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昼間鈍行(0)小人閑居してフゼンをなすの回

くだらないエッセイを書きたい、と思った。
暇すぎて鼻をほじる代わりに読む、くらいな程度のものを書きたい。
鼻くそと天秤にかけ、ギリギリの差で傾かせるようなもので良い。

ひどい書き出しである。

22歳の夏のことを書こうと思っている。
"22歳"、"夏"という絞ればすだちの汁でも出てきそうなみずみずしい響きであるが、当時のぼくは駅直結の大手デパートの中で働く学生バイト君であり、絶え間ない冷房によってむしろ日に日にお肌はパリパリになっていた。

当時を思い返せば、夏休みを着々と紙幣に変換する毎日……
などと軽妙な文章を東西線に乗りながら思いついたが、ぼくの鼻くそエッセイには似合わない。確かにぼくは毎日バイトしていて、6連勤を何回かかましたのもこの夏休み期間だったし、ばあちゃん客に「サラダ油」の説明を乞われて「サラダの油です」などと適当に返したら「適当なことを言うんじゃ無い」とみぞおちをグーパンでキメられたのも確かこの頃だったと記憶しているが、それはまた別の話だ。

要は、暇だった。

みなさんご存知の通り
くだらない人間は、暇になるとろくなことをしない。

ぼくは54,000円を4年間使い続けていたヘロヘロのEDWINの財布に突っ込み、りんかい線国際展示場駅に突っ立っていた。2015年8月17日のことである。北九州に向かうフェリーに乗るためだった。

「あだち君は、自分を捨てられていないね」と言われたことがある。
この言葉は呪いとなって、ずっとぼくを苦しめている。

ぼくらの地区の小学校は毎年夏になると、"臨海学校"と言って地元の群馬から新潟の青年合宿所に訪れては、やいのやいのと海水と戯れて大はしゃぎし、3日後には海の無い群馬県へすごすごと帰っていくという、新潟県からしたらちょっとしたバイキングのようなイベントを毎年行う。

普段は家族と行く海に友達と行くという新鮮なイベントであることに加え、近隣の小学校とも交流する機会が設けられており、仲良くなれば部屋まで訪ね、また訪ねられるという"バチェラー・グンマ"とも言うべきアヤシイ行事なのだった。

さてあだちはと言うとそもそも「泳げない」という当イベントにおける致命的な欠点を抱えており、バチェラー・グンマを砂浜から指を加えて見ているしかない。仕方が無いので、砂浜に埋められた学年屈指のいじられキャラの股間に砂を盛るプロジェクトに参画していた。皆、意味もわからずせっせこと股間に砂を運んでは両手でパンパンと盛るのだが、なぜそれが笑えるのかということは誰にもわからない。わからないまま何かに駆り立てられるように股間を高くする。神は人間をプログラミングする時に妙なバグを残したようだ。

砂浜の一角で、異様な盛り上がりを見せている者達がいるのに気づいたのは2日目だっただろうか。何やらざばばん、と海水が跳ねる様子をみて砂浜の連中がぎゃあぎゃあと喚いている。何かと思って近づくと、「砂浜から走って海にダイブし、誰が一番水しぶきを上げられるかを競っている」とのこと。

皆で砂上に書いた線に並び、先生のホイッスルを合図に海に向かって駆け出す。ほぼ同時に着水した様子をみて、その回の勝者を決めるのだ。

驚くなかれぼくは小学6年生にしては高身長で、173cmあった。卒業写真に映るぼくは顔面だけ隠せば教師にしか見えない。このような体格的アドバンテージを携えたぼくは、ここで結果を残して一躍脚光を浴びてやろうと考えた。股間の塔建設などやっている場合では無い。

しかし

ぼくは何度やっても1位にはなれなかった。何度やっても、である。何回かのダイブのあと、塩分諸々の成分を含んだ海水ででろでろになって海から上がってくるぼくの目の前に先生が仁王立ちしていた。ホイッスルを右手に持ち、左手は腰に添えて、こちらを見てニコニコしている。何を言われるんだろうと、訝しんで先生を見上げると、ぼくにむかってこう言った。

「あだち君は、自分を捨てられていないね」

先生に悪気は無い。飛び込む直前のぼくが尻込みしてると見えたのか、激励のつもりで仰ったに違いない。

しかしこの日から、生活のあらゆる場面でこの言葉が頭に浮かぶようになった。
ぼくは昔から、言ってみれば「君子危うきに近寄らず」という具合で、自分を「君子」だと思っているきらいがあった。「自分はバカじゃ無いから、あんなバカなことはしないんだ」と自分から距離を置こうとする思い上がった部分があった。先生はそんなぼくを見抜いたか知らずか…

とにかく図星だったのである。

フェリーにした理由は、なんとなくだった。強いて言えば、船に乗ったことがほとんど無いからだ。北九州が終着点だったのは偶然だが、せっかくなので西日本をふらふらと回ってみたいと思っていた。自分の生涯は関東地方で完結しており、かつて地図帳で見た西日本のあちこちを自分の目で見てみたかった。だから、気になったところは後先考えず下車して見に行ってみようと決めていた。

前日に、みなさんご存知の黄色い雑貨店で手のひらサイズのノートを買った。見たものや考えたことの記録を取る目的だった。だから、これから書こうとしているこのエッセイの出展は、唯一このノートのみとなる。

『深夜特急』(著:沢木耕太郎)という本がある。世界中を旅した主人公「私」の紀行小説で、バックパッカーたちのバイブルとしての地位を確立している名作だ。ぼくには決して「私」のような冒険はできない。雪印コーヒを飲んだだけで2時間後にお腹をゴロゴロと言わせるようなぼくの腸には到底耐えられる旅ではない。しかし、ぼくのような者でもこの本を読んで長期の旅行への憧れを抱いたのは確かだった。だから、いやしくも題の文字面はオマージュさせていただきつつ、足元にも及ばない数日にわたるこの日和見旅行を、名をもって体をなせるよう「昼間鈍行」と名付けた。

本当に、くだらない人間は、暇になるとろくなことをしない。

お金と期限の制約がある中で、何も予定を決めずに無為のまま旅行するということだけでも、ぼくにとっては十分すぎるほど大きな冒険だった。
いつものぼくなら行きたい場所を決め、日程と予算の中で最大限に楽しめる旅程を計画する。でも、あえてそれをしなかった。

ぼくの中で「あだち君は、自分を捨てられていないね」という言葉がずっとこだましている。無視しても良いのだけど、それができなかった。

あの日、ぼく以外のみんなが上げた水しぶきは
とても大きくて綺麗だったからだ。



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