海軍士官の定年
せっかく調べたのでまとめます。こちらの記事もどうぞ。
現役定限年齢
海軍軍人の服役について定めた海軍武官服役令ではそれぞれの階級ごとに現役定限年齢、いわゆる定年を定めていた。例えば海軍大将の場合65年で、満年齢でこの年に達すると後備役に編入されて現役を離れることになる。
ただし、現役定限年齢以前に現役を離れることも多々あり、むしろそちらの方が多数派だった。その場合は予備役に編入される。予備役の軍人が現役定限年齢に達すると後備役に変わる。
予備役と後備役の間は召集される可能性がある。後備役を5年つとめると退役となり、もはや召集されることはなくなる。もっとも、陸海軍高等武官は終身官とされており仕事も俸給もないが身分(階級)は保持している。正確に表現するならば例えば退役海軍大将、後備役海軍中将などと呼ばれる。
簡単にまとめると次のいずれかとなる。
現役→予備役編入(離現役)→現役定限年齢・後備役編入→退役
現役→現役定限年齢・後備役編入(離現役)→退役
定年のはじめ
明治9(1876)年にはじめて海軍退隠令で定限年齢を定めたとされているが実際の条文は参照できていない。明治19(1886)年の海軍恩給令で定限年齢を定めているが、将官については規定がなく大佐で60歳、階級が下がるほど早くなり、少尉で45歳となっている。昭和期にくらべると10年ほど長い。
明治23(1890)年にいたってはじめて現役定限年齢を包括的に定めている。このときは大将については定限年齢を定めず終生現役とされていた。もっともこの時点で海軍大将の該当者はいない。
明治23(1890)年時点での現役定限年齢は以下の通り(抜粋)。
軍医や主計官といった将校相当官も士官に準じていたが、明治28(1895)年に技術士官に対して現役定限年齢が3年引き上げられた。これは優遇されたように見えるが実は反対で、技術士官の最高階級が大佐相当までしかないため士官と揃えておくと早く引退を余儀なくされてしまうため定年を引き上げたものである。同じことは薬剤官にも言える。当時の薬剤官の最高階級は少佐相当までしかなかった。
中佐中尉の復活
明治30(1897)年に中佐と中尉が復活し、士官9階級が確定した。階級の名称は変わってもこの構造は終戦まで変わらない。階級の階層が増えたため、少佐以下の現役定限年齢が全体に引き下げられた。
明治32年の改定
明治32(1899)年に定年が整理される。まず、前年に元帥が設定されたことをうけて終生現役を元帥に限定し、大将の定限年齢を68年に定めた。
士官に比べて将校相当官の定年を全体に高めた。
士官の定年が2年ほど引き下げられて、将校相当官との間に差がつけられた。造船造兵、薬剤、水路の特別扱いが目立つ。薬剤と水路はいずれも中佐相当が最高で事情は共通のはずだが扱いに差がある理由はわからない。水路科士官はごく少数しかおらずのちに新規採用が絶える。
大正2年の改定
これ以前に薬剤科と水路科の最高階級が大佐相当に引き上げられたことにともなう微調整があったが、将校相当官の最高階級がすくなくとも大佐まで揃ったことをうけてか、大正2年に全面的な改定があった。
大佐以上で全体に定限年齢が引き下げられ、兵科士官・機関科士官・水路科士官とその他の将校相当官に大きく二分され、同階級間で1-2年の差をつけた。この期に及んで水路科士官が兵科士官並みに冷遇されているのは不思議だが、もはや文句をいう人間もいなかったのだろうか。
大正8(1919)年に階級が改称された機会に水路科士官の現役定限年齢は他の将校相当官と同じ値に揃えられた。
昭和5年の改定
これまで全体的に定年は若くなる傾向にあったが、ここで引き上げられる。必ずしも体力が必須でなくなったことと、軍縮の兼ね合いだろうか。しかしこの直後に軍拡の時代に突入する。
この値で終戦までいたる。
関連する変更としては、昭和16(1941)年4月1日から後備役が廃止されて予備役に統合された。予備役の期間が現役定限年齢から5年に達するまでと変わったが名称の違いで実質の違いはない。
昭和18(1943)年11月の改正では、退役の期日が現役定限年齢に5年を加えた年齢に達した「日」から、その年齢に達した「年の4月1日」に変わった。早生まれの人は予備役期間が伸びるわけだが、大半は短くなる。戦時中にこうした変更をしたのは、事務量の問題だろう。
おわりに
連載している大将は大きな違いはありませんが、そのほかは結構時期によって異なるのですよね。毎度調べるのも大変なのでまとめました。
次は海軍大将に戻る予定です。ではまた次回お会いしましょう。
(カバー画像は大正2年時点の現役定限年齢を示す表の一部)
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