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【私の自己紹介】野田国広(のーまん)

10代・漫画同人誌を学校で制作

福岡市南区で理髪業を営む野田家の長男ひとりっ子として生まれました。後から聞いた話だと実は双子で後から生まれた(双子だとしたら長男側)が奇形児で出生間も無く亡くなったという話を耳にした。ただこの話は戸籍上にも残っておらず、私の聞き違いだったのかもしれない。

小学校2年の初めまで南区井尻という街で過ごし、空き地や那珂川でよく走り回ったり、ザリガニ釣りなどして遊んでました。2年生の途中で西区内野(現:早良区早良)に引っ越し、小学生時代は主に山に囲まれた田園地帯で育ちました。

小学生の頃は友達と一緒に同人漫画誌をつくりクラスの中で回し読みしてました。なぜ漫画家というと実家が理髪店だったので、毎週のように新刊の週刊漫画誌が揃っていたので、その影響で漫画を自分でも描き出したのです。

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中学生のころまで漫画を描き続けてましたが、受験勉強もせず描いていたので親に全て焼き捨てられたのをショックに、漫画を描かなくなりました。高校時代はミニコミ誌をひとりで作っては学校内で配ったりしてました。また高校生の頃、芸能人への憧れもあって、友人が私の写真と一緒にジャニーズに応募したり、TBSドラマ『 毎度お騒がせします2』のオーデションを受けたりしましたが、いずれもダメでした。

20代・食品メーカーの営業時代

高校卒業後は大学受験しましたが、失敗して、免許を取って日本食研という会社に就職。動機は全国に営業所があるから東京に転勤したいという理由でした。仕事はルート営業でスーパーや小売店などをまわり商品の補充や新商品の売り込み、そして新規開拓・展示会営業などやってました。

担当していたのは福岡市内や久留米市、佐賀市など。3年目で念願の関東転勤で横浜や東京で勤務することになります。はじめての上京はドキドキしましたけど、一人暮らしが楽しかった。

20代・劇団員時代

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27歳のときに日本食研を退職し、劇団に入りました。劇団ひまわりにいた人たちで作った新しい劇団で、主に社会派な舞台をやってました。引っ越し後の掃除のバイトなどをしながら、4万くらいの風呂なしアパートに住んで、バイトと舞台の練習に明け暮れました。自主映画やフリーペーパーも自分で作ったりして、創作活動がとにかく楽しい時期でした。

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劇団は35くらいまで続け、30歳から地元福岡に帰って自分の劇団を旗揚げました。びっくりするくらい全然お客さん入らず売れなかったですけどね。いい仲間やいい経験できたのと、人生のどん底を味わえたのは大きいと思います。

30代・WEBの世界に

35歳のときに、劇団活動をやめて再上京し、リクルートでWeb制作をはじめました。中でもグルメサイトの新規立ち上げは結構ヘビーでしたけど、やりがいがあって楽しかった。東京版を立て上げて、その後名古屋の立ち上げにも行きました。制作系の仕事の後は、カスタマーサポート系の仕事やバックヤード系の仕事などをやってました。

40代・ソーシャル活動で街の中へ

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40代くらいになってくるとシブヤ大学やグリーンバード、グリーンドリンクスなどのソーシャル系イベントに参加するのが楽しくなって、ボランティア活動したり、自分でもオーガナイザーになったりしました。仕事場以外でいろんな業界の人たちと出会えるのが新鮮でした。川崎市や市内のNPO団体、企業の皆さんともどんどん繋がっていったのも、この時期でした。そうした縁から仕事も個人で受けたり、コワーキングスペースのコミュニティマネージャーの仕事もそうした流れからでした。

50代・インタビューメディアで全国とつながる

2020年以降コロナ禍となり、そんな中でクラウドファウンディングに挑戦し、ソーシャルタウンガイドというインタビューメディアを開始。それに付随して人に会いに行く旅も計画中。


#自己紹介

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