見出し画像

夏目漱石 「それから」書評

夏目漱石の「それから」を読みました。

三四郎⏩それから⏩門
と続く、3部作のうちの2つ目です。

もはや、読み尽くされている名作だとは思いますが、改めて読んでみて名作だと実感しました。面白い。

あらすじと感想を書いたのでどうぞ。

※ネタバレ

あらすじ

主人公の長井代助は30才にもなるが、仕事を持たず、結婚もせず、財産家である父からの援助をもらって、日々のらくらして過ごしていた。代助は定職につかない一方で、読書に励む知識人で、演劇やら音楽も味わい、日々、精神活動に励んでいた。

パンに関係した経験は、切実かもしれないが、要するに劣等だよ。パンを離れ水を離れた贅沢を経験をしなくっちゃ人間の甲斐はない。(代助)

代助の父である長井徳は、実業家で、誠意と熱意があればなんでもこなせるという気合い主義の毒親で、代助はこの父を内心軽蔑しており、何度も「定職につけ」「嫁をもらえ」と説教されるが、代助は毎度適当にやりすごしていた。

ある時、中学時代からの親友である平岡が3年ぶりに代助のもとへ訪れたところで物語が動いていく。

平岡の嫁である美千代は、代助の学友の妹であり、代助はこの女を愛していたのにもかかわらず、平岡に周旋して結婚を仲立ちした過去がある。

それは、兄と母を腸チフスで亡くし、北海道にいる貧しい父しか身寄りがなくなった美千代の境涯を心配したのと、美千代をもらいたいと明かした平岡との友情を優先したためであった。

平岡は、結婚と同時に勤めていた銀行の京阪支店への転勤が決まり、3年間東京を離れていたのだが、支店長の可愛がっていた部下がつくった不祥事の責任をかぶらされ、自主退職してしまっており、やむなく東京に戻ってきたのであった。

平岡は何か職の口があれば周旋してくれと、代助に声をかけ、二人は別れる。のちに、平岡は新聞社に勤めることになる。

その後、数日して美千代が代助の家を訪ね、美千代は代助に引っ越しの代金や、金貸しへの返済のために金の工面ができないかと頼み込む。これは、平岡の遊蕩が元で作った借金が主であった。

産後以来、体調が悪くなっていた中、借金の依頼にきた美千代を哀れに思った代助は、これを受け入れ、懇意であった兄嫁に無心してなんとか工面する。

代助は父に呼ばれ、家を訪ねると、前々から話に上がっていた、財産家である佐川の娘との結婚問題を持ち出すが、もらう気がない代助は、適当な返事をしてしまう。父は説教したのち、最後によく考えろと一言残して、代助を帰す。

代助は、金を貸して以来、美千代の来訪を心待ちにしている自分を見て、美千代を愛していることを徐々に自覚し始める。

佐川の娘との縁談は徐々に進展していく中で、代助は平岡夫婦を何度か訪ね、平岡と美千代の冷え切った関係はもはや修復不可能だと悟り、美千代との駆け落ちを考えだすようになる。

代助は、とうとう佐川の娘との縁談を断り、
「姉さん、私には好いた女があるんです」
と兄嫁に告げる。

その後、代助は美千代を家に招き、
「僕の存在には貴方が必要だ。どうしても必要だ」
と愛の告白をする。

美千代は、3年前に自分を捨てて平岡との結婚を斡旋し、なぜ今頃になってそんなことを言うのかと泣きながら訴えながらも、この告白を受け入れる。

その後日、代助は父に呼ばれ、あらためて縁談を断ると、とうとう
「おれの方でも、もう御前の世話はせんから」
と父から支援を断絶されてしまう。

代助と美千代は密会を重ね、代助は平岡と話をつけると約束する。

代助は平岡に手紙を出したり、平岡の勤めている新聞社を訪ねてみたりしたが、平岡が病気で寝込んでいた美千代の看病をしていたため、なかなか会うことができなかった。

しばらく経ってようやく平岡と二人で顔を合わせる機会を得ると、代助は、3年前に美千代と平岡の結婚を斡旋した時から、自分は美千代のことを愛していたことを伝え、涙を流しながら深く謝罪し、
「美千代さんをくれないか」
と告げる。平岡はこれを受け入れ、二人は絶交する。

その後、平岡は美千代の件について詳細に書き連ねた手紙を、代助の実家に送っていた。それを見た兄が代助を訪ね、美千代の件について問いただしてみると、手紙に偽りはないと代助は認めた。

すると兄は、お前は一家の面を汚したと激昂し、今後一切、一家は代助との関係を持たないと言い放ち、代助を勘当する。
代助は、仕事を探しに列車に乗り、激動の世間に飲み込まれていく。

感想

代助は、理知があり、筋道の通っていない話が嫌いである。日本社会の堕落を盾にして、働かない理由を見事に紡ぎ出す。

弁が立つので、相手を言いくるめるだけでなく、「自分」までも納得させてしまう。だが、美千代は

「何だか厭世の様な呑気の様な妙なのね。私よく分らないわ。けれども、少し胡麻化していらっしゃる様よ」(美千代)

と、代助の自己欺瞞を感じ取っている。

美千代を平岡に斡旋した過去も、代助は鮮やかな友情物語だと自覚していたが、美千代を愛していた自分に嘘をつき続けていた。このような、代助が「自分についた嘘」が崩壊していく様子をこの物語は、刻々と描いている。

自己欺瞞が崩壊した末、「意志の人」として、縁談を断り、美千代と駆け落ちし、社会を敵に回すという展開は、非常に強烈だと感じた。自分が歩んできた人生や、抱いてきた思想を正当化するために自分に嘘をつき続けるのは、精一杯の自己防衛だが、崩壊した時が非常に恐ろしい。

なるべく心の声に従って生きていきたいものだが、それは簡単ではないだろう。自分自身の内なる欲求と、社会が求める道徳は隔たりがあるはずで、この二つの要素のバランスが崩れないためにはどうすればよいのか考えさせられた作品であった。

また、急激に西洋化が進んだ日本社会への痛烈な批判も、代助が抱く平岡や父の人物像を通じて、数多く描写されており、現代にも通じるところは多々あると思った。漱石が明治維新を経た日本に感じた違和感そのものなのだろうか。

「泰西の文明の圧迫を受けて、その重荷の下に唸る、激烈な生存競争場裏に立つ人で、真によく人の為に泣きうるものに、代助は未だかつて出会わなかった。」
「代助は人類の一人として、互を腹の中で侮辱する事なしには、互に接触を敢てし得ぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでいた。さうして、これを、近来急に膨脹した生活慾の高圧力が道義慾の崩壊を促がしたものと解釈していた。」

「三四郎」のような甘酸っぱさやユーモアは見られないが、作品を通じて緊迫感があって思わず引き込まれた。暗いと言う感じはしない。うまく言葉にできないが、代助の心境の変化が見事に描かれていて、やはり名作だなと感じた。

おわり

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?