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僕が僕であるために

2019年になりました。本年もよろしくお願いします。

僕は昔から文章を書くのが好きで、自身が運営するサッカークラブのブログ LOBØS LOGOSだったり、社会とフットボールを繋ぐための私感的なものを書くコラム Neutlal footballなどを書き続けてます。
縁があって、媒体などに依頼されて寄稿することもあったり。

でも先月、つまり2018年12月から、なぜか急に「noteをはじめよう」と思い立ち、アカウントを作りました。せっかく年も明けたことだし、今書いているこの文章を皮切りに、noteを定期的に更新していきたいと思ってます。

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久保田46

僕、12月で46歳になったんですよ。46。この響きはなかなか堪える。

一応、自分のメインストリームとしてはサッカーコーチとして生きてる。サッカー観、指導観では、譲れない自負みたいなものもある。それを発信して、たまに真面目なこと言って、ブログやSNSを炎上させたりもしてる。狭い世界のサッカー育成年代界隈、その中の世間的には、どうやら硬派なイメージで見られてるっぽい。コラムには政治のこととかも書くし、そのスタンスは、かなり左寄りだし。

ありがたいことに、試合会場やその他で初めて会う人に「久保田さんのブログ、いつも読んでます。共感します。会いたかったですぅ…!」なんて言っていただくこともしばしばある。

でも実態は、乃木坂46が大好きな46歳。
だから最近は「46歳。ようやく久保田46だぜ」なんて自虐的に言って周囲を引かせてる。

・・・

正直、冗談言ってる場合ではない。

46歳。僕が生まれた年に、沖縄が日本に返還された。
キムタク、中居くん、マツコデラックス、元・貴乃花親方、ジダン、フィーゴ、日村勇紀、ホリエモンと同い年。あとは誰かいたかな…

人生90年だとして、ベタな言い方だけども今はサッカーで言えば後半開始1分。

野球で言えば、4回裏1アウト・ランナーなし。

しかし
いよいよ人生の後半戦に差し掛かるわけだけど、これから過ごすであろう45年くらい?の後半戦は、これまでダッシュで駆け抜けてきた「前半戦」とはわけが違う。
体の色々な機能は低下して、年老いて、自分でできることはどんどん限られていくのだろう。ひょっとしたら、思考もどんどん保守的になっていくのかもしれない。

体が衰えるのは仕方ない。(いや、なるべく衰えないように努力はしてるけど)
それよりも、思考が鈍ったり、物事をキャッチする感覚が衰えたり、考え方が硬くなって、よくありがちな「保守的なじじい」になってしまうとか…

それはどうしても、どうしても堪え難い。そんな自分は許せない。

体は衰えても、逆に思考はどんどん若返るほどに、先鋭的でいたい。
一年に一度は何かとんでもないことをぶち上げて、後ろ指をさされたい。

あのオッさん俺らよりよっぽど考えが斬新だよな、面白い人だよねって、若者が寄ってきてくれるような人でいたいのだ俺は。

若者を否定するようになったら人生おしまい。何かを始めようとする若者の、背中を押すようなオヤジでいたい。

実年齢は46歳だけど、精神年齢はたぶん中2くらい。今実際に自分の周囲にいてくれる様々な若い女性達(女子大生、女子高生、小学生、そして時には園児の女の子)よりも、俺の方が明らかに子供やないか、と思わせられることもしばしば。

でもまぁ、それくらいでちょうど釣り合いが取れる。

追記 … つい最近、教え子の女性陣(25歳)に「よく、男の人は精神年齢の低さを自慢するけど、正直、精神年齢が低いおじさんには何の価値もない。お前のことだぞ」と温かい最後忠告を頂いたので、やっぱりこれからは年相応の落ち着きとゆとりを備えようと心に決めました(無理)

もちろん女性陣だけでなく、若い男性陣もほどほどに周りにいてくれるから、男女問わずそんな若者達の邪魔にならぬよう、いやむしろ若者達に「またあんな訳わからんこと言い出したw」とか呆れられながら、普通の46歳では表現できないようなこと、世間体や体裁に縛られて行動に移せない、一歩を踏み出せないようなことも体現し表現していきたい。

いろいろな人が後先を考えて言えないこと、勇気を絞れないことにも、僕は勇気を出して口に出して言っていく。

まだ未開の地には、自ら先陣を切って、それこそファーストペンギンになって足跡をつけていってやろうと思うのです。

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サッカーコーチである前に。

先ほども話したように、僕は政治にも社会的なことにも関心がある。
サッカーコーチである前に一人の人間だし、社会人。

「僕は難しいことわからないんで…サッカーのことしかわからないし…」
なんて言う ダサいやつ とは対極にいたい。実際、そんな人に自分の子どもを預けようと思わないでしょう。もし自分の子どものコーチがそんなこと言ったら、俺なら絶対に移籍させる。

新自由主義の恩恵で喜んでいる人よりも、目の前の弱者に目を向けたい。目の前だけじゃなく、遠くにいる、何か困っている人のためにも何かを動かしたい。

理想論、夢想してるだけ、現実を見れないバカと言われようが、現実と効率でしか物事を判断できない、従属根性丸出しのやつらよりはよっぽどマシだと思ってる。

最初も最後も、大切なものはフェアネスですよ。そこを捨てたら人間おしまい。

だから僕は、安倍晋三を心から軽蔑してる。ちょ、なんでいきなりそこに繋がるのとか思っちゃう人は、まずは自分で考えて。自分で調べて考え始めたら正月なんてあっという間に終わるよ。それほどに、やつがダメな材料はたくさんある。

