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内省(リフレクション)って、反省じゃないはずなのに・・・

「対話」の効能を語るうえで大事なことって、内省・リフレクションだと思っている。自己観察、セルフモニタリングとも言えるだろうか。
自分が感じたことや反応に目を向けて、味わう。あー、こんな風に感じてたのかー、とか、こんな反応あったのかーと、自分で自分を受け止める。
そこに、ジャッジは不要。
まずは、ただただ受け止めるだけ。なんか出てきたら、言葉にしてみるのもよき。言葉にしなくても、よき。

で、内省・リフレクションについてやり取りしていたら、「俺、内省とか興味ないんっすよねー。昔、仕事で失敗したら、リフレクションレポート書かされて、まじ反省文とかやめて欲しいって思ってました」と。

おや?リフレクションレポートって、反省文なのかい?

何が起きたのか、振り返って書き留めて、そこからの学びを未来につなげるレポートじゃないのだろうか。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、、、と書き連ねるレポートでは、きっとなかったと思われる。

そうか、「内省」ってなんだかネガティブな概念と結びついてる場合もあるのかー。確かに、自分をみつめる、自分と対話する、と一見フラットな行動でも、どうしてもネガティブな方向から考えがちで、鬱々としてしまうことがあるのも事実だし・・・。不安や恐れ、嫌なことには目を向けずに、ただただフラットに自分をとらえる。そっと観察する。ポッと出てきたものを言葉にする。

内省って、決して、ネガティブに自分を追い込むこと、では、ない。

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