after 20 years

「20年経ったら、社会は変わってるんじゃない?」と会話した記憶から、そろそろ20年。 …

after 20 years

「20年経ったら、社会は変わってるんじゃない?」と会話した記憶から、そろそろ20年。 さて、社会は変わったのか。いや、私は変わったのだろうか。 これからの20年も見据えながら、たまに世界中を飛び回った過去の記憶も掘り出しながら。

最近の記事

20年に向けて

社会に出てから二十数年経過し、今の会社に入ってからあと少しで20年。 20年経たないと変わらない、20年経てば変わると会話をした日までも、あと少し。自分自身がある程度の年齢にならなければ、どうやったって変わらないんだと気付いたのは、いつだったろうか。 社会は、少しずつ少しずつ変容していく。ガラリと変わることがあるようで、ない。一方で、ガラリと変わることなんてない!と思っていても、大きく潮流が変わっていくことだってある。 特に、2023年から「昔は許されていたけど」と言われ

    • 弱者とは、誰が定義するものか。

      先日の人事面談での出来事。 「私の職種って、弱い立場にある(弱者だ)と思うんですよね」と会話の流れから、伝えてみた。 「僕はそうは思わない」と、上司である面談相手から即答された。 おっと、そう来たか・・・。 不毛な会話を続ける気もなく、そのまま黙り込んだ。 何を前提として、「弱者」とするかしないか、じっくり対話してみるほかはない。けれど、「強者」側に”そうは思わない”と言われてしまうと、どう話を進めたらよいのか、一瞬頭は真っ白になって、黙り込む選択をとった。 人は、そ

      • ニンゲン宮本浩次がそこにいた

        エレカシ35thコンサート5回目。 3月上旬に有明のチケットをポチってから、あれよあれよと5回もコンサートに行くことに。 3/19(日)@有明の体験が何しろ衝撃的過ぎた。花道横の席だったこともあってか、全力のパフォーマンスただただ感動。圧倒された。パフォーマンスというか、それは「演じる」ということではなくて、いかに内なるものを「届ける」か、そんな気迫に満ちたものだったと思う。自分に没入するだけでもなく、没入するためにバランスよく周囲(音響やら…)のことも細かに気にかけながら、

        • 共鳴しながら進化していくコンサート@エレカシ35th 2days

          エレカシ35thツアー@名古屋1日目。 そこには、有明の二日間とはまた異なる宮本浩次がいた。 より一層、その場にのめり込んでいる感じ。 珍奇男に入る前のMCで、バラードだと紹介していた。みんなと共鳴したい、とも。珍奇男に限らず、曲が終わったかと思いきや、アレンジ加えながら数フレーズ続く演出も、有明に比べて多かったと思う。メンバー紹介も、ややすっ飛ばし気味だった様子が、音の世界に没入していたことのあらわれか。 細かに音のバランスを確認しているかと思いきや、三部の途中でイヤモニ

        20年に向けて

          「宮本浩次」との対話でみえてきたもの

          エレファントカシマシの35thライブ@有明アリーナに2日間行ったあと、Youtubeで動画を漁り、ネット記事を読み、いくつかのアルバムを歌詞カード手元に何度も聞いた。 惹きつけられる理由はなんだろうか。 デビュー前の藤井風がとにかく楽しそうに没入してピアノを弾いている姿をYoutubeで見た時と、同じような引力。 純粋にメロディーが良いとか、歌詞が良いとか、歌がうまいとか、容姿がかっこいいとか、そんなことを超越した「何か」がそこにはある。 全身全霊で歌を届けようとする姿、

          「宮本浩次」との対話でみえてきたもの

          藤井風を追っかけていたら、エレカシ/宮本浩次が3m前にいた

          藤井風に辿り着き、ググっていた中で出てきたワード「風と共に」。エレカシの曲が出てきた。 エレカシ30周年の時に出したシングル。みんなのうたでも流れてたらしい。染み入る曲。この曲以外でも、エレカシの歌には「風」ってよく出てくるよね。そういえば。 エレカシ、今何やってるのかなーとさらにググったら、35周年のアリーナツアー直前で有明アリーナのチケット買えちゃった。 そして、LIVE直前にセトリ調べて予習しようと検索してたら、Twitterで「乱入男」のことを書いている人がいて

          藤井風を追っかけていたら、エレカシ/宮本浩次が3m前にいた

          脳神経科学の観点からみる「対話」の効用

          「対話」って、気づきを促すアプローチとして長けているし、複数でやりとりすることで多様な価値観を受容する力もアップするのでは?と、仮説を持った。 「心理的安全な場」には自己開示が大事なんて話も聞くけれど、そもそも、”職場で開示できる”自己”があるのか?””働く現場において、自分をおざなり、置き去りにしていることが多すぎないか?””そこからの変容がなければ、旧態依然とした組織文化は変わらないのでは?”という問いから、「対話」への興味が俄然湧いたのは、2021年秋頃のこと。 本を

          脳神経科学の観点からみる「対話」の効用

          第15回CDショップ大賞2023 大賞<赤>コメントから知る藤井風の世界観

          第15回CDショップ大賞2023 大賞<赤>を藤井風さんが受賞していて、YouTubeで配信されていた授賞式でのコメントがとても興味深かったので文字起こししてみました。 特に「自分を愛する」ことについての応えが、彼の思想、世界観、まさに彼が掛けている眼鏡を通したコメントだなぁと。 この質問は、アルバムタイトル『LOVE ALL SERVE ALL(全てを愛し、全てに仕えよ)』に関連してのもの。 彼自身、まだ探している途中と言いながらも、CDジャケットにもその思想は反映され

          第15回CDショップ大賞2023 大賞<赤>コメントから知る藤井風の世界観

          Feel Happy(客体的)が続くと、 Be Happy(一体的)になる

          「Well-Being」について考えている中で、出てきた「Happyとは?」という問い。Well-Being = Happyではないとは思いながら、それなりに相関性は高そうという感覚アリ。問いを深めていく中で、Feel Happyを意識的に重ねていくことで、Be Happyな状態になっていく、つまりは「Well-Being」につながっていくのでは?というイメージが見えてきた。 Feel Happyは、瞬間瞬間に自分の中に湧きおこるポジティブな反応をキャッチして、「うれしい!

