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叔父という人

2022年の夏、叔父が旅立ちました
コロナもあり、免疫力諸々が弱っていて、リスクが高いということで、数年会えていなかった

結婚式にも呼べず、結婚式の写真を見せに行くことも出来ず、悔しいけれど最期に結婚式の写真と長い長いありがとうのお手紙を渡せたので、もしかしたらおばあちゃんにも見せてくれているかも
それなら、それも嬉しい気もします

すでに長くなる気配がむんむんですが…
本日は叔父という人について


叔父は小さいころに脳性麻痺と診断されていて
食事もトイレも何もかも、介護が必要で
私は、叔父の言葉を聞き取ることも出来ませんでした

でも、尊敬する人は?なんて質問を
初めてされた中学生の頃から
私の尊敬する人はいつだって叔父「沖田博」です

私に大きな影響を与えてくれた 叔父のお話
お付き合いください

  1.  叔父という人

  2. 見せてくれた背中

  3. 叔父がくれた示唆



 叔父という人


前述の通り、叔父は小さい頃に脳性麻痺と診断され、私が生まれた頃には、車いす生活であったのはもちろん、トイレや食事、日常生活に全面的な介助が必要で、言葉をはっきりと話すことも出来ませんでした

それでも、私は叔父が大好きだし、尊敬してやみません

私の家は祖母の家と隣り合わせで、両親が共働きだったこともあり、学校から帰ると、両親の帰宅まで祖母の家にいるのが私の日課でした

24時間要介護な叔父は、祖母と同居していて、私がおやつを食べる時間に一緒におやつを(祖母が食べさせる形で)食べたり、トイレとなれば、祖母が世話をしたり、それが幼少期の私にとって当たり前の風景でした

「生活の世話をしてもらっている大人」
幼少期の私からするとそう見えるはずの叔父は、将棋が強く、株の投資も上手くて、物知りで、自分で使えるようにカスタマイズしたPCを使いこなす人でもあり

祖母の通訳が必要だったりしたけれど、叔父との会話はウィットが効いていて、ものすごくわくわくする時間でした

当時は、叔父をかっこいいな、とは思っていたけれど、
投資やPCのカスタマイズといったことを、私がやってみることと、叔父がやるのとでは、待ち受けているハードルが全然違う…なんて知らずに

ただ話していて楽しい、かっこいいい大人、として認識していたのだけれど

中学生になって叔父が一人暮らしの準備を始め
「障がい者が自立生活をする」ことを可能にしたいのだ
という想いを聴いて、叔父への気持ちが「尊敬」に変わりました

見せてくれた背中


24時間要介護の叔父が、一人暮らしをする
「普通」無理だ、と思ってしまうけれども

叔父は、絵を描きたい、と思えば
手首に黒鉛を縛ってもらってデッサンをし

身体は動かないけど
脳は動くから、と
将棋や投資を磨き

障がいがある人が
自分で出かけたいと思う場所に出かけ
自分で暮らしたり、働いたり
そんな「普通」なはずで、けれども叔父にとっては、全然普通にできないことになってしまっていることたちを、出来る社会にしたい…と強い想いを持っている人でした

叔父が若い頃には、駅にエレベーターなんてなく、駅員さんが手伝ってくれるわけでもなく

それどころか、電車に乗りたいと駅に行くと、駅員さんに「車いすなんかで来るんじゃねえ」と罵声を浴びせられたりもしたそうです

地元の駅にせめてエレベーターを、とエレベーターの設置を求める運動を仲間を集めて続けたり

一人暮らしをしようと思えば、障がい者自立支援のNPOを立上げ
介護のボランティアさんを募り

日常生活をおくるための介護者を24時間交替制で派遣できるようにしたり

実現できず悔しかったことの方が多いのかもしれないけれど、
叔父が目指す暮らし、叔父が目指す社会に向けて

「普通はどうか?」ではなく
「どうすれば実現できるか?」を考えてきた人でした


障がい者が公共交通機関を利用したり、街中で過ごしたり
社会の一員として存在することを少しずつ当たり前に

そして障がいがあるから、と諦めていたことを、諦めずに経験する機会を!と、NPOの利用者の方々との旅行企画を開催したり
もちろん、叔父自身の一人暮らしも実現してしまいました。

