと思わせられるのも脱帽です。正直、前半のSF部分は設定の説明になって、後半パートが話の本筋のように感じられて、前半が冗長な印象になってしまいました。

 「不老不死もの」は、不死となった人間は独りだったり、ごく僅かだったりして、死別でどんどん、とり残されて孤独になっていくのが定番です。けれども、本作では不死を選択した側の人間がマジョリティというのが特徴です。けれども、その人々がとり残されていくような感覚は変わらずにあるように思えました。
 物語はリナの行く末に終始しているので、あまり語られていませんでしたが、不老不死の技術が世界的に広まっている設定なので、もう少し世界がどう変わっていったのか、SF的な部分での結末も、観てみたかったようにも思えます。

 色々と苦言を書き連ねてしまいましたが、こういう設定のみがSFで、本質的には人間ドラマという物語は好きなんですよね。こういう方面の作品が、もっと増えてくるのを期待しています。


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