【多様性を考える⑥】人種差別と一般化
アリゾナ州セドナに行ってきました。
癒しとヒーリングの地、セドナ
セドナは、アリゾナ州の砂漠地帯にそびえる赤橙色の岩山に囲まれた地域です。ネイティブアメリカンからは「神聖なる地」とみなされ、太古の昔から様々な神的儀式が行われ、現在でもヒーリングや自己探求、瞑想などの「パワースポット」「スピリチュアルスポット」として有名です。
カリフォルニアから車で6時間、セドナに到着したのは午後3時過ぎでした。車の車窓から見えるセドナの岩肌は、西日が反射して、赤やオレンジの輝きを放っています。その景色の美しさ、神々しさに思わず息を呑みます。
もっと身近にセドナの美しさとパワーを感じるために、車を岩場に止め、ロックハイキングに出かけました。
そこはベルロックと呼ばれる岩山で、セドナの中でも最も強く地球からの磁場が渦巻くボーテックスの1つです。
アクティブな息子たちはどんどん岩場を登っていく中、夫と私は美しい景色を楽しみながらハイキングをし、心地よく感じる場所に身を委ね、ゆったりとした時間を過ごしながら、ベルロックを堪能していたのでした。
国民性の違い?
すると、どこからともなく騒がしい声が近づいてきました。
20人くらいの南アジア系老若男女の集団が、はしゃぎながら登ってきます。
とにかくみんな地声がでかい!
子供ははしゃぎまくり、完全に興奮状態。
親も叫び声で、子供と会話をする。
携帯のアラームを鳴らしたり、電話で誰かと大声でしゃべっている。
ヘッドフォンなどを使わず、携帯から音楽を流している。
遠くにいる人同士が、離れたまま、大声で会話を続ける。
笑ってふざけ合って、キャーキャー、ゲラゲラ興奮している。
絶景スポットに一族で居座り、さまざまなポーズをリクエストしながら、写真を撮りまくっている。
「おいおい、何してくれてるんだ!」
せっかくの神聖な空間に、土足で踏み込まれたような気がしました。でもこのセドナの地で、誰かにネガティブな感情を抱きたくなかったので、なるべく彼らを避けるように行動して、ベルロックのハイクや美しい景色を満喫しました。
セドナにインド系の観光客が多い理由
毎年恒例なのか、たまたま私たちの滞在と重なったのかわかりませんが、アメリカの1観光地で、これほど多くのインド系の人々に会ったのは初めてでした。私の感覚では、
セドナの観光客の約半数がインド人、
1/4が中国系東アジア人(日本人含む)、
残りの1/4が白人またはヒスパニック系
という人種構成になっていたように感じました。
まあ、あくまでも個人的な推測ですが、カリフォルニアのベイエリアに住むエリートリッチなインド系エンジニアが、クリスマス休暇に本国から家族を招待し、車で行ける範囲の観光地としてセドナに来たのでしょう。
本国の家族はアメリカのマナーを知らず、久しぶりの家族との再会にすっかり舞い上がってしまったのかもしれませんね。
もしくは、今、ベイエリアの南アジア人コミュニティ内で「セドナ観光」が口コミで広がっているのかもしれませんしね(こういうの、日本人コミュニティでもあるあるです!)
人種差別と一般化
このような体験をしてしまうと、どうしても、
「南アジア系の人たち=うるさい、マナーが悪い」
と一般化してしまいがちになります。
「一般化」自体は悪いものではなく、むしろ人間が持つ優れた学習スキルの一つでもあります。要は「一を聞いて十を知る(物事の一部を聞いただけで全部を理解できる)」ってことです。
でも状況によっては、偏見にも結びつきやすいので、注意が必要ですね。
例えば、たまたま迷惑行動をしている人を見かけたら、
「あの人、マナー悪いな」
と感じるかもしれませんが、
もし外国人がマナー違反をしていたら、
「あの国民はみんなマナーが悪い」
と人種で一般化してしまいがちです。
コロナによるアジア人差別もまさにそうでしたよね!
【多様性を考える】悪気はない:ボリウッドを見ればわかる
インド系のあの人たちは悪気はなかったのでしょう。基本的にインド系の人たちは無邪気な気がします。
私の息子たちがたまに、
「これ、めちゃおもしろいよ!」
といって、ボリウッドのYoutube を見せてくれることがあります。
何が面白いかって、とにかく全てが大袈裟で笑えるんです。言うなれば、昭和30年代の白黒特撮映画のような「絶対ありえない系」の派手なアクロバット満載のラブストーリーだったりするのです。
これを楽しめる国民性ですから、きっと子供のように無邪気な人たちなのでしょう。
本当に「多様性を受け入れる」ということとは?
私はここで色々書いていますが、私が本当に多様性を受け入れている真の国際的な常識人だったなら、
彼らの文化や背景を尊重した上で、はっきりと、しかし丁寧に、
「静かにしてほしい」
と自分の意思を伝えるべきだったのだのかもしれません。
それこそが本当の意味での多文化共生であり、多様性を受け入れることだったのかもしれません。
私にはできませんでした…。
自分はまだ未熟者です。
過去日本人も酷かった
高度成長を経てバブル期の日本人も、世界の観光地において相当嫌われていました。
「カメラを首からぶら下げた、チビの成金日本人が、海外で高級ブランドを爆買いしている」と随分揶揄されていたものです。
だいたい1989年には、三菱地所がニューヨークのシンボル、ロックフェラーセンターまで買収し、大ひんしゅくを買ったんですから。
そして今から35年前、世界的な週刊誌『TIME』が「世界の観光地を荒らすニュー・バーバリアンたち」として日本人観光客の特集をしたんだそう。
日本人、おそるべし…。
南インドの人たちのセドナでの態度が可愛らしく感じます…。
人間の成長と同様、国民性の成長にも同じような過程を経る必要があるようですね。
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