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他者への想像力~チャイナとニーハオのアフリカ日常の裏を返せば

わたしが11歳のころ、親の仕事の都合でわたしたち家族(両親とわたしと弟二人)はアラスカ州アンカレジに引っ越すことになった。

小学校三年生で千葉から大阪へ転校したわたしは、六年生で今度はアメリカへ転校したわけだ。
日本でごく普通の小学生だったわたしにとって初めての外国だ。
誰かが転校するとき、クラスで色紙に寄せ書きをしてくれるのはよくあることだが、その中に書かれていたことを今でも思い出す。

アラスカって車はあるの?アラスカでクジラに食べられないようにしてね。

つまりアラスカのイメージといえば、氷の家に住むイヌイットであり、何にもない寒々しい荒野であり、野生動物なのである。

そんなことないでしょ、アメリカの大きなお家に住んで新しい学校に行くんだから!

そう反論するわたしにとっても、実際のところアラスカなんて未知の世界は想像がつかなかったし、海外自体初めてだ。やっぱりわたしもイメージがいまいちわかなかったのだ。1988年、もちろんインターネットもない。

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アラスカでの二年と少しの生活については語るべきことが多いのだが、特に学校での経験はわたしにとって現在の考え方を形作るひとつの基礎となったことは間違いない。

いちばん大きかったのは、「自分自身がマイノリティになること」だった。
しかも、普通の小学生。英語なんてわかるはずもない。

そこで、日本がいかに小さくてよく知られていない国なのかということを知った。

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