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不幸マウントを取る人は、ナルシストで他人から特別な存在として扱われることを求めている

不平不満ばかりを口にしたり、他人の批判ばかりしている人はあなたの周りにも少なくないはずです。

もしかすると、あなたのその一端を担っているのかもしれませんね。

過去の自分の不幸や自分の憐れな境遇を武器にしてマウントをかけてくる人はめずらしくありません。

下手をすると、不確かな先天的なことを武器にしている人もいます(親にお前は生まれつきこうだと言われたからだのと不確かなものも少なくない)。

本当に障害があるのならまだしもですが、障害を抱えていても社会的に認められるほどの大成功を成し遂げている人もいるくらいですから、少なくとも自分に何らかの障害があったとしても、それが生きる上で困難だと自覚できるだけの能力があるのなら、個性の一つだくらいに考えて努力や工夫で克服することも可能だと考えてもいいでしょう。

不幸マウントを取る人は、とにかく注目されて自分はお前たちとは違うんだと言わんばかりの特別な人でありたい気持ちが強すぎます。

加えて、健全に努力する勇気も自信もないから何か失敗した時にその恥ずかしさや自分への失望感をごまかす為に、不幸な過去などハンディキャップになるような理由を取り立てて「止むに止まれぬ事情によってあなたよりも大変な思いをしている私」であることで、特別視してもらおうとしている。

下手をすると、失敗を避ける為にやる前から努力できない自分を美化するような言い訳や不利なハンデのなかで努力していること自体を美化するようにすらなる。

はっきり言いますが、それは本当に恥ずかしいとかそんなレベルではなくて、見っともないとすら言えるほど情けないもので、関わりたいとは思えないほどに俗っぽく言えばヤバいです。

まるで、真っ当に努力しても人よりも優れてチヤホヤされるような存在になれないのなら、問題を起こしてでも特別扱いされたい、みんなから注目をされたいと願う非行少年のようなものです。

アウトローで危険そうな香りに憧れるお年頃ならまだしも、いい年をしたまともな大人はそれを堕落した人間とした思いません。

非行少年も不幸マウントをとって塞ぎ込んでいる人たちも本質はほとんど同じですね。

そういう人たちは、往々にして抵抗できない存在を叩いたり、本当の自分は最高にイケてるだとか、もしこういう家庭に生まれていたら自分にもできただのと、可能性の世界に生きて現実から逃れようとしています。

自分では変えられないことを嘆いて、自分にできることに目を向けていないのです。

「〜があれば」なんて話をしては、自分よりも恵まれているように見える人に嫉妬したり、誰かを小馬鹿にしては無様な自分を少しでも引き立てることにばかり忙しくて、自分を高める努力をしていないのです。

無意味なプライドばかり高くて、それに行動が伴っていないのです。

努力していない自分を認められるのならまだしも、努力できない言い訳ばかり繰り返して言い訳スキルを向上させてしまい、挙げ句の果てには自分が言い訳していることすら自覚できなくなってしまう人もいます。

言い訳をしているうちに、それが当たり前になってしまうんですよね。

断言しますが、「できない」と嘆く人は、能力が低いのではなく努力するのが面倒臭いだけです。

どんなことでも、時間をかけて試行錯誤していれば、人よりも時間がかかろうと必ずできるものです。

それが面倒くさいから、できないと嘆いて無力な自分を正当化しているのです。

失敗が怖いのなら、小さく始めたらいい。

少しずつしか変われませんからね。

いきなり変われると思うこと自体が大間違いです。

自分の努力の基準が低すぎることを自覚して、その努力が当たり前になるくらいまで努力する習慣を付ければ、嫌でも結果はついてきます。

ちょっと上手くいったり、たまたま上手くいってもまたすぐにダメになってしまう人は、努力が習慣になっておらず緩めるどころか努力をしなくなってしまう人のことです。

どんなことでもそうですが、波はあるもので上手くいく時もあれば上手くいかない時もあります。

人生は良いことがあれば悪いこともあっての繰り返しで、すべてを自分の思い通りにすることはできず運もあるのです。

だからこそ、今の自分が思う努力を、周りから見れば努力だけど自分からすれば当たり前なものにする努力をしてください。

何からどうしていけばいいのか分からないのなら、がむしゃらにまずはやってください。

何事も、何かを成し遂げたいのならまずは圧倒的に努力してみることです。

何をやるのか、どうやるのかを考える前に、まずはやってやると覚悟を決めて今からやれることをやり切ること。

四の五の言っていられるうちは、まだ本気になれていない。

やる前からできない理由を考えたり、失敗した時の言い訳を考えているようではいつまでも上手くいきません。

世の中には想像を絶するほどの毒親に育てられた人もいれば、そもそも親すらいなくて過酷な生い立ちを抱えていたり、生きることすら困難なほどの障害を持つ人もいるのです。

あなたよりも不幸な人はいくらでもいるんだからあなたも頑張りなさいとは言いません。

ただ、少なくとも、もし諦めているのならその無駄に高いプライドだけでも何とかしろという話です。

そのプライドがあなたを生きづらくさせて、周囲を不快にさせたり迷惑をかけているのです。

プライドさえなければ、身の丈に合う生き方を選択できますから、偉そうな不幸マウントも不幸自慢もすることなく、自分はこれでいいんだと思って満足することができます。

どうしてもプライドを守りたいのなら、それを守り抜く為に命懸けで努力してください。

結果を出せていないのに負け惜しみが多い人は、プライドばかり高くてプライドを守ろうとするばかりで自分を高めて結果を出す努力をしていない。

目先のカッコつけたい欲に負けて、自分の目的を達成するという大きなプライドを守れていないのです。

プライドを捨てろとまではいいませんが、プライドの持ち方を変えてみてはいかがでしょうか?

