見出し画像

忙しない日々を生きるあなたに贈りたい、観ながら寝てもいい映画『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』#aeuと映画

仕事をして、家事をして、残った時間は◯時間。そのなかでやるべきこと、やりたいことをあれこれ詰め込んで、次はこれ、その次は……時間がもったいない、移動時間も効率的に使おう——

やるべきことも、やりたいことも多すぎて、
時間はいくらあっても足りないような気がして。
常に何かをしながら、頭のなかでは次のことを考えている。

日々の生活をこなしていくなかで、
脳が休息を欲しがっている
そう感じることがアラサーを過ぎてから急激に増えた。
きっと私だけじゃない。
世の中が便利になっていくにつれ、いろんなことが時短できるようになった。にも関わらず、その浮いた時間をゆっくり「なにもしない」という選択が為されることはなく、その時間で新たなできることを詰め込んでいく。

現代の人々は忙しすぎる。

そんな脳が沸騰直前な私に、あなたに、
この作品は必要なものをくれる。




ということで、 #aeuと映画 シリーズ2本目✌
今回話題にしたいのはこちらの作品。

『SLEEP マックス・リヒターからの招待状』

(ポスタービジュアル / 見出し画像)
(C)2018 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin, All Rights Reserved
出典:Filmarks

こちらの公式サイトがかなり充実していて、音楽のPlaylistまであってプレビューで17曲聴けるようになっていたり、「マックス・リヒターが音楽を手掛けた映画リスト」なんてのもあったりして、サイトの雰囲気がまずとても好きだわ~となっている私です。



さて、映画の話や。

【aeuと映画】シリーズ2本目にしてめちゃくちゃマイナーな作品を取り上げてしまっているかもしれない。けどまあいっか。

映画館で体験する、最高級の“眠り”と“目覚め”
天才音楽家マックス・リヒターが贈る、奇跡のライブ・ドキュメンタリー

上記公式サイトより


そんな本作中のコンサートは、マックス・リヒターの挨拶から始まります。

こんばんは 「スリープ」公演へようこそ
8時間の子守歌です
規則はありません 聴くのも寝るのも自由です
携帯だけは切って
向こう側で会いましょう

ちなみに、映画の作品時間は8時間ではなく99分ほどなのでご安心を(笑)




携帯だけは切って

それは、一般的な演奏会と同じで、携帯電話の音が演奏の音の妨げになるからだと思っていたけれど、たぶんそうじゃない。
もちろんそれもあるだろうけれど、もっと重要視されているのはきっと「一切の情報からの遮断」。

瞑想よりももっと自由だ、立ち歩いたり考え事をしたりしてよいのだから。
脳の解放。本来人間にはそういう時間が必要だ。

そんなことを99分間の作品の開始10分足らずで実感することでしょう。


ぜひ本作はできるだけ没入感を得られる状態で鑑賞することをお勧めしたい。

暗い部屋のなか、ベッドの上で寝転がり鑑賞をするのもいいだろう。
両耳にはステレオタイプの高音質ヘッドホン、あるいはイヤホン。
可能なのであれば、スマホの通知も切り、一切の邪魔が入らないような99分間を確保してほしい。

演奏が始まり、両耳へ流れ込んでいるだけのはずの音楽は、まるで自分が実際にそのコンサート会場に居るかのように「全身に」振動を伝えていく。
比喩でも誇大表現でもなくて実際の感覚の話。

体中に響く重低音が、意識をどこか別の世界へ誘う。
『向こう側で会いましょう』
その言葉の通りここではないどこか、現実から離れたどこかへ。
日々の生活から切り離してくれる。

まるでバーチャル体験でもしているかのような不思議な感覚。
それは作品のなかで彼女が言うように『全く新しい音楽体験』だ。


正直なところ、私はこの感覚は劇場でなければ感じられないだろうと思っていた。
所詮はドキュメンタリーだし、追体験をできるわけではないだろうと、期待はしていなかった。

でも実際は想像を超えて心地の良い時間だった。
幸い(と言っていいのかわからないが)私はよほど注意してリスニングしなければ、聞こえてくる英語は意味を持たない音にしか聞こえない。それも良かった。
吹き替えであれば、それは過多な情報になってしまっていたかもしれない。

普段私は映画を観る時、作品に詰め込まれたものをできるだけ見落とさないように、取りこぼさないようにと、集中し見て聞いて読んで考えて理解しようとして、五感をフル活用する。
この作品は、字幕や台詞をそこまできっちり受け取りにいかなくてよい、と私は思う。
ただひたすら音楽に耳を傾けて鑑賞するも良し、目を閉じて鑑賞するも良し、なんならうたた寝もアリなんじゃないかって。それが許される作品な気がする。自然に入ってくるものだけ感じていればいい。

それはとても心地が良い。
無理がない。疲れない。自由だ。


本来、人に与えられた時間は、こんなにも自由なはずなのだ。

8時間。決して手の届かないような時間じゃない。誰もが持っている時間の一部だ。
でもこの8時間は、なんてたっぷりに感じられるだろう。なんて贅沢なんだろう。いつのまにか呼吸が浅くなって息苦しくなっていた毎日に、深呼吸をさせてくれる。


その体感をするのであれば本作の鑑賞ではなくマックス・リヒターの音楽を聴けばいいという人もいるだろう。
それでもなおこの作品の鑑賞を選択する必然性があるとすれば、一つは「音楽以外の要素にもリラックス効果がある」ということ。

流れるのは、心地の良い音楽と、果てなく続く空と緑、流れゆく雲、風が木々を揺らす音、葉の擦れ合う音、鳥たちの鳴き声、自然界の映像、自然界の音。
車の走る音、飛行機の飛ぶ音。
それ自体が意味を持たない音は心地が良い。
映像全体がビビットな刺激は持たない、目に耳に心地良く流れていく夜の静けさ、夜の包容力。


そして二つ目に、この「スリープ」公演を体感する人たちの様子を眺めるのも一つの安心感や癒しになるということ。朝を迎えた時の清々しい顔も見ものだ。
作品中でコンサートは、朝日とともに終演を迎える。
この体験をしたあとに迎える朝は、きっといつもより素晴らしく感じるに違いない。
何も特別なことがなくたって、世界はこんなにも素晴らしいのだと、そんな気にすらさせてくれるかもしれない。

そう、8時間ではなく99分間で、この体感からの清々しい朝を迎えるという追体験までできる。それは本作の鑑賞を選択する必需性となるんじゃないかなと思う。


気が付けば頑張りすぎてしまう日々の中で、疲れてしまった時に、また何度でも感じたい、体感したい、そんな不思議な作品だ。




(約2,700字)
あともう少しだけ簡潔にまとめられるようになりたい。



【aeuと映画】シリーズ1本目はこちら

ひさびさにこれ見た!って言っても4月頭のことだけど(笑)
読んでくださった皆さま、ありがとうございます♡




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?