マガジンのカバー画像

LOGOS

55
LOGOS。言葉のチカラ
運営しているクリエイター

#logos

語彙力のリノベーションをはじめよう

いきなりですが 日本人が今までずっと疑いもなく無意識にそして無頓着に使ってきた「うまい」という言葉。もしこれを撲滅することができたら選手も指導者もサッカーを見る目や捉え方が変わってくるし、救われる選手も多く出てくると思うので、まずは自分の周りだけでも【うまい撲滅キャンペーン】を始めてみたいと思ってます。 無意識に言っちゃいそうだけど⋯ 例えば、今話題の静学・古川くん(負けちゃったけど⋯残念!)と青森山田の松木くんを、同じ「うまい」では言い表せないじゃないですか。2人とも

今日からnoteを毎日書く人

思い立って、今日からまたnoteを毎日書こうと決めました。 これ、昨春にも一度やろうとしたのだけれど、アクシデントが発生してそれどころではなくなって、3日でリタイアした。本当に3日坊主だった。 今回はそうならないように。おそらく大丈夫だ。断言はしないけど。 自分はこれまでたくさん文章を書いてきた。大昔に始めたブログから、このnoteまで。その間、有り難いことに各種媒体から依頼してもらってコラムを寄稿したことも多々あった。 もちろん、文章を仕事にしている人に比べたらその

あなた次第

先日、隣で堀ちゃんが泣いていた日 というnoteを書いた。 あいみょんのライブに再び行った日のことを書いたのだが、実は今回のこの文章は、これまで書いた僕のどの文章とも、あることが決定的に違う。 気づいた方、いますか? もし気づいてくれたのなら、その方とは一生の友達になれる気がする。 【 解答 】 実は、これまで安易に使っていた「本当に」と「最高」このふたつのフレーズを、一回も使っていない。 これは、最初からそう決めて書き始めた。 本当に、とか 最高 って、簡単に使え

21歳の大学生が僕に教えてくれたこと

昨日、都内で行われたあるセミナーに参加して、そこで13時から19時まで、計8人の方の話を聴かせてもらいました。 その中で自分の心に最も響いたのが、一番最初に壇上に上がった21歳の大学生の話だった。 この年齢で既にビジネスでも成功している彼が話したのは、要約すれば「人の心をどう掴むか」そして「どうこちら側に引き込むか」そのノウハウだったわけだけど、なぜ、8人の中で最年少の彼の話が一番響いたかと言えば、その理由は明確。 彼が、とても魅力的な人物だったから 。 他の方々は「成

Football EDGE

訳あって過去の自分を整理したくて、最近、自分が書いた記事をまとめてます。前回の記事ではジュニサカで書いたコラムをまとめたけれど、今回は、Football EDGE(フットボールエッジ)http://www.footballedge.jp/ で2015年から2017年にかけて書き、掲載された記事をまとめました。たくさんあるので、タイトルを見て「おっ」と惹かれるものがあったら、ぜひ読んでみてください。中には、大炎上したものもあったなぁ(懐) 乃木坂46とサッカーを結びづけて書い

ジュニサカコラム、まとめ

先日『 ジュニアサッカーを応援しよう!』(通称・ジュニサカ)に自身の最新コラムが掲載されました。良い機会なので、昨年9月以降、ジュニサカに掲載された自身のコラムを整理しました。暇つぶしにでも、ご笑覧ください。 2020.6.10 ・コロナ後のジュニアサッカー。私たちはどう向き合うか https://jr-soccer.jp/2020/06/10/post121808/ 2020.3.27 ・ほんの些細な言葉の言い換えで、子どもたちに判断力と自信がつく?指導者が気をつけたい

全てnoteに移行しました

これまで、クラブに関してのことはクラブのブログに、自身についてのある程度ポップなことはこの note に、そして社会問題や政治問題、またサッカー育成界への問題提起などバリバリ硬派なことは「フットボールと社会をつなぐ」と称し、Neutral football というコラムへと分けて投稿してきました。 でももうクラブのブログは書かないし、硬派なことはこっち、そうでもないことはこっち⋯などと「分ける」意味って、もうないのかなと。 だって自分は自分だし、一人しかいないし。硬派なこと

教科書には載っていないことでした

いつかのTwitterで見つけた画像。 こんなコーチになりたいと、ずっと思ってる。 子ども達にはサッカーを通じて関わっているけれど、将来あの子達が大人になった時に「人として大切なことはあの人に教わった」と言われたいし 普段、自分は子ども達に対しサッカーのイロハや戦術などを決して教え込まないけれど、でも「サッカーのことは、あの人に全部教わったよね」と言われたい。 そういえば、5年前に亡くなった僕の父はとても寡黙な人で、僕に対し多くを語らなかった。でも僕は、大切なこと