          Feel Happy(客体的)が続くと、 Be Happy(一体的)になる

          企業戦士に人間の心を取り戻す

          「対話」に興味をもつに至った背景を遡っていくと、上司と全く意思の疎通ができなかった体験にたどり着く。価値観の相違や言語的なコミュニケーションの問題だけではなく、根本的に全く話が嚙み合わない違和感がそこにはあった。上司が発する言葉だけでは今一つ理解が及ばず、問いを重ねても掴みどころが不明。言語外の情報から真意を得ようとしても、どうもヒントになるものが得られない。そこで頭に浮かんだのは、上司の頭の中、腹の中には本人から湧きおこるものが「何もない」のでは?という仮説。 教科書的な

          企業戦士に人間の心を取り戻す

          「わかりあえない」を乗り越える対話のfirst step:自分に寄り添うこと

          つい先日「わかりあえない」話をしていたら、宇田川元一さんの『他者と働く』を紹介された。 私が何をきっかけにこの本に出会ったのか、全く思い出せないのだけれど、誰かのおすすめか、ネット記事でだかできっと目に留まって、すでに読んでいた1冊。履歴をたどると2022年5月5日に購入していた。 この本をきっかけに、平田オリザさんの『わかりあえないことから』を読み、オリザさんのその他著書も読み漁り、「対話」をテーマにした本にあれやらこれやら手を出すことに。 行きついた先には、デビット・ボ

          「わかりあえない」を乗り越える対話のfirst step:自分に寄り添うこと

          ホントの自分、ハイヤーセルフ、真我、ソース、、、、、と藤井風。

          今年に入って、MISIAのHigher Loveが気になり、藤井風の話題になり、沼にハマって2週間目にたどり着いたこと。 サイババ騒動の記事やら様々な方のブログやらを読み漁り、藤井風本人のコメントやら投稿やらも追ってみると、「スピリチュアル」方面なことは分かりつつ、その起源なんかにも気になったところ、、、、、見えたこたえ。 COMA-CHIのPerfect Angelについて語るYouTubeに残る藤井風のコメント。今から3年前って表示なので、2020年?ちょうどデビュー

          ホントの自分、ハイヤーセルフ、真我、ソース、、、、、と藤井風。

          Call and Responseは対話か

          本を読むことは「自分と向き合うこと」というタイトルの記事を年始に書いたら、アクセス数はそう多くはないものの、アクセスに対して「スキ」を頂く割合が尋常なく高い事態に。 自分と向き合うこと、自分とつながること、本音に気付くこと、、、現代社会において、とても大事なのに置き去りにされている(気がしている)こと。 「自分探し」をサポートしてくれる”何か”を求めている人が沢山いるのだろうか。そこに共感して、「スキ」をくれたのかなぁー。 で、自分とつながる、自分を取り戻す、自分の存在

          Call and Responseは対話か

          藤井風と初老と経済効果

          藤井風@福井公演に行ってきました。 大雪の中、どうなることやらと不安を抱えながら。 新幹線の場合、米原あたりで雪だとヤバいのでは?と頭をよぎり、羽田から小松空港、小松から鯖江に電車で行くことに。ちょうどマイルもあったし。結果的に、ナイス判断だった。飛行機飛んでくれてありがとう。 12:00頃に小松駅に到着して、とりあえず鯖江に向かう。電車が動いている間にとにかく会場まで!ということで、早めに行動。会場に着いたのは、14:00頃。会場が開くのは、15:30。早すぎる行動にな

          藤井風と初老と経済効果

          内省(リフレクション)って、反省じゃないはずなのに・・・

          「対話」の効能を語るうえで大事なことって、内省・リフレクションだと思っている。自己観察、セルフモニタリングとも言えるだろうか。 自分が感じたことや反応に目を向けて、味わう。あー、こんな風に感じてたのかー、とか、こんな反応あったのかーと、自分で自分を受け止める。 そこに、ジャッジは不要。 まずは、ただただ受け止めるだけ。なんか出てきたら、言葉にしてみるのもよき。言葉にしなくても、よき。 で、内省・リフレクションについてやり取りしていたら、「俺、内省とか興味ないんっすよねー。昔

          内省(リフレクション)って、反省じゃないはずなのに・・・

          対話について書き連ねたいのに、なぜに藤井風について書くのか

          このnoteを再開した目的は、「対話(気づきのある会話)」について深めるため。なんだかピリピリとした毎日の中、サステナブルに暮らすために、「対話」がなんだかとても役立ちそう!という仮説をもっていて、その実践とそこから得られた考察をアウトプットすることで、次のステップに進みたいなーーーと、そんな感じ。 対話って、誰かと会話することではなくて、自分の内面とつながる会話のことじゃないか?と思っている。自然や絵画とだって「対話する」って言うし。決して、バーバルなやり取りが必要なわけ

          対話について書き連ねたいのに、なぜに藤井風について書くのか