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【読書感想】水たまりで息をする

こんにちは。以前「スマホを置いて出かけよう」でデジタルデトックスをした際、久々に文庫本を読み通したので感想文でも書いてみようと思います。
↓↓《スマホを置いて、出かけよう》↓↓

感想文は苦手なので、良かったら本を読んで見てほしい。面白かった。

「水たまりで息をする」高瀬 隼子


「日常に潜む可能性」にフォーカスした作品だと思う。突然風呂に入れなくなる夫 研志も、結局最後まで鬱病だと診断も何も受けてないのだが、風呂に入れなくなるだなんていつだれが起こるか分からない。妻 衣津美は寄り添っていくも、台風の決壊とともに自分の心も壊れたのか、「妻として夫へ寄り添うこと」を辞めている。どんなにあたたかい家庭や愛を育んでいても、人間には限界があるのかもしれないと、そう私は思った。
いつもの日常から、急に風呂に入れなくなる研志の転げ落ちる姿は、妙にリアルで、スリリングだった。風呂嫌いではなく風呂自体に嫌悪感を抱いており、ましてや水道水はカルキの塊だといって触れることすら拒否する。でも仕事にはちゃんといっているし、妻  衣津美への愛情も欠かさない。ゆっくりとした狂気である。とにかくカルキに弱いからミネラルウォーターを使って浴びるのも、のちに雨に浴びたり川で汚れを落としたりというシーンは、家庭がゆっくりと崩れるのを、音もたてずに表現していたと今振り返って思う。結婚したからと言って全て寄り添わなければならないかと言われればそれは違う。これは自分にも重なることがあって、やっぱり障害や休職、そして鬱を患うと、夫はどんな気持ちでいるのか、いつまでこの生活を許容してくれるのかと考えてしまう。衣津美は最後まで守ろうと思っていたけれど、最後は頑張っている自分に陶酔しているようにも見える。内面では夫の無事を願ってもいないように見えた。
田舎から東京へ出て、東京で夫婦で暮らしていたはずなのに、風呂に入らなくなった生まれも育ちも東京な夫に生活を脅かされている。田舎に戻ったら陰口をたたかれ、何があったんだろうねとひそひそ話をされる。ここで、衣津美は「自分は何をやってきたんだろう」と振り返ったのだと考えた。父の背中を見て、田舎では何不自由ない生活で、東京へ行ってやっと基盤を作った衣津美。それなのに、夫のせいで。田舎へ戻ると仕事のランクも下がる。二人でいれば十分な収入ではあるけど、何でこの人のために私はここまでしなきゃいけないのという気持ちがメラメラ燃え滾っているように見えた。
本編は風呂→雨→川の3つの構成になっていて、上手いなあと素人ながら思う。研志の「受け入れられる」ゾーンがどんどん広がっていってる。これは、衣津美は反対に「受け入れられない」ゾーンの拡大にも見える。「私、ここまでがんばってきたのに」。義母にも救われないなんと孤独な世界か。

私は個人的に最後までオチがしっかりしている本が好きなんだけど、これはしっかりしていないがそれがかえって良かった。台風がきて、風呂嫌いでも雨や川には入れる研志がここぞとばかりに外へ出る。警報も無視して。衣津美は追いかけているようで追いかけていない。解説と被る部分があるけど、衣津美が好きな夫は、東京で捨ててきたものなのだ。だから行方も何も知らない。自分が生きながらえて、やるべきことをとりあえずやって、その結果のことなんて知らない。

まるで、昔衣津美が育てていた台風ちゃんさながらに、彼女の心は冷え切っていたように思う。

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