これが優しさだと思ってたよ
7/26(金) 東京タワーと恋人
江國香織さんの東京タワーを読んでいる。
江國さんの本に出てくる男性はみんな色気があって、女性はそれ以上に大人っぽくてそれでいて無邪気。なんというか本全体がしっとりしている。
本の影響か、ワインを飲みたくなってオシャレをしてみた。いつもはかないヒールをはいて、耳朶にはイヤリングをした。
大人になりたい時に行くところは上野だ。
銀座や六本木でもなく上野がいい。
美術館も公園も、駅の中の本屋だって、ひとりを肯定するような上野が好きだ。
ワンピースを揺らして街を歩くだけで、うんざりするような暑さの中、夕焼けがいつもよりロマンチックに見えてくる。
残業をせずにいつもより早く帰ってきた恋人と、カウンター横並びでお酒を飲む。
この何でもないシチュエーションすらも、江國作品を読んでいる期間は何となくドキドキしてくる。
恋人とのたわいもない話。私は安心しきっている。
ああ、これからこの人が「私の旦那」になるのだと思う。
恋人という響きが好きだ。
恋人が恋人でなくなる前に、恋人が夫になるまえに、恋人とのことを書いておきたい。
ふたりの間の新鮮さを忘れそうになったとき、私は江國香織さんの本をまた読もうと思う。
7/29(月) これが優しさだと思っていたよ
白状すると、私は自分を優しい人間だと思っていた。
「あの子、これは嫌いそうだな」
「この子は多分疲れてそうだからな」
と、相手の気持ちを、表情や態度から推測する癖がある。
そして読みとった相手の状況から、自分の行動を変えるから。
これが優しさだと思ってた。
でも「どうしてその選択をしたの?」と問われた時に、
「〇〇がして欲しそうだったから」と言うだろう。
気付かぬうちに、行動の責任を相手になすりつけているではないか。
相手は本当に望んでいるのか、それを確認することもなく、私が相手の気持ちを決めつけているだけなのに。
私がしていることが「配慮」だとすると、
これからは「思いやり」が出来るようになりたい。
相手の心を原因として、
行動を変えるのが「配慮」ならば、
「〇〇してあげたい」と自分の心が起因となって
行動を変えるのが「思いやり」だと思う。
おばあちゃんが作ってくれた、おにぎりを食べてそんなことを考える。
握りすぎてない、ふわっとしていて、塩がほどよく効いた梅干しのおにぎり。その繊細さに涙が出そうになった。
きっとおばあちゃんも、私がおにぎりを食べたそうだから作ってくれたのではない。
おばあちゃん自身が、作りたくて、作ってくれたのだと思う。
おばあちゃんの心から溢れでた優しさが、
私の心をじんわり満たした。
私の心から溢れる優しさを、これから誰に届けようか。
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