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映画『SHE SAID その名を暴け』感想 痛快さよりも、大事なジャーナリズムの美しさ

 #MeTooの発端であり、核をなす超重要作品。映画『SHE SAID その名を暴け』感想です。

 ニューヨーク・タイムズ紙の記者であるミーガン・トゥーイー(キャリー・マリガン)とジョディ・カンター(ゾーイ・カザン)は、ハリウッドの大物映画プロデューサーであるハーヴェイ・ワインスタインが、自身の地位を利用したセクシャル・ハラスメントを行っていると聞き、取材を開始する。2人は、ワインスタインの行いがセクハラどころか、性的暴行に当たるもので、多くの女優や女性スタッフに被害が及んでいる事実を突き止める。ミーガンとジョディは、被害女性を取材して証言を得ようとするが、女性たちは告発に名乗りを挙げようとしない。それは彼女たちの傷が深いだけでなく、ワインスタイン側が口止め料を渡し誓約書を書かせる事で事件をもみ消していたからだった…という物語。

 作中でも実名の主役として登場しているミーガン・トゥーイーとジョデイ・カンターの共著によるノンフィクション『その名を暴け #MeTooに火をつけたジャーナリストの闘い』(新潮社刊)を原作として、マリア・シュラーダーが監督を務めた作品。
 #MeTooは、この「ワインスタイン事件」から始まり、歴史の大きな転換点に位置するムーブメントだと思います。ここから、女性蔑視と差別を描き、その不当さを訴える映画や物語が続々と生まれ、新しいジャンルとなっている事実を考えると、その影響は凄まじいものがありますよね。
 
 その転換点となった映画界最大の不名誉な事件を、映画として扱うのはアメリカならではですよね。しかも作中で登場する役者や業界人がほぼ実名というのも、フィクションでは終わらせないという気概を感じさせます。日本ではまだここまでの実録作品を生み出せる土壌が育っていないですよね。
 
 冒頭で描かれるドナルド・トランプのスキャンダルを追うミーガン、その甲斐もなくトランプが大統領選で勝利してしまうというところから始まるんですけど、つまりはトランプの存在を女性蔑視の象徴として使用しているんですよね(象徴というか、実際ガンガン女性蔑視をしている人物だと思いますが)。これが今作の物語構図を非常にイメージしやすくしている効果があると思います。女性蔑視の象徴が国のトップに居る社会そのものが、女性を抑圧しているという今作の描き方に繋がっています。
 ミーガンに電話で抗議をするトランプの声なんて、まさかの本人出演かと思うくらいそっくりな声でした(許可取りとかしているんでしょうか?)。トランプという「キャラクター」をとても巧みに使用していると思います。
 
 主人公である記者2人が取材する女性たちが受けた被害の実態は、とてつもなく醜悪な行いによるものですが、何よりも醜悪なのは、それが糾弾されることなく、事実として残らずに埋もれていたかもしれないという事だと思います。この事件以降、女性差別を描く映画作品は多くありましたが、今作で出てくる被害女性たちはフィクションではなく、現実の犠牲者であるという事実が、作品の重たさになっていると感じました。
 
 今作で描いている女性への抑圧というものは、男性から性的消費されることだけではなく、それ以外のものをバックボーンにしているのも印象的です。序盤でミーガンが出産を経て、産後鬱になってしまうのも女性が受ける弊害の1つだし、被害女性の1人であるローラ・マッデン(ジェニファー・イーリー)が抱える乳癌も、女性がかかりやすい病気ですね。
 
 こういうテーマの作品だと、男性の性欲が責められていると解釈してしまう人もいるかとは思いますが、そうではないと思うんですよね。ワインスタインの性的暴行は、性欲によるものというよりは、自己顕示欲、支配欲によるものだと思います。自分がいかに揺るがない地位に立っているかという優位性を見せつけたいだけの、いわゆるマッチョイムズから来ているように思えてなりません。他の作品での女性への抑圧というものの多くは、この支配欲という極めて不自然な欲求から生まれているものだと感じます。
 
 さらに問題なのは、法律を利用している点ですね。ワインスタイン個人によるものだけでなく、社会の仕組みそのものに問題があるという事だと思います。人を救うために出来たはずの仕組みが、いつの間にか社会そのものが人とは別の生き物のようになり、その維持のために人々が動いて、他人を踏みにじっているという構造は、自分が生きている世界がいかにクソ溜めのようなものであるかを見せつけられたような気持ちにさせられました。
 
 その社会の構造が、先述の性的消費以外の抑圧に繋がっているんですね。ミーガンが、女性が不安から鬱になるのは、この社会で生きることに不安があるからと考える場面にはハッとさせられました。ミーガンとジョディが行った取材は絶対的に正しい事ではありますが、それにより被害女性の傷を広げることもあり得るし、世の女性たちにも不安を与える恐れも描かれています。
 ただ、それでも後悔はないと言い切るジョディとミーガンのジャーナリズム精神には美しさが有ります。傷つけてしまう覚悟があるから、被害女性たちが連帯してくれたのだと思います。
 
 主人公2人の上司たちが完全に正義の方へ振り切っているのも、アメリカらしいわかりやすい描き方ですね。日本だと、記事を止めようとする上司や経営者などでドラマを作りそうですが、そういう所では流れを止めず、正しい方向性へ向かうのをひたすらに描いています(その方向性が間違っていた時がアメリカ的思考の危うさだとも思いますが)。
 
 終盤の、ワインスタインを見つめるミーガンの眼差しが本当に何とも言えない、演技表現でしか出来ない表情です。『プロミシング・ヤング・ウーマン』に続いて、同じテーマの名演となっています。
 
 原作がノンフィクションということもあり、全体的に非常に淡々とした展開になっている作品です。もっと偉そうな奴らにカウンターを食らわせる痛快劇に脚色することも出来たとは思いますが、この被害女性たちの傷の深さを考えると、そういうエンタメとして消費される物語にはしたくなかったのだろうと思います。
 ワインスタインを打ち負かすまでを描いた物語ではなく、取返しの付かない傷を、多くの女性が負った物語だと感じました。だから、今作は悲劇と考えられるかもしれません。
 ミーガンとジョデイ、そして告発に名乗りを挙げた女性に敬意を表したいと思います。


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