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働かざるもの、食うべからずなのか?

働かざるもの食うべからずという言葉があります。

その語源を調べてみたら、もともとは新約聖書の「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」から来ているとの説が有力だそうで

そう考えるとずいぶん昔から人は「働け、働け」と言われ続けてきたんだなあと改めて思うわけです。

私が学んでいるアドラー心理学の創始者であるアルフレッド・アドラーも、人間が避けることのできない人生の課題として、「社会の課題」「仕事の課題」「愛と結婚の課題」の3つをあげているくらいですから、やはり人間は働かなくてはいけない、そういう生き物なのかもしれません。


そう、理性では分かっている。

分かってはいるのだが、しかし…


先日池袋のジュンク堂でこんなタイトルの本が目に止まり、思わず買ってしまったのです。

『はたらかないで、たらふく食べたい』栗原康著(ちくま文庫)


いやいやそうだろう。うむうむ。確かにそうだよなあ。

私はこのタイトルを見た時、その場で大いに共感したのです。

だってそうでしょう。

働かなくなくたって、たらふく食べたいだろう

みなさんは違いますか?


実はこの著者(栗原康さん)は、ご専門が「アナキズム研究」で、あの大正時代に大活躍した大杉栄についての本なんかも書かれているのです。


何を隠そう、この本は私も読んでいて、noteでも記事を書いています。


大杉がいっていることは、ひとことでいうと、やりたいことしかやりたくないということだ。文字どおりの意味である。そして、これをいまの資本主義社会にあてはめると、はたらかないで、たらふく食べたいということだ。

と著者は言います。

確かに、私たち現代人の多くはシステムに組み込まれることで、実は意味のない仕事、どうでもいいブルシット・ジョブ(クソ仕事)でお金をもらっています。(このことに気づいている人ってどれくらいいるんだろうか?)

問題なのは、意味のある仕事に対価が支払われないことなのです。

著者の言う「はたらかないで」は、いわゆるクソ仕事をしたくない、「(自分にとって)意味のあることだけをしたい」というふうに私は解釈したのだが、これは間違っているだろうか。

著者は研究者であり、自分の大好きな研究やテーマに関しては、それこそ必死になってはたらくのです。でも哀しいかな、そこには(ほとんど)対価が支払われることはない。

大学の(非正規の)研究者に限らず、これが今の世の中の現状なのではないでしょうか。

だからみんなシステムに組み込まれ、意味のない仕事でお金を稼いでいるわけです。


著者は当時付き合っていた彼女にこんなふうに言われます。

仕事なんていくらでもあるのに、やりたいことしかやろうとしないのは、わがままな子どもが駄々をこねているようなものだ

と。


わがままな子どもでもいい。意味のある仕事だけをしたい。

意味のある仕事だけして、そして意味のあることのためだけに働いて、たらふく食べたい。

ああ、たらふく食べたい!

これが著者の本音だったのではないでしょうか。

そして、私も本音はそうなのです。哀しいかな。






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