【ADHD】障害を個性だと思ったことは一度もない
わりと前向きなADHDだけど
自分で言うのも何ですが、私はわりと前向きなほうのADHDだと思います。
発達障害とわかる前もわかった後も、
・発達障害の検査や診断を受けるのが怖い
・発達障害の診断が下りて将来を悲観した
・障害者手帳を取得するか悩みに悩んだ
というようなことはほぼなく、
「検査してもらえるなら受けてみるかー」
「そっか、わたし発達障害だったんだ。どうりでしんどいはずだ」
「私くらいの障害の程度でも手帳申請できるならしてみようかな」
という感じであまり悩みませんでした。
障害が原因で起こる困り事はいつもしんどかった
発達障害やADHDであることそのものを恥ずかしいと思ったり、悲観したことはありません。
でも、それによって引き起こされる生活上や仕事上のさまざまな困難には常に苦しんできました。
なので、発達障害と診断されてから、「障害は個性」だと思ったことは一度もありません。
理由は単純で、障害によって引き起こされることが私にとっては非常にしんどかったからです。
これまで障害が原因でやらかしたこと
・職場の40㎡くらいの室内で、新入社員に配られる座席表を見ても誰がどの席かわからなくて、上司から渡された書類を配れない
・面接の1時間前に最寄り駅に着いたのに、Googleマップの調子が悪くて時間通りに辿り着けずに30分遅刻する(地図がないと現在地も方向もわからないので無理)
・どれだけ気を付けていても、何回確認しても入力したExcelの集計結果の数値が合わない
これはほんの一例で、他にも書き出したら止まらないくらいありますが、これが障害でなくて何なのか、とADHDの当事者としては思います。
また、これらのことにはすべて、私の障害が原因で迷惑をかけてしまった相手がいます。
それに対してただひたすら申し訳ないという気持ちはあっても、「個性だから」と開き直ることは私にはできません。
見た目や会話からはわかりづらい、ADHDという障害
自己紹介にWais IIIの検査結果を書いていますが、私は言語性IQが平均よりほんの少しだけ高く、動作性IQが極端に低いタイプです。
喜んでいいのかわかりませんが、見た目や会話だけでは発達障害であることはほぼ相手にはわかりません。
私と接した健常者の方の多くは気を遣って
「障害があるようには全然見えませんね」
「気にしなくていいと思いますよ」
と言ってくれます。
真に受けたことは一度もありませんが、複雑です。
精神科で診察と検査を受け、医師と臨床心理士に発達障害と診断された時から、私は「他者から健常者として扱ってもらいたい」と思ったことはあまりありません。
私のしんどさや生きづらさは、
「障害があるにも関わらず、見た目からはわからないこと」
「(当時はクローズで働いていたため)健常者と同じ内容の仕事と成果を期待されること」
から来ていたからです。
障害がある以上、どれほど気を付けてがんばっても「健常者と同じように」はどうしてもできません。
目に見える障害ではない以上、こちらから障害を開示しない限り相手は「この人は健常者だ」という前提で接してきます。
健常者ではないのに健常者レベルの対応や仕事を期待される。
私にはそれがとてもしんどかったです。
私には、障害と個性という言葉はなかなか結びつかない
「個性」という言葉に対して私が前向きなイメージを抱きすぎなのかも知れませんが、少なくとも私は、自分の障害を個性だと思ったことは一度もありません。
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