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目に見えない貧困

昨日は「今見つめ直す貧困、子ども・若者支援」というオンラインシンポジウムに参加しました。

最初に話題提供として映し出されたコマーシャルはとてもインパクトがあった。ある日の学校の帰り道、受験を控えている女子高生2人の姿が映し出されていました。1人は、いわゆる普通の家庭で家に帰ったら父母がいて、温かいご飯が待っている家庭の女の子だった。もう1人は、母子家庭で3人の子供がいる家庭で、1番上の姉である高校生の女の子は、バイトと家事に追われていた。友達と分かれるとすぐにアルバイトに励み、お惣菜を買って、幼い弟妹がいる家に帰っていた。ご飯の準備、後片付け、妹の髪を乾かしていた。やっと全ての家事育児が終わったのは、23時。疲れた様子のお母さんが帰ってきた。受験が近づく中でも全く勉強時間が取れない様子だった。夜中に友達から電話がかかってきて、「受験が終わったらディズニーランドへ行こうよ」と誘われ、戸惑いつつも「行きたいね」と答え、電話を切ったあとの彼女の表情は何とも言えなかった。

貧困は目に見えるものだけではない。

同じように学校に通い、授業を受けていても、家庭内の状況は様々である。ある家庭には当たり前のように父母がそろい、温かいご飯があり、自分のお部屋があり、勉強する時間が確保できる。でも、それが当たり前ではない人もいる。目に見えないところで格差は広がっていく。学習時間がまともに確保できない人々が大学まで進むことは難しいし、たとえ行けたとしてもアルバイト三昧の日々でなかなか学習する時間が取れないだろう。そんな中で学習へのモチベーションをキープすること自体がとても難しい。

私がまだ何も知らなかった高校生の頃は、偏差値の低い学校に通う人は、勉強してこなかった、怠慢なのだろうと思っていた。でも、実際には母子家庭の人も多かったし、アルコール依存の父がいる、DVがある、子どもがたくさんいる等、じっくりと学ぶことのできる環境がない人が多かった。

日本は未だに学歴社会で、私のように誤解している人もきっと多いだろう。

貧困状態にある本人たちも「私は頭が悪いから」「勉強ができないから」と諦めてしまう。環境の問題が個人の問題に帰されてしまうのだ。

貧困状態にある人々が抱えている辛さはもちろん本人のせいじゃない。今の状況は不当であるのだ。

私たちは目に見えないものは知ろうとしないし、都合の悪いことからは目を伏せる。

声をあげないとわからない。でも、声をあげれない人もいる。

じゃあどうすれば良いのだろうか。

今回のシンポジウムのように支援者が代弁していくこと、アウトリーチしていくことは必要であるだろう。

そして、今回参加した私たちが当たり前を問い直し、周りの人々と共有していくことが社会を変えていく力になるのではないだろうか。





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