見出し画像

文藝春秋 #未来のためにできること「未来、近未来、その先へ」



わたしは先祖代々、関東のとある都市に居住している。親友もそう。
あと、今は死語になりつつある、本家だ。父方も母方も本家なのは珍しいと想う。
父方も母方もスープの冷めない距離で、、わたしは10歳まで千葉に住んでいた。
そして、まさに、父方のおばあちゃんの鶴の一声「息子よ、帰っておいで」に、父は慄然とし。おばあちゃんの死期が迫ってる。おばあちゃんは病気をしている。お父さんはおばあちゃんがやばい!と、とても感じるものがあって。
お父さんは、速攻実家の敷地内に家を建て始め、元はそこには倉庫が立っていて、倉庫をずらし、新築の家を有名な建築事務所のインターネットで公開されていた図面を元に、一年がかりで家を建てた。
それはわたしが小学生の頃で、兄は中学生だった。
引越してくると、その埼玉の片田舎は私達にはすこし、窮屈だった。速攻出回る噂。
福祉は充実している街で、昔からこの土地に住まう人達。だれだれさんのお孫さんが引越したきたらしいよ。あ、だれだれさんの娘さんとこだよ、と。
馴染むのには時間はかかったけれど、わたしはいまは、この埼玉が地元だと想う。
親戚界隈もほぼ、埼玉だ。
親戚が集まる、冠婚葬祭、盆暮れ正月、春の彼岸秋の彼岸、墓掃除をしたり、ご先祖さまを送り火でお迎えしたのはついこの前のお盆だ。
わたしのおじいちゃんはとても小柄で、とても働き者だった。水戸黄門と大岡越前が大好きで、本当に水戸黄門みたいな見た目だった。
とても読書家で池波正太郎とか、推理物が大好きで。亡くなるまでに軽く1000冊は、お父さんが買ってきておじいちゃんは読んでいた。とても物知りで、なんでも答えてくれる人で頼りにされていた。さつまいもとネギが好きで、晩年までその2つは育てていた。
翻って、おばあちゃんとゆー人は派手好きで。
「ねぇ、これ地味かしら?」と、めちゃくちゃ派手なスカートを買うか悩んだらしい。華やかな花柄とか華やかな紫とか好きなおばあちゃんだった。
最近、おばあちゃんの書いたわたしの命名麻由美とゆー、半紙に書いた書道が何枚も見つかった。おばあちゃんとゆー人は、老人会をめちゃくちゃ謳歌しており、書道、カラオケ、日本舞踊と、なんでもチャレンジする人だったらしい。子供の頃しかよく覚えてないけど、とても可愛がってもらったと思う
母方は、おじいちゃんは戦争中南方戦線に従軍し、ラバウルとかあそこら辺に行っていた。戦争中に絵を習い、とても絵の上手い洒脱な人だった。母方のおじいちゃんも水戸黄門とか、時代劇好きだったな。膝の上で見ていた記憶がある。そして、母方の実家には墨絵のおじいちゃんが描いた龍の襖絵がある。めちゃくちゃ立派なの。
母方のおばあちゃんは料理から、木の幹に菌を植え付けて椎茸作ったり、畑仕事したり、料理したり、家事したり、休むことなく動いていた。おばあちゃんの煮物とか天麩羅すごく美味しかった。
わたしも母方のおじいちゃんに似たのか、絵や文才があり、小一の頃、小学校で描いた絵で大きな賞をとり埼玉から千葉まで父方のおじいちゃんおばあちゃん、母方のおじいちゃんおばあちゃんも。わたしの絵が飾られている公民館まで見に来てくれたことがある。
その時「麻由美は流石うちの孫だ!!」「いや、麻由美はうちの孫だ!!!」と、おじいちゃん達が孫のわたしを取り合ってたのもいい思い出。
わたしはおじいちゃんおばあちゃんにとても愛されてたし。いまは東京に住んでるけど、お父さんが本家のこの家を麻由美に、あげようか?と最近よく、言ってくれる。
お兄ちゃんには家族で住んだ、新屋でいいんじゃない?と。
わたしがSDGsとか、この先の未来を思い浮かべる時。そこには、おじいちゃんおばあちゃん。お父さんお母さん、お兄ちゃん、従兄弟達、従姉妹達、おじさんおばさん、親戚や街の人や友人。親友が居て。ご先祖さまが代々居る、この街を思う。
すこし不便で、名物は人参のなになに、みたいなこの街。と、この街と人。
色々な事があって。これからも色々な事がある。この街が永遠に続けばいいと想うし、わたしも息子や娘が出来たら、この街で静かに暮らしたいと想う。大好きな自然の多い自然の近くにある街だ。そっとここで暮らしたい
未来、近未来、その先も。
命のバトンを繋いで行くこと。連綿と続くこの時代を生きて行くこと。この街で暮らすこと。それがわたしに出来る未来へ出来ること。いまの世の中ではなかなか難しい問題もあるし。子供を1人でも産み育てるのは困難がつきものだ。
でもこの街なら、大丈夫。
そんな気がしてる。

この記事が参加している募集

よかったらサポートお願いいたします。サポートして頂いたお金を励みにこれからも創作頑張っていきますので宜しくお願い致します。拝読感謝しています。