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大いなる力を持つものは、大いなる責任を負う-白洲次郎という日本人を思い出す-

今からもう10年以上前(30代前半くらいの頃に)、白洲次郎について書かれた本を読み漁ったことがあります。


きっかけは何だたったのか覚えてないのだけど、白洲次郎という人は戦後、当時の総理大臣である吉田茂とともに敗戦処理に奔走し、アメリカからの占領を食い止めた男として私の心に刻まれています。


つまりどういうことかというと、アメリカに都合のいい、アメリカに思い通りの憲法(日本国憲法)を作らせなかった人なのです。

そう、白洲はアメリカにNoを突き付けた男として、日本史には残っているようなのです。

もちろん、これらの本に書かれていることが全て真実だったかどうかは分かりませんが、私は「きっとそうだったんだろうな」とそれを信じ、「こんなカッコいい日本人がいたんだな」というふうに記憶しました。

たぶんそれは一つのロールモデルとして、「こんなふうに生きられたらなあ」なんていう私自身の憧れも多分にあったのかもしれません。



そんな白洲次郎が自らの信条としていたのが

noblesse oblige(ノブレス・オブリージュ)

という言葉です。


これは意訳すると
大いなる力を持つものは、大いなる責任を負うというような意味です。


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身長175センチ、体重65キロでこのイケメン。イギリスのケンブリッジ大学を卒業し、大学院にも進学。(よって英語はペラペラ)

のちに7代目ストラフォード伯爵となるロバート・セシル・ロビンと親交し、イギリス貴族のライフスタイルを身につけ、奥さんは元海軍大将樺山資記の孫(正子)で、愛車はベントレー。

そりゃあ、白洲さん、あんたは文句のつけようのない、大いなる力の持ち主です(笑)

だからこそ大いなる責任を負うのだと。ちゃんちゃん


ではなく、実はこの考え方って、欧米ではかなりメジャーなのだということを(確か岡田斗司夫さんの動画だったと思うんだけど)知りました。

マーベル作品のヒーローなども、全てこの理屈で動いているのだと。


例えば映画「スパイダーマン」でも、ベンおじさんが同じようなことを言ってます。


大いなる力には、大いなる責任が伴う

だからこそ、責任を果たすために戦う必要があるというのが、欧米的な思考なのだそうです。


でも、このような考え方は日本にはない、と岡田さんは言います。

『日本では、ワルモノはやっつけなければならない』になるんだと。


つまり正義のために戦うのが日本で、(大いなる力をもった)その責任を果たすために戦うのが欧米なのです。

なるほどなと思ったわけですが、要するに白洲次郎はきわめて欧米的な思考をもった日本人だったのですね。


今頃なぜ白洲次郎を思い出したのかというと、先日の衆議院選挙の影響があったのかもしれません。

何やら、「改憲」を唱える国会議員が増えてきたなあと。

日本人的な思考をもった日本人が、欧米的な思考をもった白洲次郎(たち)が作った日本国憲法を変えようとしている。

それは責任を果たすためではなく、正義のためなのでしょうか?


その時は白洲次郎よろしく、私はNoを言おう。


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