ヘレン・ケラーなどの歴史的な偉人ほどの実績を上げられるのかどうかは分かりませんし、多くの人達はいくら努力しても普通の人でもそこまで到達することはむずかしいとは思います。

しかし、努力さえしていれば全て思い通りになることはなくても、上手いことはいくようになっています。

努力をいくらしても報われないという人は、そもそも努力の量が足りていないのか、その努力が現状維持の思考停止に陥っていて方向性が間違っている可能性が非常に高いのです。

つまり、生まれつきあなたが劣っているから成果が出ないという訳ではないのです。

どうしてもやりたいことがあると言いながらも努力し切れていないのなら、もしくは勇気を持ってチャレンジできないのなら、現状のそこそこの自分に甘んじているということです。

早い話が、無意識的に今のそこそこの自分で満足しているということ。

それなら、今あるものに感謝するのを通してさっさと幸せになってください。

今あるものに感謝することもできず、不平不満ばかりが出てくるようなら、それは周りが自分に合わせて変わってくれて、偶然に上手いこと自分が幸せになれることを期待し続ける生き方です。

「人よりも不幸な自分は、人並みの努力をしなくても幸せになれる資格がある」とでも考えているのでしょうか?

あくまでもそんなものは偶然的なものであり、長続きもしませんしそもそもそんな上手いこと幸運が起きることはありえないと思っていたほうが賢明です。

幸せは自分で勝手になるものであって、してもらうものではありません。

自分から必然的に幸せになる為に努力してください。

悩みを抱えて相談に来る人の多くは、自分がいかに可哀想であるかを語り、不幸で憐れな自分に共感して慰めて正当化して欲しいと思っている人がほとんどです。

そんなことをしていたら、ますまず不幸で無力である自分の確信を深めてしまい、前に進めなくなりますよ?

他人や環境を批判ばかりしていることも同じことで、そんなことをしていたら批判ばかりすることが当たり前になり、自分ではどうにもならない誰かや、不利な環境のせいで翻弄されている憐れな自分を正当化することになり、ますます前に進めなくなります。

カウンセリングというのは、精神疾患等の治療を目的としたものは別として、前を向く為にあるものです。

前を向き、具体的にどうしていいのかを自分なりに見出すためのものであり、救いを求めたりカウンセラーに自分を苦しめる諸問題を解決してもらう為にするものではありません。

他の場所でも度々語ってますが、精神科医であれカウンセラーであれ、神様でも魔法使いでも何でもないのです。

チチンプイプイ〜とあなたの現実をあなたにおあつらえ向きなものに変えてあげることは不可能なのです。

そのような神秘的な力があると信じていて、縋りつきたいのならカルト宗教の教祖様のところにでもいくしかありませんよ。

自分を救い出してあげられるのは自分だけであり、自分が変わるしかありません。

自分の外側にある環境や他人がどれほど邪魔であろうと何でなろうと、その中で自分がやれることを全力でやるしかありません。

できるだけ邪魔な人からは離れるようにしたり、自分の目的を叶えるために最適な環境に身を置けるようにすることも必要です。

しかし、どこに行っても完璧な環境なんてものは存在しませんし、常に万全な体調と環境で努力できるなんてありえないことです。

限られた条件の中で、今できる最大限のことをしていく他ありません。

その中で努力した結果が仮に満足のいかないものであったとしても、それを甘んじて受け入れてそれはそれでいいと満足して、次はより良い結果を出そうと心に決めてまた努力するのです。

もちろん、自分はこれでいいやと思えるのなら、自己満足して現状を維持することは逃げでも弱さでも何でもありません。

しかし、プライドばかり一丁前で大きなことを言ったり、周りにマウントをとったり欲求不満のまま生きるくらいなら、他者を寄せ付けないほどの圧倒的な努力をしてください。

それができないのなら、敗北感も欲求不満を抱えた人生を生きていくことになります。

人よりも劣っているから幸せになれないのでも、人よりも大きなことが成し遂げられていないから満足できないのでもなく、自分の中で納得ができていないから不満を抱えているのです。

納得できるところまで結果を出せるように一心不乱に努力し続けるか、自分の中にある期待値を下げて自己満足してください。

もし、期待値を下げることを妥協だとか、負けだと思うのなら、それこそあなたは上か下かで人を見てるだけであり、周りからどう思われるのかという他者評価と自己評価をごっちゃにしていて、他人から認められないと幸せになれないと勘違いしているのです。

客観的な諸条件というよりも自分の主観的な価値観で自らを不幸にしている事実を認めてください。

そして、自らの価値観をそんなことないと言い聞かせて変えていきましょう。

ただ、肯定的に諦めるにしても、やれることを自分なりにやり切ってからじゃないとなかなか納得できないことでしょう。

まずは、やれることをやり切りましょう!

こんな記事を読んでいるようでは、あなたは努力をやり切れているような人ではないはずです。

まずは行動する、話はそれからです。

最後までこの記事を読めたあなたなら、それだけ耳の痛い話に耐えられるメンタルを持っているのですから、必ずやり切れますよ。

あなたは弱くもなければ劣ってもいない。

応援しております!!

これまで無償でご相談をお受けしたり、情報を発信して参りましたが、品質の向上の為に一部有料化を実施させて頂きました。より良いサポートの為にご支援して頂けますと幸いです😁