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三十一提督(みそひとていとく)
2023年8月31日 17:39
これまでの海軍軍人伝で取り上げられなかった大将について触れていきます。今回は塩沢幸一です。 前回の記事は以下になります。イギリス駐在武官 塩沢幸一は明治16(1883)年3月5日に長野県伊那に生まれた。実家は滋養強壮で知られる養命酒の蔵元である。松本中学を経て海軍兵学校に入校し、日露戦争が真っ最中だった明治37(1904)年11月14日に第32期生192名の次席として卒業し海軍少尉候補生を
2023年8月30日 17:25
これまでの海軍軍人伝で取り上げられなかった大将について触れていきます。今回は名和又八郎です。 前回の記事は以下になります。海軍省人事局第二課長 名和又八郎は文久3(1863)年12月22日に若狭小浜藩士である武久家に生まれた。生まれたのは江戸である。同じ小浜藩士の名和家の養子になる。名和家の家紋は帆掛船で、南北朝時代の有名な名和長年と同じだが実際の系譜関係はもちろん不明である。岡田啓介や加
2023年8月29日 18:51
これまでの海軍軍人伝で取り上げられなかった大将について触れていきます。今回は高須四郎です。 前回の記事は以下になります。イギリス駐在海軍武官補佐官 高須四郎は明治17(1884)年10月27日に茨城県で生まれた。海軍兵学校に志願したのは応募年齢ぎりぎりで、日露戦争の真っ最中に入校したときには20歳を過ぎていた。同学年の山本五十六(当時は高野姓)は入れ替わりに卒業している。第35期生172名
2023年8月28日 18:11
これまでの海軍軍人伝で取り上げられなかった大将について触れていきます。今回は井出謙治です。 前回の記事は以下になります。第二潜水艇隊司令 井出謙治は明治3(1870)年5月9日に旧幕臣の子として生まれた。主君である徳川家は静岡に移されていた。16歳で東京の海軍機関学校に入校するが3年目に海軍機関学校が廃止されて生徒は海軍兵学校に編入された。井出のクラスは第16期と呼ばれることになる。さらに
2023年8月27日 18:23
これまでの海軍軍人伝で取り上げられなかった大将について触れていきます。今回は加藤隆義です。 前回の記事は以下になります。東宮武官兼侍従武官 加藤隆義は明治16(1883)年3月20日生まれ、実父はもと広島藩の有力な家臣だった船越昌隆で、兄衛は新政府の官僚となりのちに男爵を授けられている。父の晩年の子で兄とも親子ほど歳が離れていた。海軍将校を目指して江田島の海軍兵学校に入校し、明治36(19
2023年8月26日 19:09
これまでの海軍軍人伝で取り上げられなかった大将について触れていきます。今回は中村良三です。 前回の記事は以下になります。春日艦長 中村良三は明治11(1878)年7月26日に津軽弘前藩士の家系に生まれた。日清戦争後に江田島の海軍兵学校に入校して海軍将校をめざす。明治32(1899)年12月16日に第27期生114名の首席として卒業し海軍少尉候補生を命じられた。この年の遠洋航海はコルベット金
2023年8月25日 19:55
これまでの海軍軍人伝で取り上げられなかった大将について触れていきます。今回は沢本頼雄です。 前回の記事は以下になります。海軍省軍務局第一課長 沢本頼雄は明治19(1886)年11月15日に長州藩の支藩である岩国藩士の家系に生まれた。日露戦争が終結するのとほぼ同時に海軍兵学校に入校する。明治41(1908)年11月21日に第36期生として卒業する。191名の同期生には卒業直前に病死した有栖川
2023年8月24日 18:46
これまでの海軍軍人伝で取り上げられなかった大将について触れていきます。今回は山梨勝之進です。 前回の記事は以下になります。 海軍大臣秘書官 山梨勝之進は西南戦争中の明治10(1877)年7月26日に仙台藩士の家に生まれた。仙台藩は戊辰戦争で朝敵となり戦後領地を大幅に減らされた。山梨は海軍で身を立てることを選んで江田島の海軍兵学校に入校した。日清戦争の最中のことである。卒業したのは明治30(
2023年8月23日 18:37
これまでの海軍軍人伝で取り上げられなかった大将について触れていきます。今回は加藤定吉です。 前回の記事は以下になります。橋立艦長 加藤定吉は文久元(1861)年11月18日に幕臣の家に生まれた。江戸はやがて東京と名前を変えて新しい日本の首都になる。加藤は軍人を志して築地の海軍兵学校に入校した。生徒時代にコルベット龍驤でニュージーランドから南米や北米を巡る遠洋航海に参加したがこの航海では多数
2023年8月22日 17:33
これまでの海軍軍人伝で取り上げられなかった大将について触れていきます。今回は三須宗太郎です。 前回の記事は以下になります。海軍大臣官房人事課長 三須宗太郎は安政2(1855)年8月6日に近江彦根藩士の家に生まれた。藩主井伊家は大老として江戸幕府を支えてきたが戊辰戦争では新政府軍に与した。しかし安政の大獄の印象が強い彦根藩出身者は新政府では肩身の狭い思いを強いられた。三須は数え17歳で東京築
2023年8月21日 19:09
せっかく調べたのでまとめます。こちらの記事もどうぞ。現役定限年齢 海軍軍人の服役について定めた海軍武官服役令ではそれぞれの階級ごとに現役定限年齢、いわゆる定年を定めていた。例えば海軍大将の場合65年で、満年齢でこの年に達すると後備役に編入されて現役を離れることになる。 ただし、現役定限年齢以前に現役を離れることも多々あり、むしろそちらの方が多数派だった。その場合は予備役に編入される。予備役
2023年8月20日 16:45
これまでの海軍軍人伝で取り上げられなかった大将について触れていきます。今回は瓜生外吉です。 前回の記事は以下になります。扶桑艦長 瓜生外吉は安政4(1857)年1月2日に、加賀金沢藩の支藩である大聖寺藩士の家に生まれた。維新後、東京築地にあった海軍兵学寮に入寮する。3年近く学んだ18歳でアメリカ留学を命じられたのはもともと海軍に入る前から英語を学んでいてキリスト教に入信していたことが考慮さ
2023年8月19日 18:21
これまでの海軍軍人伝で取り上げられなかった大将について触れていきます。初回は川村純義です。兵学頭 川村純義は天保7(1836)年11月11日に薩摩藩の下級藩士の家に生まれた。通称は与十郎。妻が西郷隆盛の従姉妹にあたる。幕府が長崎に海軍伝習所を設けると薩摩藩から選ばれて参加する。西郷に重用され、戊辰戦争では陸兵の指揮官として出征し、会津などを転戦した。維新政府では兵部省に出仕し、兵部大丞から士
2023年8月18日 02:42
補足です。日本の海軍大将を出身地で分類してみました。 前回の記事は以下になります。出身地 海軍大将の出身地を都道府県別にまとめてみた。だいたい本籍に一致するが、多少の注意がいる。例えば華族は東京在住が義務付けられているが本来の出身地とは異なる。特に本人ではなく祖先が爵位を得た華族は一律東京とされていることが多い。加藤隆義などが該当するがここでは広島とした。また旧幕臣で維新後静岡に移ったもの