「無理だ」と100人に聞いて100人が答えるような状況も、どうしたらできるか?を具体的に考えて、1つ1つ行動を重ねていくこと

そんな姿勢を当たり前のように積み重ねる叔父の背中は、当時小学生だった私には、ものすごくかっこよく映り、そんな風でありたい、と自然と思わせてくれました

その後、
一度は40まで落ちた偏差値で国立大学を志望した時
教職、学生団体にボランティア、NPOでのインターンにアルバイトもゼミも複数掛け持ちetc やりたいことを大学生活で詰め込もうとした時
会社を辞め、未経験の分野で起業をすると決めた時
起業もするけど結婚も出産もしたいと願った時

何度も周りから言われることになる「そんなの無理だよ」という状況で、まずは出来ることを考えてみる、1つ行動してみる、そんな自分の中の当たり前、をくれた叔父

尊敬する人であり、本当に感謝しています

叔父がくれた示唆


自分が実現したいこと、自分が得意なこと
に目を向けて、「普通に考えたら無理」と言われたことを
実現していった叔父

本当に尊敬していますが
叔父がぶつかった壁には
社会や人によってつくられたものもたくさんあったように思います

叔父が生前綴った一冊の本があります
「すろーうぉーく」

叔父が本を書いたというのは記憶にあり、
祖母の家の客間の本棚にその背表紙がいつも見えていたことも覚えています
その頃に読んでみた記憶はあったのだけれど

今回、通夜で叔父の設立したNPOでボランティアをしてくださっていた方々が持ってきてくれた「すろーうぉーく」を改めて見て、叔父との日常が当たり前だった頃には感じられなかった大きなインパクトをくれた言葉がありました

"誤解を恐れずに、もう一つ付け加えるなら、健全者は健全者の日常性を尊重しようとする障害者の優しさに感謝すべきだ"

すろーうぉーく 

本当に、本当にその通りだと思いました

例えば駅
歩ける人の方が移動は容易なはずなのに、目的地に合わせて色々な出口を使えるのは歩ける人

車いすやベビーカー、松葉づえなど、移動が大変な人こそ目的地に近い出口を使えた方が良いはずなのに、エレベーターは駅に1つしかなかったり、そもそも存在しない駅すらあったり

ホームと改札の行き来もホームの端まで行かないとエレベーターがなかったり

エレベーターが乗りやすい車両も電車に1つしかなかったり


+αの配慮や設備が必要なはずなのに
より負荷の高い環境になっている

叔父の言葉に触れて社会を見てみると
そんな場所や機会の圧倒的な多さに頭を殴られたような感覚でした

私がそれに気づいたとて
駅の出口のすべてにエレベーターを作れるわけではないし
街の小さな段差も無くせない

でも、配慮を届けたいはずの人たちに
配慮どころか生きづらい社会になっている

健常者目線で生きやすい社会になっている
自分がその特権を享受している、

その事実に気づくことに
自覚している人が増えることに意味があると信じて
今回noteに綴りました

優先席を見てみると

優先席は誰でも座れる
優先席のアイコンにある人たちも優先席以外にも座れる
でも、もし他の席が空いていなくても大丈夫
優先席を使ってね

そんな皆に優しい仕組みだな、と思います

あまり区切るのもどうかとも思いつつ
健常者と障がい者と区切った時に
どちらかに優しい社会になっていることを、その恩恵を享受している人たちが自覚して

どちらを選ぶか、ではなく
皆に優しい仕組みや設備、心の在り方が増えていったらいいな、と願います

私の根っこを作ってくれた
叔父 のお話でした


PS
AFRICLというブランドを運営していますが
アトリエに「すろーうぉーく」を置いています
気になる方は読んでみてください

お越しになるのが難しい方も、お声がけください
叔父の想いを伝えられたらうれしいです

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