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宮内庁長官の「拝察」発言から考える〜宮内庁の覚悟と天皇陛下の政治的中立性の解釈について〜

1.はじめに

昨日から大きな物議を醸している宮内庁長官の「拝察」発言について、個人的に大変興味深い話題だと思い私の考えをまとめてみました。多くの人に読んでもらいたいと思い急ぎで書いたので、余計な前置きは省きます。

2.本題

私は今回の陛下の心中を「拝察」の件、現状でオリンピックがほぼ開催の既定路線に乗ってしまっている以上、陛下の本当のお気持ちはさておき、今まで積み上げてきた象徴天皇としての権威や尊厳を傷つけない為に宮内庁長官がやむを得ず発言したと予想している。世論のオリンピック開催中止を求める声が依然大きい状態での開催が断行された場合、名誉総裁として祝辞を余儀なくされている陛下の祝言は、憲法上は政治性がないとされているにしても、現在オリパラが最も政治的なトピックとして世論を騒がせている中では「感染拡大を推し進めることが懸念されるオリンピックへの賛成的態度を示しておられる」政治的なスタンスとしてある一定の国民の目には写ってしまう懸念がある。御即位の際にはその宣明の中で「国民に寄り添い国民の幸せを願う」といった趣旨も述べられていた天皇陛下にとってこれは非常にコントラストの高い矛盾を孕む状況に陥ってしまいかねない。昨今の世論では様々な場面でしばしば真っ二つに割れがちな国民感情がオリンピックの件では特に顕著になってしまっていることからも、天皇陛下の祝辞は開催派がーーーとりわけナショナリスト(ここでの「ナショナリスト」という言葉にはそういった人々を非難するような意図はもちろん含んでおりません)にとってはーーー大義名分を与え、中止派の声に対しての威圧感を増強させることになる。その時には既にオリンピックは開催されているが、反対派の国民の中には天皇陛下に対しての落胆を感じてしまう人もいるかもしれない。ましてやオリパラ中、もしくは閉会後に本当に感染が日本国内で急拡大してしまった場合には、(天皇陛下はその事実に対して万に一つも責任はないが)天皇陛下が何かしらの批判や分断の火種もしくはガソリンにされてしまう可能性も十分考えられる。

そうなる前に宮内庁が打った先手が今回の「拝察」発言である。陛下は「国民の健康や命を心配されている」という宮内庁長官の発言は国民にあらゆる想像を掻き立てさせるものだ。両極の予想される反響としては「天皇陛下の政治利用だ。官僚の感想に過ぎない。」という開催派の憤りと「陛下も本当は開催に反対で心を痛めていらっしゃるのだ」中止派の納得感だ。だが事実として官僚が政治に天皇陛下を介入させてしまったことは間違いない。しかし、お分かりだと思うが批判の矛先はあくまで長官を筆頭とした宮内庁の官僚へ向けられるのだ。つまり宮内庁が天皇陛下を政治へ介入させうるグレーな(限りなく黒に近いが)発言をすることによって、現在進行形で陛下の身に降りかかっているコントラストの高い矛盾からその尊厳を守ったのだ。言い換えるならば、憲法や法律の意味するところの政治的中立性(祝辞せざるを得ない状況により、憲法・法律的な解釈では中立であるが過熱的になる世論の一方の力関係に与してしまう)よりも、世論的な意味での政治的中立性(憲法・法律的解釈では政治介入を指摘されかねないグレーな発言となるが開催派世論、中止派世論双方の力関係に与しないという判断に基づく)を守ろうとしたのだ。(この是非については私自身結論を論じるつもりはありません。)長官を含む宮内庁は今後各メディアや政府から批判やなんらかの制裁的な措置を講じる声が上がることは必至である。しかしそこまでを覚悟した上での、天皇陛下および宮内庁が考えるシナリオであるのかと私は考えている。

3.おわりに

敗戦以降は憲法上タブーとされている天皇陛下の政治的介入。しかしながら今回「天皇」と「政治」はニアミスを起こし、新型コロナで混迷を極める現在が戦時下さながらの歴史的異常事態であることを私はまざまざと今感じております。天皇の政治的中立性を意識し、介入させてしまうことを極力避けながらも、宮内庁自身はかなり政治的に高度な駆け引きを政府や世論に展開しているという事実は大変興味深いです。

しかし改めて最後に申し上げておきたいのですが、これはあくまで「陛下のお気持ちを拝察」している宮内庁の葛藤を「拝察」している私の意見に過ぎません。


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