鎌倉ハイキングでじん帯を損傷したら迷いが消え失せたかもしれない
二週間以上も前なのだが、鎌倉へひとりハイキングに行ったときに足を怪我してしまった。
旅に出たくて仕方がない気持ちが強すぎるのに、現在取り組んでいる小説の翻訳出版に向けた原稿で忙しく家を離れられない。
パスポートをつかんで空港から飛行機に飛び乗らんばかりの勢いだった自分をとりあえず落ち着かせようと、曇り空の平日の朝、鎌倉のハイキングコースを歩くことに決めたのだ。
東京の外に出て、緑の中にいれば気持ちも静まるのではないか。と思ったからだ。
気持ちの焦りもあったのだろう。
そのような中、ハイキングコースを半分も行かない場所で、うっかり足をねん挫してしまったのだ。
場所は、北鎌倉から大仏様のある長谷まで抜ける葛原岡・大仏ハイキングコースである。
決して上級者向けではない4キロほどのコースであるが、怪我をするときはしてしまうものだ。
その時は、尋常ならぬ痛みに一瞬吐き気がして血の気が引き焦ったが、何とか歩けることがわかり、おそらく残り3キロはあった足場の悪い山道を、痛む足を引きずりながら大仏様へ向かった。
正直、山道というのは歩けなくなったら非常に危険だ。行くも引き返すも歩くしかない。担架で運ばれるのもまず無理なのだから。そういう危機感があったのか、結構な怪我をして痛みがあったにもかかわらず、わたしは無事に下山できたのだ。
このときはねん挫と思っていたのだが、無事に帰宅した夜、右足が信じられないほどに腫れあがり痛みが倍増してしまった。
翌朝、整形外科に駆け込んだら、じん帯が損傷していると言われてしまった。
レントゲン撮影で骨は無事だとわかったことだけは、不幸中の幸いだろう。
それでも、右足に痛み止めの湿布を貼り、固定して包帯でぐるぐる巻きにされるという何とも痛ましい姿になってしまった。
医師には、二週間は安静にするようにと念を押された。
思えば、災厄の予兆はあった。
あの朝、出がけにいきなりリュックのジッパーが壊れてしまったし、北鎌倉から歩く途中で薄手の上着を道に落として気づかず、数百メートルも引き返した。そして、いつものようにYouTube用の動画を撮影していたら、何故かアクションカメラの設定がスローモーションになっていて、通常動画で使えるものではなくなっており、トーク部分を含め音声は全滅だった。
その後、二週間以上たった今でも、痛みの強さは和らいだものの歩くとやはり痛いし、クリームパンのようにまるまると腫れてしまっていた右足は、サイズ半減したとはいえ、まだ少し腫れている。
でも、これはわりと本気でそう思うのだが、鎌倉ハイキングの神様か何かが、わたしに厳しいメッセージを送ってくださったということではないだろうか。
翻訳出版への道のりが長く、原稿が永遠に続くようで、そこから逃げ出したくて旅に出たい気持ちでそわそわしていた日々だった。
怪我によって強制的に自宅安静となったことで、最も大切な翻訳原稿に向かう仕事に向き合うしかなくなり、そのことで、浮ついた心が落ち着いて迷いが吹っ切れたような気もしているのだ。
そうしたら、作家ベッシー・ヘッドの言葉がより深く強く美しく1968年から響いてくるようになった。この作品を訳し始めて四半世紀経つのに、なんとこの二週間で作品がよりはっきりと色鮮やかに立体的に見えてくるのを実感している。
気が遠くなるほどの長い年月が経っているのに、ここにきてこんなに大きな変化があるとは驚いた。
日々作業をする中で、数えきれないほど読み訳し直してきたこの作品に、まったく違う命が日本語で吹き込まれた気がしている。
わたしの心の中で、わたしの人生とともに熟してきて、色んなことがあってようやく今に至っているという実感とともに、魂が一体化した感覚がある。
もう何の迷いもないなと感じている。
大学時代に南アフリカ出身でボツワナに亡命したベッシー・ヘッドという作家と出会い、初めてアフリカに行き、その後、国際協力分野で仕事をしてきていつしか四半世紀以上の年月が過ぎた。
この本を翻訳出版するという目標はまだ実現していない。
それでも、大学を出て大学院留学し、ジンバブエに赴任し、日本でODA関係の仕事をして、それから2023年には心療内科に「適応障害」と言われ休職からの退職を経た。
16年ぶりにようやくベッシー・ヘッドの大切な土地ボツワナを再訪し、会社を辞めた後はこの小説の出版をするために翻訳レーベル「雨雲出版」を立ち上げた。
そして、その経緯を思いを込めて書いた二冊のエッセイ本を出した。
最後に、鎌倉ハイキングで怪我をした。
もしかしたら、このダイナミックな流れの中で、わたしは次のフェーズに内面がシフトしているのかもしれない。
怪我というオプションはきつかったが、退職して収入もない今、不安はあれど念願の時間だけは確保した。
ようやっとわたしは最も愛するこの小説の原稿に心ゆくまで向き合えるわけだ。
これもまた、人生のひとつの大切な駒だったのかもしれない。
そう考えると、右足は痛くて歩くのはつらいが、わたしは停滞ではなく前進しているのだと確信できる。
心から愛するベッシー・ヘッドの小説を、日本語でお届けしたい。
きっと誰かの心に寄り添う大切な本になるから。この思いにもう一つの曇りもない。
でも、足が治ったら懲りずにまたハイキングに行こうと思う。
初心者コースをクリアしたら、次は中級者コースだ。
エッセイ100本プロジェクト(2023年9月start)
【25/100本】
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