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夏目漱石 「道草」 書評

夏目漱石の「道草」を読んだので、あらすじと感想を書きました。

この小説は、私小説的な要素が多く、漱石自身の体験が色濃く作品に表れています。
作品順としては、遺作である「明暗」ひとつ前のものです。

ストーリーの面白みや、オチの爽快さはありませんが、漱石自身の知識人としての苦悩や葛藤が、かなりリアルに描写されていて、漱石の心の暗い部分を知る上でも重要な作品だと思います。

※ネタバレ

あらすじ

大学教師である健三はイギリス留学から帰ってきて、大学教師の仕事に追われる日々を送っていた。健三は妻のお住と、娘二人と東京で暮らしていた。

ある日、15年ほど前に離縁したかつての養父である島田と道端ですれ違う。

健三にとって島田は、幼少期に育ててもらった義理もあるが、恥知らずで金に汚く、人格的にも軽蔑すべき人間であった。

そんな、島田が健三の家を何度か訪れ、金の無心をするようになる。

細君も腹違いの姉も兄も、絶縁している以上、島田へ支援する必要はまったくないと、健三に助言する。

しかし、健三は度々訪れる島田の要求に、ついに折れてしまい、無心はエスカレートしていく。

さらに、かつての健三の養母や、健三の姉、細君の父も経済的困窮を背景に、健三に支援をせがむ有様であった。

健三は、社会的地位が高い自負はあるが、経済的余裕はあるわけでもなく、親戚一同の小遣いの財源として見なされている状況にうんざりしていた。

彼はけち臭い自分の生活状態を馬鹿らしく感じた。自分より貧乏な親類の、自分より切り詰めた暮し向に悩んでいるのを気の毒に思った。極めて低級な慾望で、朝から晩まで齷齪しているような島田をさえ憐れに眺めた。
「みんな金が欲しいのだ。そうして金より外には何にも欲しくないのだ」

夏目漱石「道草」 57章

それに、三人目の子供を身籠った細君との確執、多忙な大学教授の仕事も重なり健三の苦悩は深まり、癇癪を度々起こすようになる。

健三はついに、島田に対してこれ以上金はやれないと断言して追い返したが、島田は、図々しくも別の男を通じて手切金として100円を要求をした。

健三はなんとか100円を工面し、一応は島田と絶交することに成功した。

健三は最後に細君にこう言って物語は終わる。

世の中に片付くなんてものは殆ありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他人にも自分にも解らなくなるだけの事さ。

夏目漱石 「道草」 102章

ーーーーーあらすじ終わりーーーーー


感想

健三は、当時、イギリス留学に行ったほどのインテリである。

普段から細君を理屈で上から押さえこみ、それに反発しようことがあれば、わからずやと見なして一蹴する。細君も意地っぱりなので、さらに反発し、ついにはヒステリーを起こす。これが作中で何度も繰り返されている。

かなり深刻な夫婦関係である。このすれ違いが何からくるのか?

健三は、知識人としての自惚が強く、理屈が通じない細君を軽蔑しており、高慢な態度をとっている。

しかし、細君からしたら、健三はインテリではあるものの、稼ぎが良いわけでもないし、高い地位にいるわけでもない。
さらに育児も家事も特にやらない健三を、夫としても三児の父としてもリスペクトできようはずがないのである。

彼には転宅の手伝いすら出来なかった。大掃除の時にも彼は懐手をしたなり澄ましていた。行李一つ絡げるにさえ、彼は細紐をどう渡すべきものやら分らなかった。
「男のくせに」
動かない彼は、傍はたのものの眼に、如何にも気の利かない鈍物のように映った。彼はなおさら動かなかった。

夏目漱石 「道草」 92章

さらにお互いが意固地ときているので、この不和は永遠に続いてしまうだろう。

健三は、学問を極めて高い地位を築き上げる理想と、親戚との過去に煩わされている現実とのギャップに、もがき苦しんでいる。
これが、この小説の主題なのかなと私は思う。

島田の要求など始めから相手にしなければいいと、健三自らが、理解してながら金を与えてしまうなどの矛盾している面もある。
健三の自業自得な感じも否めないが、頭が良い分、自分の矛盾に対して、耐えられないほどの嫌悪感を感じているだろう。

だが、なぜ健三は島田に金を与えてしまったのか?

島田に対して、義理を感じているのもあると思うが、島田を相手にするのが嫌すぎて、とりあえず帰ってもらうために、無心がエスカレートするのを承知で、金を与え続けたように思える。
別の理由も含んでいるような気がするが、そこまでは読み取れなかった。

健三の苦悩の解決策として、少しだけ「神への信仰」が挙げられているが、健三は徹頭徹尾、自己本位である。

無信心な彼はどうしても、「神には能く解っている」という事が出来なかった。もしそういい得たならばどんなに仕合せだろうという気さえ起らなかった。彼の道徳は何時でも自己に始まった。そうして自己に終るぎりであった。

夏目漱石 「道草」 57章 

健三は最初から最後まで孤独である。
なんとか救済の道はないのだろうかと、思わず同情してしまう。

読了してみてやっぱり漱石作品は、どれも名作でハズレ無しだなと感じた。
まだまだ読みきれていない作品があるので、また書評を書こうと思う。

ーーーーー感想終わりーーーーー

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