見出し画像

手段ではなく生き方としての「シンプル主義」を求めたい。

ここだけの話だが、ときどき「カイゼンの専門家」というひとのお話を伺いながら、この方のお宅ってどんなかしらと想像してしまう。さぞや効率的で生産性の高い快適空間にお住まいなのだろう。

 昨今では「ミニマリスト」たちが決してミニマムとは言えない数の本を書店に並べているが、時代はシンプルかつ効率的な方向性に流れているということなのだろう。断捨離や「こんまり流の人生がときめく片づけ法」(ご存じない方はGoogle先生にお尋ねください)が幅を利かせて久しいが、いずれも単なる手法というわけではない。ただ単に、捨てたり片づけたりすることが人生を輝かせる答えではないというのが、どこまで世間一般に共通理解としてあるのか疑問は尽きないが、そもそもこれらが受け入れられる素地がこの国にはあったのかもしれない。「片づけ」も「ミニマム」も手段だ。目的ではない。そこには、必ず自分軸というコンセプトがある。

 わたし自身、ここ6年ほどドミニック・ローホー氏の「シンプル主義」に傾倒している。彼女の考え方は、わたしの生活だけではなく、仕事、人間関係、あらゆる面において多大なる影響を与え、人生を変えた。手法ではなく、フィロソフィであり生き方そのものなのである。そしてそれは当然、深いところでカイゼンに通じている。

 アフリカの農村。靄のかかる早朝、女性が伝統的な箒を手に家の中や周辺を実にうつくしく掃き清めている姿を見たことがあるだろうか。カイゼンのフィロソフィは、すでにそこにあるのかもしれない。

 まさかカイゼンの専門家さん、お家の方に片づけのことで叱られたり・・・なんてしていないだろうとは思うけれど。

言葉と文章が心に響いたら、サポートいただけるとうれしいです。