おっと…
このこと書き始めたら止まらなくなるので、もうやめときます。これ以上は、またおいおい。

でももう一つだけ
沖縄の米軍基地辺野古移設問題。それに異を唱えホワイトハウスに訴える署名にも、僕は当然署名しました。これ、 日本政府や安倍晋三がどうしようもない能無しでクズだから、せめてやつらが従属し尻尾を振るアメリカに訴えようとする署名なんです。だから、実はとても恥ずかしいものでもある。でも、背に腹はかえられぬ。

タレントのローラが、その署名を自身のインスタで呼びかけて話題になった。勇気ある行動で、素直に素晴らしいと思う。

でもそれで話題になったのが「タレントの政治的発言についての是非」だった。実際、ローラをバッシングする声も多くあがった。ローラのインスタのコメント欄には、見るも耐えない汚い言葉での罵りが多く見られる。こんな輩たちが、美しい日本とか、日本すごい!とか言ってるんですけど。へー(棒)

こういう声が大きいこと自体、日本はなんて未熟で、幼稚で情けない国なんだろうと思う。

芸能人だろうがスポーツ選手だろうがコーチだろうが高校生だろうが中学生だろうが、誰でも、自分のスタンスや考えは発信すればいい。

門外漢のことには口を出すな、みたいな考え方を持つ人が日本にはまだまだ多くいるけれど、それは大きな間違いだと、ここではっきりと僕のスタンスを示しておきたい。

もう一度書くけれど、僕はサッカーコーチである前に一人の人間だし、社会に生きる社会人。必要だと思ったことは、何でも関心を持ち、発言して、これからも発信していく。

僕だけでなく、世間のサッカーコーチは サッカー以外のこと にもっと関心を持ったほうがいい。「子ども達に関わっている」「子ども達の未来に触れている」という自負が、少しでもあるのなら。

僕が今関わっている子ども達だけでなく、僕の周りにいてくれる若者達がこれからの社会を作ってく。でも今のままならば、これからは今よりももっと世知辛くなり、尊大な振る舞いをする者だけが大手を振り、正直で真面目で純粋な者達が割りを食って生きていくような日本になっていってしまうと思う。

実際に今、僕のそばにいてくれる若者達はそんな純粋な子達ばかり。

そうならないためにも僕は発信し続けるし、実際に行動にも移していく。彼ら彼女らを守ることには、自分の120%くらいを注ぎ込みたい。

ぶっちゃけ、サッカーのことなんてほぼどうでもいい。戦術とかドリブルとかも、ほぼどうでもいい。
考えるべき大切なことは、もっともっと他にあるんだ。

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僕が僕であるために

尾崎豊の名曲『僕が僕であるために』で、尾崎は

僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸にわかるまで

と唄っていた。

今、僕は自分の中で「正しいもの、正しいと思えること」はハッキリと持っている。でもその正しさの基準は半永久的に普遍なものではなく、ひょっとしたら、一年後には自分の中で変わっているかもしれない。

変わっていくことは、決してネガテイブじゃない。
きっと変わるものと変わらないものがあり、変わらないものが僕をつくる土台であり、サクっと変われる軽さは、僕を多い纏う服のようなものだ。服のセンスは、歳や心境の変化、経験の蓄積とともに変わっていく。

僕の「変わらない部分」を好きになってくれたり、共感してくれたり、例え嫌いでも共感しなくても「まぁ、そういうとこが久保田らしいよな」と認めてくれる人が、周りにいてくれればそれでいい。

そしてそんな人達は、僕が変わっていくこと、その「変われる軽さ」をも、きっと分かってくれる人達だと思うし。

僕はその人達を、全力で幸せにしたい。

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父の、最高傑作になる

2014年に、志半ば、まだ70の若さで亡くなった僕の父は、ひとことで言えば芸術家でした。実際にそんな仕事をしていたし、趣味で描く絵画は、二科展にも何度も入賞したらしい。

父が持つ感覚も、どこか尖ってぶっ飛んでた。普段はもの静かなんだけど、仕事にはアロハシャツを着て出かけ、仕事でバリ島に行った時に現地の人に間違えられてマリファナを勧められてそれ吸っちゃったよなんて話を中学生の僕に話してくれるような面白い人だったし、僕のやりたいことには何も言わずにスルー、全て自由にさせてくれた。

今の僕を構成するかなりの部分は、あの父から受け継いだもので出来ている。心の底からそう思うし、そうでありたい。

何も親不孝できずに死なせてしまったことを僕は一生後悔して生き続けるし、それはもう取り返せない。いつか自分も向こうの世界に行った時に、まず最初に全力で土下座して謝ろうと思ってる。(父だけじゃなく、僕が22の時に亡くなった愛犬・ミミにも謝りたい。早く会いたい)

だから、取り返せない親不孝をせめて償うためにも、父が「生きた証」として誇ってもらうためにも

芸術家だった父の「最高の作品」として、僕が輝きを放ちたい。

父がその下地を残してくれた。ここから先は、僕が、僕自身を創ってく。僕が僕をデザインする。そして今、自分に関わってくれているたくさんの人達を、僕が、僕の全力で、少しでも幸せにしたい。

いや、幸せにするなんておこがましいか。ならば少しでも、幸せな気分にさせようじゃないか。そんな、人生の後半戦を送っていきたい。

2019年は、新たなその始まりの年。新しいことも始めることにしてます。
それについては、近日中に発表します。

ということで、今年もよろしくお願いしまーす。


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