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目標を見失った24歳の春、私は恋人のために生きるのか?

最近暇な時間があると「私がこの人生で叶えたいことってなんだろう」と考えていた。

思い返してみたら学生の頃はいつだって、目標がそこにあった。中学生のときは良い高校に行くこと、高校生のときは良い大学に行くこと、大学生のときは良い会社に就職すること。
みんなが当たり前に進んでいく道を踏み外さないように、私は目の前の目標に向かって努力をしていた。

ところが社会人になった瞬間、急に目標がなくなってしまった。
会社での出世や結婚、出産を目標のひとつにしてもいいが、みんなが当たり前に進んでいく道かというと、そうでもない。幸せになれるかどうかもわからないし、私自身、絶対に叶えたいと思っているわけでもなかった。

何も目指すものがないってこんなにも人を不安にさせるんだ。ただ生活しているだけで目の前に目標が与えられていたことは、幸せだったんだな。


そう思いながら考えに考えて、今一番叶えたいことは、恋人に依存したものだということに気付いた。
恋人と少しでも長く一緒にいられたらそれでいい。彼と楽しい時間を過ごすことが、いつの間にか私の中で最も尊い時間になっていた。

彼が、いつか地方の実家に一緒に帰りたいと言った。嬉しかった。新しい目標が、できた気がした。彼が叶えたい夢を私も一緒に叶えたい。そのために走れたら、もっと毎日を楽しく生きられるかもしれない。

縁もゆかりもない恋人の地元に一緒に帰るなんて、以前の私からしたらありえない話だ。きっとそんな一方的な話をされた時点でブチギレて破局確定演出だったはずだ。

自分が大切な家族や友達と離れてでも、今頑張っている仕事を辞めてでも、一緒にいたいと思えるほど素敵な人にこの年齢で出会えたこと、それは本当に、本当に幸せなことだ。



けれど、それで良いのだろうか。私がこの手で叶えたいこと、努力して掴みたい夢って、本当に何もないんだろうか。


次のnoteで、私が死ぬまでにやりたいことリスト10を作ろうと思う。小さなことでもいい。きっと10個も思いつくのにかなりの時間を要するだろう。
それでも、何か見つかるかもしれない。そう思って、またnoteを開くことにする。

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